12. たくさんの地球

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12. たくさんの地球

「ご、ごめんなさい! わ、私……」  慌てて両手を振りながら後ずさりする。  このままダッシュして裏口から逃げれば……。そんなことが脳裏をかすめた。 「逃げようなんて……思わない方がいいわよ? この星間の狂風(アストラル・クイーン)シアンから逃れられた存在など、この数十万年間誰一人いないんだから。くふふふ……」  海のように深い瞳の奥で、禍々しい炎が静かに燃え上がる。その冷たくも激しい光に、言葉を失い、ただ圧倒されるばかり。 「だって襲ってきたんです! せ、正当防衛? って言うんですか? 私だけが悪いんじゃないと思います!」 「そう……かもしれないわね? でも壊したのは事実……。身体で……払ってもらおうかしら?」  シアンはそう言いながら美咲の身体をなめるように見回した。 「か、身体!?」  思わず両手で胸を覆う。このアラサーの貧相な身体で何を払わせようというのだろうか? 「きゃははは! 冗談よ! 次からはあの程度じゃ壊れないようにするから。大丈夫だってぇ。きゃははは!」  無邪気な笑い声が店内に響き渡る。 「は、はぁ……」  その、笑えないジョークにムッとしながら、ふぅとため息をついた。 「あなた、いい魂してるのよ。人間にしておくには惜しいほど……。くふふふ……」  「……。え?」  不意に発せられた異質な言葉に、全身の血が凍りつくのを感じた。そう、目の前のこの存在は、人知を超えた太古の昔から続く何かだったのだ。人間という存在そのものが、その永劫の時の流れの中では儚い泡沫に過ぎない。  次の展開が読めず、思わず眉を寄せた。 「どう? うちで働かない?」  華やかな笑顔を纏った彼女が、意外なことを言いながらゆっくりと距離を縮めてくる。  え……?  深い瞳に吸い込まれそうになった瞬間、シアンの柔らかな指先が頬を撫でた。その意外な冷たさに驚きつつも、まるで遠い日の追憶を呼び覚ますかのように、懐かしさの波を呼び起こした。 「う、うち……と言うのは?」 「たくさんの地球を運営する女神の神殿よ。要は一緒に地球を運営しようって言ってるの」  彼女の言葉が、私の現実を根底から揺るがした。 「た、たくさんの……地球?」  この世界がシミュレーションだとしたら、確かに複数の『地球』の存在は理解できる。しかし、『たくさん』という言葉が、私の想像力を遥かに超えていた。頭の中で、無数の地球が万華鏡のように広がり、めまいがした。 「一万個も地球があると、運営が大変なのよ」  肩をすくめるシアン。  この地球でさえ、日々いろいろなニュースが駆け巡り、その存続は綱渡りのよう。一万の地球となれば、それは途方もない挑戦だ。あまりのスケールの大きさにため息が出てしまう。 「認知症のバグとかも直さないとだし……」  その一言が、暗闇に差し込む一筋の光のように心に響いた。 「え……? それは私が他の認知症患者も救えるって……ことですか?」 「もちろん! どう? やりがいあるでしょ? くふふふ」  迷う理由はなかった。 「そ、そういうことならぜひ!」 「ふふっ、良かった。テロリストが襲ってきたら戦っても貰うけどね。きゃははは!」  彼女の言葉に、一瞬怯んでしまう。戦いなど、自分には程遠い世界。ガーディアンとの勝利さえ、祖母の加護があってこそだった。  震える手を見つめ、自問する。  だが――――。  旅路で得た覚悟が、静かに、しかし確かに心を支える。この瞬間こそが、自分を証明する時ではないだろうか?  この千載一遇のチャンスは逃すわけにはいかない。 「できることしかできませんが、精いっぱい頑張ります!」 「うんうん。私は大天使のシアン! よろしくねっ!」  シアンの瞳が喜びに輝く中、彼女の手が私の手を包み込み、力強く握手をした。 「よ、よろしくお願いします……」 「そしたら、まずは職場案内からねっ!」  シアンの声には抑えきれない興奮が滲んでいる。  直後、世界が歪み始めた――――。 「えっ!? 今すぐですか!?」  後悔の念が胸を掠めたが、もう後戻りはできない。  眼前の景色が水彩画のように溶け出し、私たちは光の螺旋に包まれて、息を呑んだ。  これがまさに人生の分岐点――――。  祖母を救った奇跡が、今、世界を救う鍵となるかもしれない。不安と希望が交錯する中、私は未知の世界への一歩を踏み出した。         ◇  光が落ち着き、目をそっと開けると目の前に広がっていたのは、満点の星々が瞬く想像を絶する大宇宙の風景だった。 『え……? えっ!?』  驚きの声が、宇宙の真空に吸い込まれていく――――。  古びた雑貨屋の薄暗い空間が、一瞬にして無限の宇宙へと変貌した。息を呑むほどの星々の輝きに目を奪われ、銀河の壮大な光景に心が震える。  この驚異的な光景の中で呼吸ができることに気づき、現実とデジタルの境界線が曖昧になっていく。この世界の本質に対する疑問が、心の奥底で静かに膨らんでいった。
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