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第1章…11
とりあえずは座ってみたものの、なんとなく落ちつかない。目のまえには、壁と一体化したような茅野のすがた。私たちの存在などまったく気にするようすもなく、手にある漫画本に夢中になっている。
部屋のすみには、空にちかい三段ボックス。不安定にたてられた数冊の漫画と、雑に置かれたあやしげな雑誌。
数ヶ月前までは、男子ととっくみあって遊ぶことも普通だった。男だとか女だとか、そんなことを気にして接したことはなかった。この居心地のわるさが、どこからくるのか不思議でならない。
気持ちは行き場を定められずさまよい、ふすまの向こう側へと飛びこえてみる。閉められているその向こうがわには、まだ隼斗のもどる気配はない。
「なあ……」
「え、なに?」
「椎名ってさ、久我の兄貴と……知り合いなん?」
「ああ……、うちの兄ちゃんのともだち」
「へえ……、そうなんや。椎名って、兄貴がおったんやな」
茅野が声をかけてきたことで、多少は居心地のわるさは解消された。しかし彼の意識は漫画よりで、話に興味があるようには感じられない。
これ以上の会話はむりそうだなと思っていると、よこに座っていた皐月の背筋がのびた。瞳を輝かして、前のめりになった彼女がくちをひらく。
彼女の第一声は、「朱里の兄ちゃんはイケメンなんで」だった。楽器もひけて、歌もうまい。運動神経がばつぐんで、背が高くて女子のあこがれの的だ。
くちをはさむ隙などないほどの熱弁ぶりに、横にいる私がはずかしくなる。
漫画を持っている茅野の手が、ゆっくりと下におりていく。めずらしいものでも見るような目で、喋りたおしている皐月をみた。
「……なんでおまえが、そげえ興奮しちょんのな」
「いいやんか、べつに」
「……へんなの。……っちゅうか、おまえの言うのが本当なら、椎名の兄貴って、なんか……すげえな」
「なんな、本当にきまっちょんやん! すげえんやけん、まじで! ……てかさ、さっきのひとって久我の兄ちゃんなんでな?」
「そうよ、……なんで?」
「いや、なんか……来ちょるとか言いよったけん。それって、へんな言い方やなとおもって」
「ああ、……久我の兄貴は、ここには住んじょらんけん」
あぐらをくんで座りなおした茅野は、手にもっていた漫画を横においた。ちらっとふすまのほうを見て、気配をさぐるような仕草をする。誰の気配もないとわかると、声をおとして話をはじめた。
彼の話によると、隼斗の両親はずいぶんとまえに離婚をしているらしい。兄弟には親をえらぶ権利は与えられることなく、おとなの勝手な都合で離ればなれになったという。
それはふたりが幼いゆえのことであって、ものごころついた兄弟は自らの生活を選びはじめた。隼斗も北斗も気の向くままに、外とどちらかの家を行き来して寝床にするようになったというのだ。
「へえ……そうなんや……。北斗兄が、高校にいきよらんのは知っちょったけど」
「離婚とか知らんかった?」
「うん、知らんやった……」
「まあ、他人には関係ねえことやけん、言わんわな。久我の兄貴もけっこう外で自由に生きちょんみたいやし、親んこととかあんまり考えてねえみたいやし……」
離婚というワードに、皐月が微かに反応する。つい最近といっても過言ではないほど近い過去に、彼女の両親も離婚をしているのだ。
私は親の離婚というものが与える、子供にたいしての影響がよくわからない。皐月のようすは近くでみていたが、心の奥深いところまでは理解しきれていないと感じる。
自分のところは姉と弟が父親のもとにのこり、自分は母親について出て行ったとはなす。そう話す彼女の表情は、そのことが辛いという素振りはみせていない。
「……どげえもねえん?」
「は? ……なんが?」
「いや、うちの親とか仲いいんかどうかは知らんけど、離婚とかしちょらんけん……ようわからんのやけど……」
「どげえもって……。いっつも家で喧嘩とかしよったけん、それ見るよりは……ましで」
「そんなもん? 姉ちゃんとか……離れて……あれやねえん」
「べつに、……姉ちゃんたちとか、ふつうに会うし。親がちがうとこに住んどるだけやし」
「……そうなんや」
茅野の喋りぐあいも、なんとなく手探りな感じがした。顔色ひとつ変えずに答える皐月ではあるが、同じ経験をしていない私たちからすれば仕方のないことなのだ。
あとに続く言葉を見失っていると、すっと部屋のふすまがひらいた。おもわず一斉にそちらに注目してしまい、部屋に入ろうとした隼斗の動きを封じてしまう。
「な、なんか……おまえら。なんの話しよったんか」
「え、いや……。べつにたいした話じゃねえし、……っちゅうか、兄貴なんやったんな」
「んあ? ああ、……べつに」
「べつにって、すげえ勢いやったやん……まじ、お前なんかやらかしちょんのやと思ったわ」
苦笑いで部屋に入った隼斗は、「なんか、それ」と言いながら茅野のよこに腰をおろす。一瞬だけ息をとめたようにかたまり、なにかを吹っ切るように息をすう。
こたつ台に手をのばし、そこにある灰皿を手にもった。それに気づいた茅野は、自分のポケットから煙草をとりだした。隼斗が壁に背をつけると、茅野は彼のまえに煙草を投げおく。
中学生が煙草を吸う、そんなことは気にはならない。もちろん、それがいけないことだということは知っている。ただ兄たちをみていて、慣れてしまっている自分がいた。
それよりもいま気にかかるのは、この部屋にただよっている不穏な空気だ。この部屋にもどってきてから今のいままで、隼斗が私をみていないことも気になる。
まるで視線があうことを避けているかのように感じる。こうして私がずっと彼をみていることに、気づいているのかどうかもわからない。いちどもこちらを見ないままに、彼は煙草に火をつけた。
まるで深呼吸でもするかのように、おおきく吸いこまれた煙草の煙。それが湿気をおびた部屋のなかに、大量に吐きだされた。風もなく窓から逃げだすことのない煙は、せまい部屋のなかを漂っている。
「……あっ、ごめん! たばこやろ? 煙……くせえよな」
「けむ……? あ、いや違うんで! 兄ちゃんたちで慣れちょんけ、ぜんぜん気にならんので」
「……わっりい、いつもの癖でから……つい」
「いや、ほんと大丈夫なんで。まじでにおいとか、好かんことねえけん」
あわてるように煙草をもみ消し、立ちあがる隼斗。三段ボックスの雑誌を手づかみ、窓のほうに向かってあおぎはじめた。どうやら部屋にこもっている煙を、窓のそとに追いだそうとしているようだ。
茅野は手伝うでもなく、漫画を手に隼斗の行動をながめている。皐月もあっけにとられたように、ぽかんとした顔で隼斗をみていた。
大丈夫だ、平気だと何度もつたえる。しかし彼は「ごめん、気づかんで」と連呼して、あおぐ行動をやめようとはしない。
たしかに私は隼斗のことをみていた。しかしそれは煙への不快からではなかった。彼は私の視線に気づき、それを不快の視線だとかんちがいしたのだろう。
彼の意外な気づかいに、なんだか妙に好感をいだいてしまう。もっとこの人のことを知りたい、そんな気持ちになった。自分に気をつかってくれている状況に、素直にうれしいという感情がこみあげる。
ただ、その感情とともに気まずさも芽生える。やめるように促す言葉も聞きながされ、異常なほどに気をつかう隼斗。そんな彼をみていて、申し訳ないという気持ちになってしまう。
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