隻腕の夫

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静子は黒目がちな瞳を大きく見開いた。 「吉田様は隻腕です。未来が、視えたのですか」 「ああ、静子は隻腕の男と子を為し、幸せに暮らす未来だ。吉田氏との婚約は良縁だ」 勇は他の男との良縁を語りながら、静子の手を離せずにいた。静子の細い指先が勇の手に縋る。 「勇様は……それがお答えですか」 湿った静子の瞳がますます潤む。男にそんなに期待を持たせる顔を向けてはいけない。 「私は勘違いをして……勝手に期待を、しておりました」 静子の手から力が抜けて、追い縋れない勇の手から静子の手がすり抜けてしまった。静子の瞳から雫が一つぽつりと落ちて、彼女の袴に染みをつくる。 「私はなんて恥知らずなのでしょうか」 淑やかな彼女の大きく揺れ動く想いが勇に届く。彼女は本当に勇を望んでくれるというのか。腕を切り落とせば、この想いに飛びついても許されるのか。だが勇はその想いから、目を、逸らした。 「静子、俺の未来はもう決まっている」 「勇様の妻は私ではない……ということですか」 「そうだ」 勇が静子のために命を落とすとは言えない。静子は桜の刺繍のついた手拭で涙を拭き立ち上がった。勇と揃いの刺繍。勇はテーブルの上で静かに想いを告げる桜の手拭の上に手を置く。 静子はこつこつとブーツの音を鳴らし、ドアの前で立ち止まった。黒髪を靡かせて振り返る静子が、涙を散らした。 「私は決まった未来と違えたとしても……勇様の妻となってみたかったのです!」 静子は大きな音を立ててドアを飛び出して行った。御淑やかなはずの静子の激しさに勇は立ち尽くす。勇は静子を追いかけることもできず、閉まったドアに桜の手拭を握った拳を叩きつけた。 「俺だって!君が欲しい……!」 勇の願いは霧散した。
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