第1章

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bbaa15a3-bb1b-4bf5-b6ed-a56ed97a3a7c 第1章…02  中学に入学して間もないわたし椎名朱里(しいなあかり)は、幼稚園のころに通っていた小学校の運動会にきていた。  こんな離れた場所にある幼稚園に、わざわざ通っていたのには理由がある。そのわけというのは地区内に小学校がなく、ここの園児になるほか対処法がなかったというごくありふれた理由なのだ。  今日もあのころと同じようにここまで歩いてきてみたが、年齢も身体も倍ほどになった今でもここまでの道のりは決して楽とはいえなかった。  通園路だった道のほうをながめ、半べそをかきながらでも毎日かよっていた自分に感心してしまう。  幼稚園の出入りぐちの先の道路をみて、そうそうここを歩いてきてたんだと懐かしく感じた。通園路を逆もどりするように視線をのばしていき、ふと緑色の歩道橋が目にはいる。 「あ!」 「うわっ! ……なにびっくりするやん、急に大声ださんでよ」 「あ、ごめん。いや、歩道橋がなつかしいとおもって」 「……ほどう……きょう?」  この小学校の運動会にさそってくれた七瀬皐月(ななせさつき)が、小首をかしげ近づいてくる。彼女は私の視線のさきを確認したいと思ったのか、必要以上に身体をよせてくる。  身長差はさほど支障はないと思われるのに、「どこどこ?」となぜかつま先立ちする皐月(さつき)。おもわず彼女の視線にあわせるように腰をひくくして、「ほら、あそこ」と道の先にわずかにみえる歩道橋を指さした。 「ああ……、あれか」 「みえた? あれな、あの歩道橋には絶望感の思い出があるわ」 「なんな、その絶望感って……」 「なんちゅうかな……。家をでるやん、いややなって思いながら歩くやん。……歩道橋がみえたら幼稚園が近けえやん? ……絶望的じゃん」 「なんそれ、意味わからんのやけど。……まじうける、んで? 帰るとか?」 「帰りてえけど、帰れんのよな……。歩道橋のうえにな、先生がきちょんのよ。嫌だって泣きよんに、むりやり引っぱって連れていくんで、……ありえんくね?」 「やば……。朱里(あかり)、それって半端ねえ問題児やん」  皐月(さつき)は瞳をくるくるさせて私をみたあと、大袈裟に手をたたきながら破顔して笑った。  笑いすぎだと苦笑いする私の腕をかるくたたき、想像したら強烈すぎるとさらに笑いははげしくなる。そんな彼女と私がしりあったのは、中学校の入学式の日だった。  市内の数ある小学校のうち三校があつまる中学の入学式は、ひとみしりである私にとっては地獄のような式典だった。面識のないひとたちの群れのなかで、気分が悪くなってしまいそうな心境ですわっていた。  そんななかで「どこの小学校?」という問いかけに振りむくと、八重歯がかわいい彼女の笑顔があったのだ。質問にこたえはしたが、愛想よくできたかと問われると自信はない。  それでも彼女はいやな顔ひとつせずに、ぐいぐいと私との距離をちぢめようとしてきたのだ。  最初のうちはずいぶんと身体に力がはいり息苦しさすら感じていたが、そんなかまえもしだいに薄れていき自然と笑顔で話せるようになっていった。  そのままなんとなく行動を共にするきかいが増え、気がつけばいつも一緒にいるようになっていた。 「まじ笑いすぎやけんな! 怒るで……」 「ええ、ごめんっちゃ。……けど、まじやべえ」 「もう、うるせえっちゃ! ……あ」  ふと視線をむけた先に、ブランコがあることに気づく。決して広いとはいえない園庭の隅にあるブランコに近づき、その小ささに懐かしさと可笑しさがこみあげた。  そこにお尻をはめることは危険な行為だと脳がしれいをだすが、その危険に立ち向かってしまいたくなるほどわくわくして仕方ない。  そんな私の行動に気づいた皐月は、自分も乗りたいと駆けよってきた。座ったばかりのブランコの鎖は、彼女に激しく引っぱられ大きくうねりはじめる。 「ちょっと待ってな、いま座ったばっかりやん」 「ええ、いいじゃん……代わってよ」 「なんでな、まだぜんぜん漕いでもねえんやけん。……ちょっと引っぱらんでよ、こげんじゃん」 「またすぐに代っちゃるけん、な! なあ、乗らせてよ、なぁなぁなぁ……」  皐月のありえない程のわがままぶりを見て、ふっと何かが脳裏によみがえる。いまの感覚はなんだったのだろうと、ぼんやりとして鎖をにぎる手の力がぬけた。  その隙をつかれ、まんまと彼女にブランコを奪われてしまう。あっと思ったときにはすでに彼女はブランコに座り、少女のように楽しそうにブランコを漕ぎはじめていた。  たしか幼稚園のころにも、こうして誰かにブランコを奪われていた記憶がある。満足そうにブランコにすわる皐月を眺めていると、さきほどの感覚が少しずつよみがえってくる。たしかそれはピンク色の帽子、もも組の女の子だったような気がする。 「なあ、昔もな……皐月みたいな子がおったんで」  おぼろげな記憶ではあるが、よみがえった記憶を彼女に話してみた。しかし前後におおきく揺れている彼女には、私の話などまったく聞こえていないようだ。  とりあえず自分の話したいことは話たけれど、聞いているのかいないのか反応の薄い彼女。こちらを向いて「えへへ」と笑ってみせる皐月に、「ふふん」とため息まじりに微笑みかえし、となりにある鉄棒へと移動した。  腰の高さほどにある鉄の棒を、両手できゅっと掴んでみた。晴れた日中の陽ざしのなかでも、それはやはり鉄なんだと思わせる冷やりとした感触だった。  両手はそれを掴んだままに、私は体重をおもいきり後ろに投げだした。ずりりと地面を滑りそうになる足に、ぐっと力をこめて踏みとどまる。  このまま足を持っていかれれば、確実に尻は地面とぶつかる。心のなかで「あぶね……」とつぶやき、私はひとりでにやにやとしてしまった。  そんな私のひとり遊びに気づいた皐月が、ブランコから飛びおりて私の横にならんだ。密着させた彼女の腕は、ぐいぐいと容赦なく私を押してくる。 「なぁなぁ、さっき朱里(あかり)なんか言いよったやん? なんていいよったん」 「やっぱ聞いてなかったんやな。……ちょ、ちょっと、なんでそげえくっついてくるんな」 「……あ」  鉄棒を取られまいと押しかえす私をみて、瞳をきらきらとさせて何か話たそうな顔をする。こちらの話をまともに聞いても貰えないのに、誰が聞いてやるもんかと知らん顔をした。  しかし彼女はおかまいなしに、き組の女の子とやらの話をはじめてしまう。皐月(さつき)の話によるとその女の子は、あまりひとと遊ぼうとせずにいつもひとりで遊具で遊んでいたそうだ。  それなのになぜか皐月の目には、女の子が楽しそうにみえて仕方なかったらしい。気になってしょうがなかった皐月は、つねに女の子のあとを追い遊具の取り合いになっていたそうだ。 「そしたらな、その子……なんで、そんねえついて来るんな! ……って怒りだすんやが」 「そりゃ怒るわな。皐月のそれ、ほぼほぼ、嫌がらせやんな」 「嫌がらせとか言わんでよ、楽しそうやったんやけん……しょうがねえじゃん。あ、そうそう……いっかいだけ、その子のほうが先生に怒られたことがあったわ」 「は? なんそれ、なんで奪われたほうが怒られんといけんのな、意味わからん」  にやりと笑った皐月が、すっと鉄棒から手をはなす。少しはなれた場所にあるすべり台に駆けより、階段の中ほどをつんつんと指さした。  遅れて近づいた私の到着を待って、「ここから落とされた」と皐月がいった。自分が落ちるまでのいきさつを知らない他の園児が先生を呼びにいき、き組の女の子は悪者にされたのだと笑う。  皐月は私の話を聞いていなかったので、気づいていないのだろう。しかし私はこの時点で、彼女がもも組のあの子だということに気づいてしまった。  執拗に追いまわされ、遊具という遊具すべてを奪っていたあの子。憎んでいたわけではないけれど、いきおいで突き落としてしまい泣かせてしまった。  先生のお小言なんて耳に入らず、あの子のことばかり気になっていた。 「なぁなぁ、……いまさらなんやけどさ、ごめんな」 「……んあ? なにがな」 「ああ、聞いてねかったんやっけ。……あれやわ、皐月ってさ、もも組やったんやろ? き組のその女の子っちゅうやつ? それ、あれやわ……私やわ、たぶんな」  ハニワのように、ぽかんと私の顔をみる彼女。おそらく頭のなかは忙しく、情報の処理をしようと煙があがっているのだろう。  それならば、この私だっておなじだ。何気なく話した記憶のなかの少女が、また何気なく語られた記憶のなかの少女と再会をはたす。そんな現場に居合わせてしまったのだから。 「え、……え……っと。うちらって、幼稚園から知り合いやったって……こと?」 「……でな。っていうか、わざとじゃねかったんで? ガチで、ついつい……なんやけど、突き落としてごめんな」 「いやいやいや、うちも追いかけまわしてごめんな! なんか、……なんなんやろ……なんかわからんけど、気になっちょってから」  ふたりの言い訳がましい謝罪大会は、苦笑いとともにしばらく続いた。そしてどちらからともなく、親友のちぎりを交わそうという話になる。  裏切るような行為はしない、何があっても離れない。親友ならぬ心友としての規約を、その場でふたり言いあって指切りをする。  証としてなにかで盃を交わそうと言いだしたのは、甘え上手な皐月の遊び心なのだろうか。お酒のイメージの盃を、私たちは焼りんごで交わそうと意気投合した。  正門にいけば屋台が出ているだろうという皐月は、私の腕にからみつくと凄い勢いで引きはじめた。  砂ぼこりのたちあがるなか、目を細めながら運動場の北側をあるく。古めかしい体育館のよこを通りぬけて、校舎につきあたり私は足をとめた。  「どっち?」「こっち」などという簡単な会話のあと、ふたりで校舎の下をそって正門へとむかう。校舎の中ほどにさしかかりもうすぐ焼りんごだと浮かれていたとき、この場にふさわしくない言葉が耳に飛びこんできた。 「ぶうーーーーーーっす!」  違和感のありずぎる言葉に、空耳を疑いながらも辺りをみまわす。  校舎のしたでは教員たちが競技の準備におわれ、テントの下のひとたちは運動場をとりかこむ。誰ひとりとして私たちと、視線のあうものなど居りはせず小首をかしげる。  諦めて進もうとすると、かすかに聞こえる笑い声。どうやら上からの声だと感じた私たちは、片手を額にそえて校舎をみあげた。  誰かがいるという皐月の言葉に、私も目を細めながら必死にさがす。しかし光に弱い私の瞳では、長時間の捜索活動は困難だった。あふれでる涙をぬぐいながら、左右のまぶたを交互にとじる。 「三階の教室……、窓……開いとるやん? そこに、誰かおる。……みえる?」 「……だめや、目がいてえ」  私たちの行動をみて楽しんでいるのだろうか、くすくすと含み笑いをする声が聞こえている。この場を離れようとすれば、ちいさく飛んでくる「ぶす」という罵声。  声の主は男であり、向けられているのは私たちだと確信できた。聞こえてくる限りの声色に、心当たりのある人物は思いうかばない。誰だと問いただすことも可能だろうけれど、そこまでする意欲がわかないのも現実だ。  見上げつづける首と瞳の疲労と、ことの展開のなさに嫌気がさしてくる。 「なあ、皐月……、わたし目が限界なんやけど。もう行かん?」 「ん? ……そうやな。ばからしいけん、もう放っちょこうか」 「うん、そうしょうや。それより、はよ焼りんご行こうや」  両手で涙をぬぐって、正門のほうを向きなおす。あびせられるであろうと思われていた罵声は、それから降ってくることはなかった。一瞬だけ拍子抜けをしたのは事実だが、そんなこともすぐにどうでもよくなる。  一歩二歩と遠ざかるにつれて、私の意識もその場から離れていく。まもなく正門がみえてきて美味しい香りが鼻に届いた瞬間、私たちの足取りは軽くなった。  りんご飴の赤を目にした瞬間、さっきの出来事は私の中から完全に消え去ってしまっていた。
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