11人が本棚に入れています
本棚に追加
カメラを構える腕に汗が滲む。
ーー捉えるのは、萎れた向日葵を背景に廃線路と無人駅だ。
ピントを合わせてシャッターを切った。
『暑中見舞い申し上げる。
どうだ、俺のカメラは使い熟せているか。
ピントは合っているか。
お前の一分一秒の“今”を上手に切り取れよ』
じいちゃんの“今”を切り取った色褪せた葉書と写真は三脚と水筒の脇に並んでいる。年代物のカメラは、汗ばむ掌に。
小学生の時に届いた葉書に『使い熟せて』だなんて無茶振りだ。
ーー返事はまだ書けていない。
同じ場所に同じ時間帯。
同じ景色にならない相違は“後ろ向きの少女”が此処に居ないことだけだった。
「“初恋”に勝る一枚なんて撮れねぇよ……」
グイッと水筒の麦茶を飲み干す。
カランと
鳴る氷が涼しさをくれた。
ーーあと一枚だけ。
長く深く深呼吸。
顎に滴る汗を拭うとファインダーを覗いた。
静寂の中で目を見張る。
ピントがピタリ、だ。
過去と現在がフレームの中で重なり合う偶然。
麦わら帽子に揺れる長い髪
線路の上に花柄のウェッジヒールサンダル
短パンから伸びる脚は夕陽に染まり
爪先は線路の前方へ
一分一秒の“奇跡”
俺は息を止めてシャッターに指を掛ける。
「今年は、返事が書けそうだよ……じいちゃん」
名を馳せたカメラマンが一枚だけ愛した写真、それは憧れであり尊敬であり唯一無二の手本。
ーー"使い熟せているか"の無茶振りは、もう時効だ。
弱々しい蝉の鳴き声を聴きながらカメラを胸に抱いた。
じいちゃんを想って泣くのは、これが最初で最後の夏になる。(終)
最初のコメントを投稿しよう!