第1章

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28e27bc4-79c6-4877-aed9-7c442be9abff 第1章…15  朱里(あかり)の自宅からいちばん近いまがり角、ここが俺たちのいつもの別れの場所だ。彼女の表情をまじまじとみると、抑えている感情が漏れ出しそうになってしまう。  名残惜しさを振り切るように手をふり、むりやり口角をあげて角に姿をかくす。まがり角を別れの場所にえらんだ理由、それは俺の格好悪さを見せたくないから。  俺の生きてきた十二年という歳月のなかには、門限というものへの概念がない。行きたいときにいきたい場所へ、それがどこであろうがいつであろうが関係なかった。そしてそれをとがめるものなど、いまの今までひとりもいなかった。  それで良かったしそれが普通だったため、自然とおなじような環境の者ばかりとつるんでいた。ただ今回ばかりは、何かが違う。俺の生活習慣では処理できない、不思議な感情がめばえていた。  自分がひきとめることで、家に帰った彼女が叱られるという不本意な仕打ち。もしもそれが原因で、会えなくなったらどうするという不安。そんなことを考えながら歩いているうちに、俺は自宅へと帰りついていた。 「おう、帰ったんか。ちゃんと家まで送ってきたんか」 「ああ、家のすぐ近くまで……」 「そっか、そんならいいんやけど。俺、もうかえるけん、あれや……台所の片付けしちょけよ」 「は? なんで俺が。めんどくせえ……ババアが帰ったらするじゃろ」 「ふん、まあどおでもいいけど。……あ、そうや……茅野(かやの)らまだ部屋におっちょるわ。そんじゃ、またの」  玄関ではちあわせた北斗(ほくと)に言われ、眉間にしわをよせ台所のほうをみた。手つかずの状態で悪臭をはなつそこを、ひとりで掃除する気になどなるはずもない。  さほど関心もなさそうに、後ろ手をふり靴をはく北斗。そんな彼を見送るようにながめてから、俺は自分の部屋へとむかった。おかえりという素っ気ない声と、ぺらぺらとめくられる紙のおと。そこに居るはずのふたりの視線は、いちどたりとも俺には向けられない。 「なん、……また落書きしよんのな」 「ん? いんや。さっき椎名(しいな)が何か書きよったけん……」 「まじ? ちょっと俺に見せれの」 「なんでな、ちょっと待って、いま俺がみよんのじゃけん。他のみよけばいいじゃん」 「いいけん、俺にかせっちゃ」  茅野からうばいとった、いっさつのノート。それは朱里(あかり)が持ち込んだ、落書帳と書かれたノートだ。いままでは空からにちかい状態だったこの部屋の三段ボックスに、いまは数冊の落書帳とマグカップいっぱいのカラーペンが堂々と鎮座している。  確かにおいてあったはずの肌色のおおい雑誌たちは、いったい誰がどこへもっていったのか謎のまま。おそらく目にしているであろう朱里たちに、どこかにやったかと訊くわけにもいかずあきらめている。  落書帳をひらきながら、てきとうにその場に尻をつく。ぱらぱらとめくり、まあたらしい落書きに手をとめた。女の子らしいかわいい文字をみて、なんとなくほっこりとした気持ちになる。ページをめくり思わず俺は、「なん、これ」といって吹きだしてしまった。  どことなく俺と北斗(ほくと)に似たキャラクター、そしてその周りに散りばめられた冷蔵庫のなかみたち。ふたりが取っ組み合いこそはしていないが、ここに描かれているのは今日の出来事だと想像できる。  そしてそこに添えられている文字をみて、これは朱里が描いたものだと直感した。部屋にもどった彼女は、どんな表情でこれを描いたのだろう。そんなことを想像すると、なんだか胸がくすぐったく感じる。 「なあ、これ。朱里が描いたんでなぁ」 「……どれ? うん、そうで。そんなことよりさ、なあ久我(くが)の兄ちゃんってさ、彼女とかっておるん」 「は? なんかそれ、知らんわ。なんでそげんこと……、え、まさか七瀬(ななせ)ってあんなやつが好みなん」 「うるせえな、どうでもいいじゃん! ……けど、かっこいいよな」  自分の直感を確信にかえるべく、俺は七瀬に問うてみた。自分がみていた落書帳から顔をあげた彼女は、俺の手もとのそれを覗きこんでからうなづいた。  だがしかし、すぐに話をかえた彼女。とっぴょうしもなく出てきた言葉に、俺はあっけにとられた顔でことばをかえした。バツが悪そうに視線を自分のもつノートへともどした七瀬だが、その口もとは微かにゆるんでいる。  確かに北斗(ほくと)はぶさいくではないが、あんなキャラが好みなのだろうか。彼女の有無をしったなら、こいつはどうするつもりなのだろう。そんなことを思っているとチャイムが鳴り、茅野がそれに反応をした。 「え、……お前、玄関の鍵したんな」 「いや、鍵なんかかけちょらんよ」 「……そんなら、あがってくるわな」  いましがた帰ったばかりの北斗ではないだろうし、むろん彼ならチャイムなど鳴らすはずもない。他のだれであったとしても、施錠されていないとわかればあがってくるだろう。  とくに深くかんがえることもなく、俺たちは各々のやっていたことにもどる。だが一度めのチャイムからすこしの時がたつが、まだひとが入ってくる気配はなかった。不思議におもい立ちあがったとき、二回目のチャイムが鳴らされた。  あきらかに中からの反応をまつ相手に警戒して、俺は気配をけすようにしながら扉のまえにたった。そっとのぞき穴を確認した俺の背中が、一瞬でまっすぐにのびた気がした。次の瞬間、俺は慌てるように扉をあけていた。 「えっ……あ、光羅兄(あきらにい)。ど、どしたん? 兄貴なら、さっき帰っ……」 「よお、隼斗(はやと)ひさしいのお。あいつじゃねえで、お前にようがあって来たんよ。……あがるぞ」 「え、お、おれに……。あ、うんあがって」 「……皐月(さつき)ちゃん、まだ居ったんな。そっちの男は? なんちゅう名前な」 「あ、茅野です……」 「ふうん、……茅野か。ちょう、隼斗(はやと)と話があるけん、あれじゃ。お前、もう帰れ。皐月ちゃんも、こんな時間まで遊んじょらんで、はよ帰らな」 「あ、はい……。茅野かえるで、……はやく!」  光羅(あきら)のようすからして、あまり穏やかではないとふんだのだろう。七瀬(ななせ)はいそいそと立ちあがり、せかすようにして茅野を連れた。  すれちがう部屋のまえ、ふたりが不安そうな視線をむける。「そんじゃ、またな」と小さくつぶやいた茅野のうしろを、無言の七瀬がついていく。けっして俺も余裕ではないが、なんとか口角をあげうなづいた。  光羅は、七瀬がここにいることを知っていたかのようなくちぶりだった。おそらく門限を遅れた朱里(あかり)がといつめられて、ふたりでここに来ていたことを話してしまったのだろう。  もしも北斗のはなしが本当ならば、きっとこのあと俺は光羅になぐられる。それでもいい殺されはしない、黙ってなぐられてあやまろう。そしてこれからは門限はやぶらせないと、彼に約束をしよう。 「おい、隼斗。こっちきて座れ」 「あ、はい」 「単刀直入に言うぞ、……今後、朱里にかかわるな」 「……え、でも。門限なら……もう、絶対に……」 「門限がどうのじゃねえんよ、わからんか? あいつは俺らとはちがうんよ。まだなんも知らんのよ、こっち側……。できれば知らんままでいってほしいと思っちょんのやけど、おまえには理解できんか?」  光羅の心配していることが、自分の素行のことだというのはわかった。一緒にいることでおなじ遊びに彼女を巻き込んでしまうかもしれない、彼はそれをおそれているのだと感じた。  正直なところ、俺はそこまで考えたことがなかった。ただ一緒にいることが楽しく、一緒にいたいとそれしか頭になかった。俺がそばにいるという事実だけで、もしかしたら彼女に悪い影響をあたえてしまうかもしれない。  光羅からつきつけられた現実に、殴られてもいないのに全身に痛みをかんじる。あたりまえだった自分の生活態度が、こんなことにからんでくるなんて想像もしていなかった。 「あ、光羅兄! 俺な、俺……もう絶対にやばいことせんけえ。約束するけん」 「そげえ、ひとって簡単にかわれんと思うで。っちゅうかの、いいか隼斗……おまえの仲間が、それを簡単にうけいれんと思うんよの」 「もう、やってねえんで。あいつらとも遊びよらんので、ほんとで」 「いま遊びよらんでもの……、さきのことはわからんじゃろうもん」  なにを見透かそうとするのか、するどい眼光でみつめてくる。朱里と知り合ってから、その遊びの連中とは本当にあっていない。光羅が心配しているであろう遊びも、もちろんやっていないと断言できる。  ひるむことなく、まっすぐと光羅の目をみつめる。やっていない、信じてくれと、俺は瞳でつよくうったえた。今後のことが不安なのも、信じてもらうことが難しいのもわかる。 「なあ、光羅兄……、俺、絶対に裏切らんけん」 「裏切らん……か……」 「ほんとっちゃ! 俺、ほんきで言いよるんで」 「本気、のお……。そげえ言うて本気みせたやつ、まだ俺みたことねえけんのう。まあ、あれや。とにかく朱里には近づくな、っちゅうはなしじゃけん」  だめだ、完全に信じてもらえていない。くちさきだけのその場しのぎだと、光羅は俺のことばを聞き流しているんだ。俺はかえすことばを見失い、あぐらのうえで静かに手のひらをにぎりしめた。  ほんの一瞬も視線をそらそうとしない光羅に、どうすればこの気持ちがとどくのだろうか。正解がみつからない、いや正解などないのかもしれない。  おもむろにあぐらをくずし、俺は両のあしをそろえ折りたたんだ。ぴくりとも表情をかえない光羅は、じっと俺の行動をみている。両手をひざのまえにつき、ゆっくりと身体をまえにたおした。 「隼斗、なんしよんの。そげんことされても、困るんじゃけんど」 「……お願いします。絶対に、……ぜったいに俺、変わってみせるけん……」 「じゃけん、変われんっちゃ……土下座とかしたって無理で」 「……お願いします」 「お前、ばかなん? 俺のはなしちゃんと聞いちょったんか」 「……お願いします。すこしだけ……少しだけでもいいけん、俺んこと見ててください」 「……裏切ったら?」 「裏切りません!」 「朱里が、苦しむようなことになったら?」 「絶対に、俺ぜったいに苦しめるようなことは……。けど、もしそんなんなったら……光羅兄に殺されてもいいけん」  たたみにつけた額を、さらに強く押しつける。後頭部で光羅のようすをうかがうが、まったくそれを掴むことはできない。言葉をもらえないままに、こくこくと時間だけがすぎていく。  蹴り上げられる、そう思いみがまえた。無言のまま立ちあがる、光羅の気配をかんじたからだ。どんなに蹴られてもこの姿勢だけは、決してくずしてはいけないと腹に力をいれる。 「のう、隼斗。お前みたいなガキのいう、その本気とかっちゅうの、どげんもんなんか見てみちゃるわ」 「え、……あ、はい!」 「じゃけんど、わかっちょるよのう。……もしもんときは、俺……お前んこと絶対にゆるさんと思うで」
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