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第2章…03
翌日、私たちは隼斗たちには会えなかった。翌々日も、そしてまたその翌日も隼斗に会うことは叶わなかった。
光羅から交際を禁止されたわけではなく、外出を禁じられているわけでもない。私たちは毎日、隼斗の家へ通っていた。
しかし玄関には鍵がかかっており、なかへ入ることは出来ずにいる。扉のむこうに、ひとの気配を感じることはできる。それなのに、鍵があけられることはなかった。
「なんで、開けてくれんのじゃろうか……」
「……わからん」
「もういっかい、……ならしてみる?」
私たちのチャイムに、いちどは玄関まで誰かがきている。しかし少しするとその気配は、奥へと去ってしまうのだ。
私たちだと確認したうえで、無言の対応をしていると判断をする。チャイムに伸ばされたひとさし指が、それを押さずにゆっくりと帰ってくる。
そこに居るのは誰なのだろう、どうして扉を開けてはくれないのだろう。わたしは嫌われてしまったのだろうか、だとしたら何をしたからなのだろうか。
心のなかでひとり問うてみても、答えなどでるはずもない。不安ばかりが募っていき、その場にいることにも戸惑いを感じてしまう。
夏休みの、最後の日。今日はどうするかとの皐月からの電話に、わたしは行かないと返事をした。しかしそれは、わたしがついた嘘だった。
あのどんよりとした雰囲気のなかに、まいにち彼女を巻き込んでいるのが申し訳なかった。どうせ今日も開けてはもらえない、それならひとりで行こうと思ったのだ。
団地のしたに着いたわたしは、それを見あげてため息をついた。どうしてこんな事になってしまったのか、理由がわからずに気持ちのやり場がない。
重たい心をぶら下げたまま、踏みしめるように階段をのぼっていく。三階のその扉のまえで、やはりひとりは心細いと感じて後悔をした。
ふとのぞき穴が目につき、おもわず右手でそれを塞いだ。いまこの情けない顔を、なかの人物にみられることが心もとなかった。左のひとさし指が、チャイムを押す。
「……だれな」
「…………」
玄関までやってきた気配は、しばらくすると問うてきた。それは、隼斗の母親のものだった。怯んだわたしは、声をだすことができずにいた。
まさか、中からの反応があるなんて。わたしだと伝えたい気持ちと、いますぐ逃げ出したいきもちがぶつかった。頭のなかの整理がつかずに、そのまま固まってしまう。
「……どちら……さん?」
「あ、えっと……」
「……ん? ……朱里か?」
「……あ、うん」
勢いよく扉があけられ、ほぼ同時にあたまに平手打ちをくらった。リアクションに戸惑ったわたしは、とりあえずへらっと笑ってみせる。そして二発目の平手打ちを、ふたたび頭にくらった。
「この馬鹿娘が! あんた、穴かくしちょったんやろ」
「うん、……ごめん」
「ごめんじゃねえが、ほんと困った子じゃな。……誰かと思うて、びっくりするやろうがね!」
「おばちゃん、隼斗……おる?」
玄関は開けてもらえたが、なかに入れてくれる様子ではなかった。そこに彼のくつがないことは見て取れたのだが、私のくちはそう問いかけていた。
案の定、居ないという返事。そして続けて、しばらく帰らないだろうと付け加えた。ことばの意味はわかるのだが、この状況が把握できない。
そしてそれを問うてみても、彼の母親からの説明はなかった。しばらく粘ってはみたものの、結局は最後まで教えてはもらえず、帰ったら連絡をさせるからと追い返されてしまった。
あの日からいちども隼斗に会うことはなく、二学期は始まってしまっていた。もしかしたら来るのではないかという淡い期待が、私たちを屋上へと入り浸りさせる。
この数日間ここでこうして休み時間をすごし、放課後になれば団地へといき無言の仕打ちをうける。私も気まずいが、彼の母親もきっとうっとうしいと感じているだろう。
「なあ、あれから久我と連絡とかとれたん?」
「いんや……。家とかも、行ってみよんのやけど。おらんみたいなんよな……」
「そうなんや? ……あれっきり、茅野にも会っちょらんよな」
「そうでな、一緒におるんやろうか……」
「どうするん? 今日も、家にいってみるん」
校舎のなかに、チャイムが鳴りひびく。まもなく昼休みが終わるという知らせだ。ため息をつきながら重い腰をあげ、それぞれの教室へとかえっていく。
席替えにより、わたしの席は窓ぎわではなくなった。しかし私はためらうことなく、窓ぎわのせきへと着席した。そうここは教室にいない、茅野の席なのだ。
なんの授業がはじまったのか、あまり把握できないままに時間がすぎる。わたしの視線はずっと外にあり、ときおり時刻を確認するためだけに教室にもどる。
正門から、一台のタクシーが入ってきた。タクシーで来校するとは、なんとなく珍しい客ではないだろうか。中央にある池をまわって、タクシーは正面玄関のまえに停車した。
「うそや!」
「……どした、椎名。嘘じゃねえぞ、まだ授業中ぞ。はい、ちゃんと座れ……あ、こら! どこ行くんか、戻らんか!」
「うるせぇ!」
「う、うる……。こら! 戻れー!」
停車した車のドアが開き、そこから姿をみせたのは隼斗だった。自分の椅子をなぎ倒し、大声をだして立ちあがってしまう。
教員をふくめクラス全員が注目したが、わたしはそれには気づいていなかった。教員がなにかを言ったが、耳障りな音にしか聴こえない。
そのまま教室を飛びだして、わたしは中央階段を駆け下りた。三階からの距離、どんなに急いでも間に合わなかった。寸でのところで行きちがい、隼斗は職員室へと吸い込まれてしまった。
それを追いかけるように、職員室の扉に手をかける。しかし扉のむこうにいた教員に、入室は阻止されてしまった。
「こらこらこら、まだ授業おわってなかろうが。ほら、教室にもどりなさい」
「あ、いや。……ちょっと、用事が」
「なぁんの用事があるんか。……嘘はいけん、うそは」
「嘘じゃねえっちゃ。いま、久我がきたじゃろ? ちょっと用事があるんって」
「久我に? ……ああ、担任の矢野先生と大事な話やけん、なおさら入らせるわけにはいかんな」
担任と、大事なはなし? 担任の、矢野? ここではじめて、皐月と隼斗が同じクラスだということを知った。
何がなんでも通すことはできないという教員にまけて、わたしは仕方なく引きさがる。しかし教室にもどることはせずに、正面玄関のなかの来客用靴ばこの前に座りこんだ。
授業中である校舎のなかは、とても静まりかえって落ちつかない。事務窓口にいる職員の視線も、居心地のわるさの要因になっている。
職員室の扉がひらく音に、わたしは立ちあがった。目視をしたわけではないが、挨拶を交わすやりとりから隼斗たちだとわかった。
来る……、もうすぐ彼がくる。近づいてくる気配に、泣きそうな気持になる。駆け寄りたい衝動をこらえ、廊下を曲がってくる隼斗を待った。
「……あ……あかり……」
「……は……や」
「隼斗! ……いくで、はよ!」
わたしの姿に気づいた彼は、一瞬だけ立ち止まった。しかし私たちの会話を阻むように、彼の母親が隼斗の腕をひいた。
空気が重い。そして彼の表情も、とても重い。怒っているそれとは違う感じで、眉間をよせ目を逸らした。なぜ、なぜなのだろう。靴をはく彼の背中に、答えはみつからない。
やっと会えたと思ったのに、少しの会話も許されないこの状況に頭がついていけない。隼斗の母親は、なにをそんなにぴりぴりとしているのだろうか。
「隼斗! ……なんで? どしてなん」
「…………朱里、ごめんな。……ばいばい」
放心していたわたしは、靴をはいた彼を見送ってしまっていた。隼斗が玄関をでてしまったことに気づき、慌てて声をかけて追いかける。
タクシーのドアのまえ、隼斗の動きがとまった。しかし彼は振りかえらず、つぶやくように言葉を残し車に乗り込んだ。
訊きたいことなら、たくさんある。なのにそれが、スムーズに出てこない。彼の母親の合図で、タクシーのドアが閉められた。隼斗と二度と目があうことはなく、車はゆるやかに発車した。
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