第一章 亡き夫への想い

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第一章 亡き夫への想い

 遷り変わりは人生の常であり、新しい旅路を受け入れることは成長の第一歩だと、美咲は運命の分かれ道に立つたび、その教えを心に刻んでいた。  しかし、美咲の人生も例外ではなく、彼女は亡き夫の忘れ形見である娘とともに、日々の荒波に揉まれながら生きていた。  八月の始まりの日、美咲は朝顔の花が描かれた暦に目を留めながら、祇園祭の喧騒が静寂に変わるのを感じていた。平安時代から続く祇園祭は京都人の美咲にとって誇りの行事であり、生活の一部だ。  半月もすれば、こよなく愛する故人を偲ぶお盆がやってくる。京都の人々は伝統と文化を大切にしており、美咲も四年前に亡くなった夫の供養を始める準備を進めていた。  まもなく小学一年生となる愛娘の由香とともに、迎え鐘をつき、迎え火を焚いて祐介が黄泉がえるのを待つ。その厳かな儀式は、彼女たちにとって祐介に会えなかった一年の想いを伝える大切な時間だった。 「由香、パパに会いに行こうか」と美咲は言ったが、声が震えていた。涙が溢れ出し、彼女の心は祐介への想いでいっぱいだった。由香の小さな手を握りしめると、その温もりが美咲の心に少しだけ安らぎをもたらした。美咲は涙を拭いながら、娘にもう一度優しく呼びかけた。 「きっと、パパも待ってくれていると思うんだ」  祐介が亡くなってから、美咲たちは毎年お盆の十六日にふたつの場所を訪れていた。ひとつは、祐介との思い出が詰まった鴨川沿いの納涼床。もうひとつは、嵐山の渡月橋から眺める灯籠流しと大文字の送り火だ。それらの場所は、彼女たちにとって、祐介とのつながりを感じ、彼を偲ぶ大切な聖地だった。  ひぐらしの音色が夏の終わりを告げる日、美咲と由香は鴨川沿いの納涼床へと足を運んだ。夕陽が川面を染める中、由香はわくわくした様子で美咲に話しかけた。 「パパとここに来たことあるんでしょ? すごく綺麗なところだね」  美咲は祐介との甘い思い出に浸りながら、由香に語りかけた。 「そうよ。私たちは幼なじみだったの。鴨川沿いで学校帰りに石投げを競って遊んだものよ。それで『大きくなったら結婚しよう』と約束したの。それはあなたがこの世に生まれるずっと前の話だけどね」  由香は恋心が芽生える少女に成長していたのかもしれない。キラキラとした目で、ゆっくりと流れる川の三角州を眺めていた。 「ふたりは運命で結ばれたんだね。パパはどんな人だったの? わたし、ちっちゃかったからあんまり覚えてないの。ママ、ごめんなさい」  美咲は由香の成長に心を打たれ、胸が熱くなった。   「ううん、そうだったの。パパは優しくて、面白くて、イケメンで、いつも私たちを笑わせてくれたわ。きっとあなたのことが大好きだったと思う」  由香は美咲の正直な言葉を聞いて、少し考え込んだ後、にっこりと笑って頷いた。その笑顔は、彼女が母親の言葉を深く理解し、受け入れたことを示していた。 「ママとパパは、どっちが先に好きになったの?」  美咲は思わず顔を赤らめた。 「わたしだったかもしれない。けれど、恥ずかしくて言えなかったの」 「ふうん、そうなんだぁ……。でも、パパはもういないんだよね。もう一度パパに会えたら、いっぱいお話ししたいなぁ」  娘の健気な眼差しを感じて、美咲は彼女の心を傷つけないように言葉を選んで話した。 「パパはね、海に住む神さまに呼ばれて、天国に行っちゃったの。今夜会ったら、たくさんお話ししようね」  その言葉は、彼女が由香に対する深い愛情と、祐介への揺るぎない尊敬を表していた。  四年前の太陽が照りつける暑い夏の日、美咲を救おうとして祐介が荒れ狂う海で命を落としたことを思い出した。あの日から、美咲は何度涙に暮れたことだろうか。もし由香がそばにいなかったら、祐介の後を追っていたかもしれない。美咲はいつも由香の温もりに支えられていた。
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