神様はなかったことにしてくれない

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神様はなかったことにしてくれない

僕は乃上家の跡継ぎではないと否定できないままの今。 きっとひどい顔色をしているのだろう。 そんな僕に気付いてか、松岡さんが少し慌てたように椅子から半分腰を上げた。 「あ、いや、せっかく取材を受けてもらってもボツになることもあるし、かえって失礼な結果になったりするから…… やっぱり、申し訳ない、かな」 照れたような笑みを見せて、頭を掻きながら椅子に座り直した松岡さん。 「ボツになることも、ある、んですか? 」 だったら一度くらい…… なんて気を起こしてしまったのは、あまりに松岡さんが素敵過ぎたから。 こんなにも素敵な人に二度と巡り会えないと思った。 松岡さんとお話がしたい、二人きりなのだとしたらなおのこと、その時に ── 実は ── と頭を下げ、跡継ぎでは、三代目ではないことを話し謝罪をするのはだめだろうか。 松岡さんの時間を無駄にしてしまうよな、そんなのはだめだよな、とんだ嘘つきだ、あれこれと頭の中がごちゃごちゃする。 「ごめん、余計なお願いを口にした。気にしないでほしい、悪かった」 ものすごい深刻な表情になっていた僕だったようだ。 今度は本当に慌てた様子で顔の前で両手のひらを合わせ、松岡さんが申し訳なさそうに謝った。 「あの…… 少しなら…… 」 言ってしまう。 僕は乃上家の後継ぎでもないのに。 「え? まじ? 」 「お役に立てるか分かりませんが…… 」 「本当に!? あ、でもどこもボツになるかもしれないんだけど」 その方がありがたい、というか、その前にちゃんと、嘘を吐いていたと打ち明けよう。 「かまいません、僕なんかでよければ」 僕なんかで…… 言っていてチクチクと胸が痛む。 本当に僕なんかで、だ。 「嬉しいなぁ、じゃあもう一枚、三代目に名刺を渡しておくね」 嬉しそうな笑顔を見せて、松岡さんがまた名刺を僕に差し出した。 前回のも僕がまだ持っているけれど、松岡さんの名刺は何枚あってもいい。 嘘を吐いている罪悪感が飛んでしまい、差し出された名刺を頬を染めて受け取る。 「連絡はお店で大丈夫かな? 』 「あ、いえ、直接携帯にいただいた方がありがたいです」 店に電話をかけられてしまったら、僕が跡継ぎじゃないとバレてしまう。 僕の携帯番号を松岡さんに教えた。 松岡さんの連絡先は名刺に書いてある。互いの連絡先の交換みたいな感じがした。 思いもかけない好運に胸が踊る。 改めて連絡をするからと、軽く手を振り店をあとにした松岡さんの大きな背中を見送った。 ちゃんと謝るんだ。 松岡さんとお話しがしたかったと、正直に話すんだ。 とくとくする気持ちと、ざわざわする気持ちが入り交じる。 こんな嘘、吐かなければよかったと後悔をしながらも、松岡さんにまた会える嬉しさの方が勝ってしまう。 あれから一週間が経とうとしているけれど、松岡さんからの連絡はない。 このまま何もなく時間が過ぎていけば、神様は嘘を吐いてしまったことをなかったことにしてくれるだろうか。 それでも松岡さんの眩しい笑顔と、惹き込まれるような瞳が忘れられない。 大学の授業中も考えるのは松岡さんのことばかりで、お財布から名刺を出してはじっと見つめていた。 「なに? だれ? 」 授業が終わり皆んなが教室から出ていくなか、一人座ったままじっと見ていたのを見られていたようで、同じ学科の菊池くんが名刺を覗き込む。 咄嗟に隠してしまったから、怪しく思われるのも仕方ない。 「え? なにー? 気になるじゃん」 「な、何でもないよ」 「ふぅん、早馬さぁ、就活進んでる? 』 大学四年生になり、誰かと顔を合わせればその話題ばかりで閉口する。 でもそのおかげで、名刺のことは飛んでくれたみたいで助かった。 バッグに教科書なんかをしまい席を立ち、二人並んで教室を出る。 「いや…… 菊池くんは? 」 「何社かエントリーしてるけど、うまくいく気が全くしない」 「そうなんだ…… 」 バイト先では元気いっぱいの僕だけど、学校なんかではどうにも思うままにふるまえない。 だからこそ、乃上家のバイトが、乃上家が自分の居場所のように思えてしまう。 その乃上家で松岡さんと出会えた。 一度だけでいい、嘘を吐いてしまったことは心から謝罪をする、松岡さんと二人きりの時間を過ごしたい。 「…… じゃん」 「え? 」 「なんだよ、聞いてなかったのかよ」 「…… ごめん」 「全く…… その顔でそんなふうに謝られたら、いいよって言うしかないよな」 「………… 」 「早馬は、顔で採用になるんじゃん、って言ったの」 「そんなこと…… 」 「その顔で営業とか行ったら、もてはやされるんじゃん? 」 「そんなわけ、ないよ…… 」 自分ではコンプレックスがいっぱいの顔なのだけれど、綺麗な顔立ちをしている、と言われることがある。 でも、そう、松岡さんのような顔だったら、いろんなことを、もっと自信を持って堂々とできたかもしれない。 なににつけても松岡さんに結びつけてしまい、軽くため息を吐いた。 「早馬はどこかエントリーした? 」 「いや、まだどこも…… 」 「マジかよ、間に合うのかよ」 「…… 考えなきゃ、ね」 「今から!? それともなに? どっかコネでもあんの? 」 「そういうわけじゃ、ない…… 」 とは答えたけれど、乃上家のご主人に ── 早馬くん、大学卒業後はうちで働かないか? と冗談ぽく言われたけれど、あれは、本気じゃないのかな。卒業後も乃上家で働けたら僕は嬉しいんだけどな。 そんなことを考えていた時、スマホが着信の振動を知らせる。 はっ! 松岡さんっ! 着信画面には松岡さんの名前が表示されていて、手が震えた。 「ご、ごめんね、バイト先から電話だ…… またね」 菊池くんに手を上げて離れ、早く電話に出なきゃと思いながらも、どくどくとする胸と苦しくなる息、応答しようとする指の震えが尋常じゃない。 神様は、なかったことにはしてくれないのだと、そんなことを思ったりもした。
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