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第1章…14
光羅に手をひかれ部屋のまえまでたどり着くと、彼は後方を確認してから扉をあける。わたしを部屋のなかへと誘導してからふたたび振りかえり、母の姿がないことを確認してから扉をしめた。
母との空間を遮断されたことで、ほんの少しだけ守られた気持ちになる。しかしそれも束の間のやすらぎで、すぐに私は不安になる。
部屋に呼ばれたということは、きっと何か理由があるに違いないと感じたからだ。さすがの兄も今日の門限破りを快くは思っていないのだろうと気持ちが滅入った。
「座ってん……。なあ、朱里……、お母がぎゃんぎゃん言うのは、心配しちょんけえやってわかっちょんよな?」
「……うん」
「うん、それがわかっちょるなら……いい。んで? なんで今日は門限やぶったん?」
「……時間……みてなかった……」
「時間、気にするの忘れるほど楽しかった? 誰と遊びよって時間わすれたん」
「……皐月」
「皐月ちゃんか……。なあ、朱里……兄ちゃんの顔みて話してくれんか? 今日は皐月ちゃんとふたりっきりやったか?」
光羅に言われて顔をあげたが、その質問には答えることができない。首をたてに振れば済むだけのことなのだろうが、それは優しく問うてくる彼に嘘をつくことになる。
おだやかな表情でじっと返事をまつ兄をみて、後ろめたさを感じてしまい再びうつむいてしまった。ふわっと光羅の手のひらがわたしの頭のうえにのった。その手であたまを軽く揺すりながら、彼はちいさくため息をついた。
「あのな、兄ちゃん怒っとるわけじゃねぇんで。心配やけん、訊きよるんで? ……わかるよな」
「……うん」
「なあ、朱里……訊くけど……。お前、久我の家に行きよるんじゃねえか?」
その言葉をきいた瞬間、おもわず目を見開いて顔をあげてしまう。そんなわたしの反応に困惑の表情で、光羅は深いため息をついた。
落胆の仕草で、やっぱりと吐き出す光羅。誰から聞いたのだと疑問をいだくが、そんな疑問を投げかけられる雰囲気ではない。
少しの間のあとに、光羅は真っすぐにわたしをみた。そして今後は久我の家への出入りはするなと、いたって真面目な顔でいい放つ。一方的な光羅の発言に、納得などいくはずはない。
「……なんで?」
「なんでって……、お前は久我兄弟のこと、知らんけん」
「知っとるよ! 北斗兄は兄ちゃんの友達やろ? 隼斗だって優しいひとやし、門限とかも気にしてくれよんので」
「……俺もあのふたりのことは嫌いじゃねえんで。けどな、……お前が関わるんは……反対や」
納得はいかないものの、強く反論できずに下をむいた。もう行かないと約束しろという光羅の言葉に、わたしは応えることができずにいた。しばらく続く沈黙のなか、いつも過ごしている隼斗たちとの様子をおもいうかべる。
気ままに漫画などを読み、他愛のない話でわらう。部屋にテレビなどはないため、あまりの静かさにうたた寝のときもある。いけないことと言えば煙草くらいだが、それなら光羅もやっていることだと心のなかでたてついた。
「……煙草だけや、……とか思いよる?」
「え……、うん」
「まあ、……そりゃそうやわな。お前ら巻き込んでほかのことしよったら大問題やし。兄ちゃんが心配しよるんは……そんな事じゃねえんよ」
不思議そうに顔をあげたわたしに、光羅は久我兄弟のはなしをはじめた。親が離婚をして、兄弟がはなれて暮らしていること。北斗がどんな生活をしているか。それは茅野からすでに聞いて知っていることだった。
酒や煙草なら自分たちもやっているが、決していいことではないと光羅はいう。真似をするなと念をおす光羅に、わたしは「わかってる」と頷いてみせる。
光羅の顔が、ふっと真面目になったのを感じた。きっとここからが本題なのだろうと、何気にわたしも身構えてしまう。
「シンナー、……わかるよな?」
「え、あ……うん」
「どうなるかも、聞いたことくらいあるよな?」
「……うん」
もちろん、やったことなどない。だけど人から話くらいは聞いたことがあるし、どんな臭いのものかくらいは知っている。隼斗たちは、そのシンナー遊びが日常なのだという。そしてその状態でバイクを乗りまわしたり、喧嘩をしているのだという。
正常な状態ではないバイクの運転で事故をして病院への搬送などいつものことで、加減のわからない喧嘩で警察のお世話になるのはしょっちゅうだと。
母親が仕事で夜は空になっている家は、彼らにとっては楽園なのだという。そして離れてしまった父親は、社会では受け入れがたい存在なのだと。
「けど……、バイクなんか持っとるわけねえし……免許も……」
「免許なんか関係あるわけねえやん、バイクだって盗むことなんか隼斗たちは何とも思わんよ。遊ぶ金がなくなれば、かつあげも普通にするし……」
「けど! ……今はしよらんのやろ?」
「さあ、それはわからんな。そげえ簡単にやめれんやろうし」
簡単にやめられないという、光羅の言葉の意味がわからない。しかし隼斗たちと過ごす時間のなかで、それらしき行動をみかけたことはない。シンナーの臭いだって、一瞬でも感じたことなどはなかった。
「……もし、しよったら……せんでって言うし……」
「そういう問題じゃねえんよ。……とにかく、兄ちゃんは反対やけんな」
「でも……」
「でもじゃないよ。……隼斗んとこは、もう行ったらいけん。……兄ちゃん、ちょっとでかけてくるけんな、自分の部屋にもどってよく考えてん、なんで兄ちゃんがいけんって言うか……、わかったか?」
でももだっても通用しないことに、悔しくて泣きそうになる。そんなわたしの頭を軽くたたき、光羅は立ちあがった。部屋をあとにする光羅を見送りながら、彼が反対する意味をかんがえる。
シンナーもバイクも、盗みも喧嘩もかつあげも、当然いけないことだとは理解している。もしも今でもそれらを続けているのだとしたらと考えると、いろいろな不安や心配もつきまとってくる。
しかしその不安と同時に、私が辞めさせるという強い気持ちもこみあげた。問題なのは過去ではなく、これからなのだとつよく思った。光羅の心配もなんとなくはわかるけれど、だからといって彼の言葉に素直にしたがう気持ちにはなれない自分がいる。
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