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第2章…04
扉が完全に閉められてしまい、光羅とのつながりを断ち切られた感覚をおぼえる。彼は俺にあきれてしまっただろうか、愛想尽きてしまっただろうか。
向かいの椅子に腰かけた警察官が、「いまの人とは?」と俺と光羅との関係性を問うてきた。俺は先輩であるということだけを伝える。
きっとこいつは中の話を聞いていた、もっと詳しく訊きだそうとしているに違いない。これは俺が勝手にやったこと、光羅たちを巻き込むわけにはいかない。
「……なあ、帰っていいかや? もう今日みたいんは、ねえと思うけん」
「ほお、えらい自信ありげやの」
「…………」
「まあな、なんとなく……お前の考えちょることは、わかるような気もするんやけどの。……じゃあけんど、……のぉ……」
ああ、俺はここに泊りなのか。こいつの濁し具合で、容易に察しはつく。どうせ何故だとたてついても、過去があるからだと返されるにちがいない。
こいつらの考えていることは、おそらくこうだ。取り敢えずひとばん牢にぶちこんで、すこし反省でもさせておこう。現実に、そんなことで反省するようなやつはいない。
たったひとばん自由をうばわれたとて、寝てしまえばあっという間に朝はくる。雨風しのげる寝床をあたえられた、それくらいにしか思わない。
思ったとおり、俺はそのまま留置所に連れていかれた。途中、帰っていく北斗と光羅の後ろ姿をみた。母親の姿は、見当たらなかった。
俺にしてみれば、久しぶりの留置所。なにも苦痛ではなく、すぐに眠りにつけるはずだ。ほとんど見えない夜の空、月のあかりすらあるのかわからない。
朱里は、どうしているだろうか。戻らない俺を、どう思っただろうか。怒って家に帰ったのだろうか、それとも心配させてしまっただろうか。
明日、きっと何をしていたのかと訊かれるだろう。俺はどう言い訳をして、どう謝るべきなのだろうか。なんだかやけに、今日は夜が長いな。
「おーい、久我……起きろよ。親に着替えの連絡するけん、なんか必要なもんあるか」
「……は? なん、着替えって」
「なんって、ずっと同じパンツ履いとくわけにゃ、いかんじゃろうが。とくに無いなら、親の判断でもってきてもらうけんの」
状況は、嫌でもわかる。しかし今回にかぎって、なぜ長居することになったのか。訊いてみたところで、とうぜん詳しい返答などあるはずもなく。
俺を呼び起こした警察官は、鍵をあけることはなく去っていった。俺とやり合ったあいつらが、重体にでもなってしまったのだろうか。
数日後、母親が着替えの取り換えにやってきた。なぜ自分がこんなに長く帰れないのか、母親に訊いてみたが「知らん」とひとこと返された。
俺は声をおとして、朱里のようすを問うてみる。母親も同じように周りを気にし、ちいさな声で「あん子にはなんも言うちょらん」といった。
居留守をしても追い返しても、彼女は懲りずに毎日やってくるという。「もういやだ、うんざりだ……」最後に母親はそういって、着替えを置いて部屋をでた。
「……なあ、兄貴。……俺って、どうなるんかや」
「さぁな。……なんか、家裁のよびだしやらで、ババア……だっちょんみたいやわ」
「家裁……。まじか、……施設……かやぁ」
何度目の、家庭裁判所だろうか。俺はわかりやすく落胆し、机のうえに肘をつき頭をかかえこんだ。もう後はない、前回のときに忠告をされていたのだ。
大丈夫だと北斗はいうが、それは単なる慰めのことばでしかないと知っている。望みがうすいことは薄々かんじてはいるが、捨てたくはないとため息にかわる。
もどされた留置所のかたい床のうえ。寝ころがって無機質な天井をながめていた。夏休みは、あとどのくらい残っているのだろうか。
彼女は、どうしているだろう。まだ毎日のように、家に通ってくれているのだろうか。あまりにも時間がありすぎて、昼夜の感覚がわからなくなっていく。
持て余すほどの時間は、俺に色々な思考をあたえてきた。あれをやってなければ、これを止めておけば。はじめて留置所のなかで、俺は後悔という感情をいだいた。
月が替わりしばらくしたころ、母親がいつものタクシーで迎えにきた。「ばかたれが」そういって俺たちを乗せ、運転手は市営の団地へとむかう。
「さっさと風呂はいって、はよ支度しよや……」
「……支度、……家裁な」
「どこでんいいけん、はよ! はよ風呂いってきよ!」
自宅に着くや否や、気忙しく身支度をさせられる。おそらく家裁の呼び出しにあわせ、俺を迎えにきたのだろう。気乗りなどするはずもなく、だらだらと支度をする。
「隼斗、時間がねんぞ、はよせえよ!」
「うるせぇ、ジジイ……」
団地の駐車場に車をとめた運転手は、玄関をあけるなり俺にむかってそういった。そのまま台所へとあがりこみ、冷蔵庫から麦茶をとりだしラッパ飲みをする。
そんなあいつを横目でみながら、俺は風呂場へとむかった。俺がジジイと呼んでいるあいつは、母親のお抱え運転手ではない。男と女の関係であることくらい、ガキの俺でもしっている。
俺をかろうじて繋ぎ止めていた、心もとない微かなのぞみ。それは連れていかれた家庭裁判所で、こっぱみじんに打ち砕かれてしまった。
いまの生活から切り離されてしまう、それが確定してしまったのだ。おそらくもうお手上げだと、母親が家裁に泣きついてしまったのだろう。
あの日、北斗は母親も繋ごうとしていると言っていた。しかしそれは彼のうそ、こんな俺を家においておくのは面倒だったに違いない。
「……ジジイ、どこ行きよんのな」
「…………」
ルームミラーで俺をみた彼は、何もいわずに目をそらした。すぐに母親から、学校だとつげられる。その行き先をきいた瞬間、俺の脳裏には朱里の顔がうかんだ。
一瞬でもいい、会うことができるだろうか。いや会わなくていい、遠くからひとめ見るだけでいい。話したい、いや辛くなるだけだ。俺のなかで、何かがせめぎあう。
正門をぬけた瞬間、俺の視線は彼女のすがたをさがしまわっていた。どこにも生徒のすがたがないことに、いまが授業中であるとわかった。
なんてタイミングが悪いのだろうと思う反面、好奇の目にさらされることはないと安堵もする。
「あ、久我さん。……ここでは、あれなんで。向こうの部屋にいきましょう」
職員室にはいるなり、ひとりの男が走りよってきた。痩せこけた男に、母親は深々とあたまをさげている。向こうの部屋、それは職員室よこの応接室だった。
職員室と繋がっている内扉をあけ、男は俺たちをそこへと誘導した。ソファーに座り向かい合ったこの男は、矢野と名乗った。どうやらこいつが俺の担任らしい。
俺が留置所に泊まっているあいだに、あらかたの話は済ませてあったのだろう。母親は矢野に、最終結果だけをつげた。
廊下側の扉のまえが、なにやら騒がしい。なかへ入らせろと騒いでいる声に、俺は胸が締め付けられた。そのやり取りはしばらく続き、そしてやがて静かになる。
「久我、わかったか? ……先生な、お前のこと待っとるけんの。真面目に、……しっかりと頑張って、はよう帰ってこいよ」
「……え? あ、……ああ」
とつぜん話をふられて返事をしたが、正直どんな話をしていたのか聞いていなかった。俺の意識は完全に、扉のむこうの朱里に持って行かれていたのだ。
担任は待っているといったが、俺は余計なお世話だと思った。俺が待っていてほしい人間はただのひとり、朱里だけだと思ってしまった。
職員室側にもどり、そこにいる全ての教員に頭をさげた。そうしなければならないような、そんな雰囲気に覆われていたからだ。
息苦しいそこから解放され正面玄関へむかうと、そこに情けない顔をした朱里が立っていた。おもわず立ち止まり、名前をくちにしてしまう。
いまにも泣きだしてしまいそうな彼女の顔に、俺はどうしていいかわからない。それを察したのか、母親が俺のなまえを呼んだ。はっと我に返った俺は、彼女の前から離れ背をむける。
「隼斗! ……なんで? どしてなん」
「…………朱里、ごめんな。……ばいばい」
振りかえれなかった。なぜこんなことになっているのか、何があったのか。理由を訊きたいという彼女の訴えに、正面から向き合う自信がない。
振りかえることなく絞り出したことば、それが今の俺の精一杯だ。泣かせてしまった、苦しませてしまった。こんなことになるとわかっていたならば、俺たちは最初から出会うべきではなかったのかもしれない。
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