第2章

2/11
前へ
/51ページ
次へ
86b04f24-debc-41a5-970f-b368be032b65 第2章…02  ベランダの窓を全開にして、部屋にこもっている煙をそとに追いだした。真夏とはいえほどよく吹く風のせいか、そこまでの暑さは感じられない。  団地のしたで遊ぶ、子供たちの声がきこえてきた。もうすぐこの楽しそうな声もなくなるのだなと、夏休みの終わりが近づくことを再認識する。 「うーっす。……あれ、まだあいつら来てねえんやな」 「そろそろ、来るんじゃねんかや」 「そりゃそうとさ、あれやん。夏休み、終わったら……どげするん。七瀬(ななせ)が言いよったみたいに……」 「ああ……、あれやろ。そうなぁ……一応、考えはしよんのじゃけんど」  夏休みが後半寄りの半ばにさしかかるころ、いつものようにここで過ごしていたときのことだ。誰からともなくはじまった、夏休み後の過ごし方のはなし。  学校がはじまってしまえば、こうして朝からここにくることは難しくなる。そんな現実にきづいた朱里(あかり)は、わかりやすく寂しそうな顔をした。  そんな彼女をみた七瀬は、俺にむかって「学校にくれば?」と涼しくいったのだ。いやみで言ったのか、本気でいったのかは定かではない。しかしその提案をきいた瞬間の、あの朱里の瞳の輝きが脳裏からはなれない。  それから俺は、ずっと悩んでいるのだ。朱里がここへ来れない平日、もちろん毎日など無理なはなしで、普通の学校生活など無茶なはなしだ。  それでも彼女を喜ばせたい、すこしでも多く彼女にあいたい。そんな気持ちが芽生えていて、あの屋上に通ってみようかと考えているのだ。  ふと茅野(かやの)の手にある、落書帳に目がいった。ぺらりとめくられたノートの頁に、朱里の楽しそうな顔がかさなった。その笑顔はその落書帳を、この部屋にもちこんだ日のものだった。 「なあ、お前ってさ。だれかに物とかって、やったことある?」 「は、物? え、やるってプレゼントってこと?」 「プレゼント……。まあ、とにかく……ひとに何か渡したことっちゅうか」 「なんかそれ、ようわからんな。……まあ、どっちしてもあんまり記憶にはねえけんど。あれや、幼稚園んときとか、交換とかはしたような気がするで」 「……幼稚園。交換か……、なんか聞いても意味なさそうやの」 「なんか、その意味ねえっちゃ……。あれか、椎名(しいな)の誕生日かなんかあるんか」 「いやの、そのノート持ってきたとき朱里って嬉しそうやったやん? ひとに物を渡すんって、そげえ楽しいんじゃろうか……って思ったんよ」  茅野にいわれて、自分が彼女の誕生日を知らないことに気づく。朱里がきたら訊いてみよう、そしてなにか贈り物をしてみよう。  そこでふと、よけいな思いが脳裏をよぎる。もしも誕生日が、ずっと先だったらどうするか。いますぐ知りたい、試してみたい。俺のなかの変な願望が、どうにも騒がしくあばれだした。 「なあ、茅野。買い物、いこうや」 「なんの?」 「なんの? ……わからん」 「は? なんそれ……。まじでお前、へんやぞ」  俺に対して変だと吐きすてた彼が、「あ……」といってにやりと笑う。その意味ありげなたいどに「なんか」と問うが、彼はふくみ笑顔のまま首をよこにふった。  俺にたいして変だとほざいた茅野だが、ことのほかすんなりと立ちあがり玄関へとむかった。なんなら早々に靴まではいて、まるで俺を急かすかのような視線をむけてくる。  とりあえず街へは出てきたものの、購入する物がいまだ決まっていない。なんせ今日このときまで、誰かのために何かを買ったという経験がないのだ。  ましてや相手が女子となると、尚のことさっぱり見当がつきはしない。外から店内のようすをうかがって、女子が多そうな店をさがして入店してみた。  店内をうろつく俺たちに、店員らしきひとの視線が釘付けになっていた。それは疑いの眼差しだと直感した俺は、近くにあったカゴを手に取り客であることをアピールする。 「……なあ、居心地わりいよな」 「ん、うん……。けど、なんか買うんじゃろ? ……はよ選べの」 「選べっちゅっても……さっぱり……。朱里って、どんなんが好きなんやろう。全くわからんのじゃけど」  近くから聞こえた可愛いということばに、俺はすかさず振りかえった。ふたり組の女が手にしていたものを確認する。手から商品が棚にもどされ、彼女たちがそこを離れるとそれをカゴにいれる。  そんなことを幾度もくりかえし、少しちいさめのカゴがいっぱいになってレジへと向かった。俺たちのあとを追うように店内を歩いていた店員が、「贈り物ですか」と言いながらやってきた。 「え、あ、……いや、そんなんじゃねえで。……えっと……」 「……一応、可愛いめの紙袋にお入れしましょうか?」 「……あ、えっと。……はい」  黙って会計をすませれるものと思っていた俺は、予想だにしなかったことに赤面した。会計を済まし袋詰めをする間、ほかの客の視線が居心地のわるさを煽ってくる。  お待たせいたしました、と言って手渡された紙袋。そのおおきさと可愛さが、さらに俺に好奇の目をあつめることになった。用事はすんだ、こんなところにはいつまでも居られない。  視線から逃れるように、俺たちはいそいそと店の出入り口へと向かった。外の空気にふれた瞬間、やっとまともに息ができるようになった気がした。 「お! 久我(くが)じゃね? なん、久しいやん。こんなとこで何しよん」 「んあ? 別に、なんもしよらせんわ。……茅野、いくぞ」 「なぁんか、そげえ慌てて行かんでもいいやんか」 「うるせぇ、ひとを待たせちょんのじゃ」 「なんかそれ。最近、いっこもこっち顔ださんじゃんか。お前おらんと、なーんかつまらんのよの……。その待たせちょんやつ放くって、俺らと遊ぼうや」 「……お前らとは、もう遊ばん」 「はああ?」  相手の顔つきがかわった。へらへらと後ろで笑っていたやつらも、いまにも掴みかかってきそうな態度にかわる。俺だって馬鹿ではない、会話だけで終わることができるなんて思ってはいない。  こんなことに、茅野を巻き込むわけにはいかない。そしてこんなことで、朱里への贈り物をだめにするわけにもいかない。 「茅野、悪りいけんど、これお前んちに持って帰っちょってくれんか」 「え、じゃけんど……」 「いいけぇ! 帰れって……。朱里たちには、なんも言うなよ」  紙袋を茅野の胸におしつけ、家に持ち帰るように指示をする。なかなか帰ろうとはしなかった茅野だが、この贈り物を守りたいという俺の気持ちは通じたようだ。  仕方なさそうに紙袋をうけとり、なんども振りかえりながらこの場をはなれる。茅野の姿がみえなくなったのを確認して、俺は連中のほうに振りかえった。  どういう態度に俺がでるのかを、相手はさぐっているようすだ。そこで改めて今後つるむつもりはないと、俺の意思を相手につたえた。  おもったとおり連中は発狂し、裏切るつもりかと拳をぶつけてくる。挑発するような罵倒をあびせられながらも、俺はそれに乗ってはいけないと思い耐えた。 「なんか、久我! なんもやり返してこんつもりか」 「女にのぼせあがっちょるっちゅう、うわさ。あれ本当なんじゃね」 「まじ、どんな女か見てみてえわ。ここ終わったら、探しに行かんか?」 「やっべえ……。なんかもう、おれ興奮してきたんじゃけど。さっさとこいつぶっ殺して、ヤリに行こうや!」  朱里が危ない。瞬時に俺の脳みそが、なにかの指令をだした。そして俺が把握できないほどの速さで、俺の身体は指令に従っていた。  とおまきに見ていた通り客の中から、女の悲鳴があがった。そして俺の目のまえには、立て看板を頭にくらって血を流しているやつがいた。  幾度となく、あがる悲鳴。しかし俺の脳みそは、既に制御不能になっていた。いまここでこいつらを殺ってしまわなければ、朱里が危ない。そう、誰のこえも聞こえない。そして、パトカーのサイレンも聴こえていなかった。 「……また、お前か。なんし仲間内で、こげんことになったんか」 「は? 仲間とかじゃねえし」 「まぁな、……確かに、最近は見かけんな……とは思いよったんやけどの。んで? ……なにが原因か」 「べつに、なんも」 「なんもねえで、こげな大事にならんやろうが……。知っちょろうけんど、……喋らんと帰れんぞ」 「……あ。……なあ、ちょっと……。あのひとと話、させてくれんかや」 「……ん? あのひと……って……」  警察署のなかの狭苦しい部屋。すでに顔見知りになってしまっている警察官は呆れた顔をしている。仲間、仲間とくちにする男に、内心は苛っとしていた。  申し訳ていどの窓のむこうに、母親と億劫そうな北斗(ほくと)の姿がみえた。そしてそんな北斗のうしろに、怒りにみちた顔の光羅(あきら)の姿をとらえた。  警察官は俺の視線をたぐるように窓のほうへと視線をうつし、ここへ入れるわけにはいかないと苦笑いをした。それなら別にいい、ここからも口を閉ざすだけのこと。  一切の質問にそっぽを向いて喋らない俺に、警察官はわかりやすく疲れを顔にだした。光羅のするどい視線は、ずっとこちらを向いていた。  机のうえで両腕をくんでいる警察官のひとさし指は、秒針よりもはやいリズムで時を刻んでいる。ぱんっと全ての指がつくえを叩き、警察官は立ちあがった。 「おい、こら、隼斗(はやと)! お前、ようもこげえ簡単に裏切ってくれたのぉ!」 「違っ……ごめん、光羅兄(あきらにい)……」 「なにが違うか! 言うてみぃ! なにが違うんか!」  なにがあって、喧嘩になったのか。俺は、順をおって彼に話はじめる。茅野は先に帰したこと、朱里たちに対しての口止めのこと。  彼女には、知られたくない。なにより彼女を、巻きこみたくないこと。いまにも殴りかかってきそうだった、そんな光羅の拳がおりた。 「……お前、そこまで朱里を気にできたんなら、なんでもうちっとう……我慢できんやったんか」 「……だって、だってな。あいつらが……朱里にな……」  連中が朱里の存在をしっていて、興味をもっていたことをはなす。俺が仲間にもどれば彼女は安全かもしれない、しかしそれはしたくなかったと。  そとに出ていた警察官が、部屋へともどってきた。俺と光羅のはなしは、警察官に聞かれていたのだろうか。それはわかりはしないのだが、やけに絶妙のタイミングだった。  警察官は光羅の背中をかるくたたき、そとに出るようにと顎でしめす。 「光羅兄!」 「……わかっちょん。すまんの……隼斗。……無茶……すんなや」  きっと彼は、このことを彼女には伏せてくれるだろう。伏せてはくれるだろうが、今後のことはどうなのだろうか。いままで通り、会うことを許してはくれるのだろうか。  扉のむこうに、呆れた顔の北斗がみえた。振り向かない、光羅の背中。警察官によって扉がしめられるまで、俺は不安なきもちでそれを見送った。
/51ページ

最初のコメントを投稿しよう!

18人が本棚に入れています
本棚に追加