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第2章…08
国道沿いを流れる川をわたりすこし走った場所、小高い丘に囲まれたたずむ県立豊徳学園。ここが今回、俺がおくりこまれた場所だ。
児童自立支援施設などといえば、舌をかみそうなうえに堅苦しい感じがする。しかし実際のここは、そこまで堅い雰囲気ではなかった。
大自然とまではいかないが、このあたりは田舎で自然がゆたかな場所だ。緑にかこまれた敷地のなかには、本館である学校と体育館やグラウンドがある。
中庭のようなものを挟んで男子寮と女子寮があり、敷地をかこむ高い塀のようなものはない。みたところ普通の学校と、なんら変わりはない施設なのだ。
「なあ、……俺さ、思うんじゃけんど」
「なんが……」
「これってさ、普通に逃げれるくね?」
健全な心は、健康な身体から。そんなことを掲げているこの施設では、早朝のトレーニングと称して施設のそとをランニングする。
そう、施設の外なのだ。朝はやくから畑仕事をする年寄りや、犬の散歩をしているひとと普通にすれちがう。ともに走る職員も多くはなく、見張られている感覚はほとんどない。
川沿いの県道をはしりながら、右手にみえる川のさきをみる。体力に自信のあるものなら、あの橋をこえ国道にでることは容易いこと。
「……お前、やめとけよ」
「え、すりゃあせんけど……」
「うん、……そんならいいんじゃけんど」
ここの新入りたちは、必ずといっていいほど同じことをいうらしい。なかには実行に移してしまい連れ戻され、繰り返し行ったものはそれなりの処置をうけたという。
入園期間の延長だけならまだいいが、ほかの施設への移動となるとかなり面倒な生活になるという。他の施設を経験しているものや話を聞いたことのあるものにしてみると、ここの学園はとても恵まれているそうだ。
ランニングを終えると一息つくひまもなく、朝食へと食堂へむかう。朝食が終われば、またすぐに本館へと移動する。本館では八時半から十七時まで、授業や部活動できたえられる。
小学校からまともに学校へは行っておらず、中学は屋上以外を知らない俺だ。学生の生活というものに面倒は感じるが、新鮮であるのも確かだった。
いちにちを終え寮にもどると、夕飯までの少しの自由がまっている。数字や漢字でがちがちになった脳みそで部屋に戻ると、同室の男がくつろいでいた。
「なあなあ、久我ってさ……なんで、そんげえ真面目にやりよんの?」
「年末の帰省、……取り消しくらいとうねえやん」
「え、帰りてえん? ……ろくなことねえで、帰ったって」
「ちゃんと話しちょらんやつが、居おんけん……」
「……話? まさか、女とか言わんよのう。……やめちょけよ、会わんほうがいいと思うで」
呆れたような顔で俺をみて、最後にガキ臭いと鼻でわらう。この男いわく、居なくなった者はすぐに忘れられるのだと。さっさと新しい男をつくって、毎日たのしくやっているのだという。
一瞬、不安が過らなかったわけではない。しかし俺は彼女に限ってそんなことはない、きっと俺を待ってくれていると信じている。
ただ気がかりなのは、最後のことば。あまりにも急なことすぎて、俺はなにも考えることができていなかった。あのセリフは、致命的だと焦りをかんじている。
だから俺は、何がなんでも年末の帰省をする必要がある。ちゃんと朱里にあって、事情を説明しなければ。そして待っていて欲しいという、自分の気持ちを伝えなければならない。
年末の三十日から明けの三日までの五日間の帰省。自宅以外への外出は禁止、家族以外との接触は禁止。そんなありきたりな決まりごとを言い渡され、念願の地元へと帰ることができた。
いつものジジイのタクシーで、片道一時間ほどの道のり。こんなに遠いみちのりだったろうか、こんなに一時間とはながいものだっただろうか。
「おーう、不良少年。どげえか、真面目にやりよんのか? あれじゃが、茅野には言うちょるけん、多分そろそろ来るとおもうで」
「兄貴……。朱里……には?」
「いや、あいつには……まだ言うちょらん……」
あの日、北斗は俺と入れ違いで朱里にあったという。彼女はかなり取り乱しており、それは大変だったと話した。
そんな朱里を光羅が強引につれかえり、自分はそれっきり彼女には会っていないといった。
朱里をここへ連れてくることは可能だろうか、それとなしに北斗に尋ねてみる。彼はすこし渋いかおで、あまり期待はできないかもしれないといった。
そうだった、俺は光羅との約束を果たせなかった。殺されてもかまわない、そう啖呵をきっておきながら。こんなにも簡単に、彼女を苦しめてしまったのだ。
会わせてもらえるなんて、容易く考えてはいけないのかもしれない。きっと光羅は、俺のことを憎んでいるにちがいない。
「まあ、だめもとで……椎名んとこ、行ってみちゃんけんど。……期待せんで待っちょけ。……おっ、茅野……あいつ帰っちょんわ、あがれの」
「ちいーっす。……帰るんですか?」
「ん? いや、朱里んとこ行ってみろうと思って」
「……え、椎名ん……あ、ああ……そうなんや」
出掛けようと玄関にいった北斗は、やってきた茅野とはちあわせた。彼は北斗の行先をたずね、表情をくもらせる。
「おい、なんしよん。はよ、あがれの」
「えっ、ああ……。なんか隼斗、元気そうやん」
「おう、健康的な生活しよんけんの。……ちゅうか、朱里になんかあったん?」
「……なんで?」
「いや、あんまりいい顔しちょらんけん」
それこそあの日、俺が学校にいった日は大変だったと苦笑いをする。それからしばらくは会話もすくなく、笑顔なんてなかったと話す。
しかしそれも徐々に緩和され、いまでは元気な笑顔にもどっていると。心配しなくていい、彼女は大丈夫だとくりかえす。
こいつは、嘘がへたくそだ。いちども視線をあわさない、その時点でアウトだ。きっと朱里について、あまりよくない知らせがあるのだと感じる。
「……なあ、嘘やんな?」
「え、嘘じゃねえし」
「そうなん? あいつ、部活とか入ったんかや。……ちゃんと勉強しよんのかや」
「部活? そんなんするわけねえやん、授業もでよら……あ……」
「……学校、……行きよらん……とか……」
「いいや、学校にはちゃんと来よるで! ただ、……屋上に……」
授業をまともに受けていないと、うっかり漏らしてしまった茅野。どうやら彼の話をきくと朱里の生活態度は、以前とはちがってしまっているようだ。
それもこれも、もとをただせば俺のせい。俺が彼女のこころを不安定にさせてしまった、ちゃんと話をしなければならないと感じた。
確かに、あの屋上は居心地がいいだろう。あの場所で過ごしているという彼女のことを、頭のなかで想像してみる。もう一度、俺もあの場所にかえりたい。
「……居心地、いかったもんな」
「んー、まあな。……じゃけんど、最近は和泉……っ! あ……いや、その」
「なん、和泉……って……。三年の、和泉んことか」
思いもよらない名前に、俺のこえが低くひびいた。苦虫を噛んだような表情で、茅野は意識的にしせんをそらした。
茅野は話をそらそうと、施設でのようすを問うてくる。彼の胸ぐらをつかみ、無言でじっと顔をにらみすえた。
ぽつりぽつりと話し始めた彼のはなしに、俺は怒りをおぼえた。かたくにぎった拳を、ぶつける場所なくふるわせる。爪が手のひらにくいこんで、深いきずをつくってしまいそうだ。
朱里を和泉に奪われてしまうのだろうか。なぜこんなことに、どうして和泉なんかに。そうすべて俺のせい、俺のせいなのだ。
「けどな! 付き合ってはねえんで……」
「……うるせぇ、帰れ」
「……え、」
「うるせぇ! いいけん、帰れ!」
その場をなんとかして取り繕おうと、茅野は焦ったようにつけくわえる。朱里は断ったのに、和泉が勝手に入り浸っている。
そうか、入り浸っているのか。彼女のそばに、いつもあいつが居るということか。それは和泉は諦めていないということで、今後どうなるかわからないということだ。
目のまえの落書帳をつかみ、茅野にむかって投げつけた。そうでもしないと、この拳をぶつけてしまいそうだった。
だめだ、まだ俺の気持ちが治まらない。こたつの両端をつかみあげ、大声をだしながら壁になげつける。おおきな物音に、母親がはしってくる。
「やめんか、隼斗!」
「うるせぇ、くそババア!」
廊下へといき手当たりしだい物をつかみあげ、ちからまかせに投げ散らかした。玄関へと飛ばされた茅野は、おそらく俺が突き飛ばしたのだろう。
駆けつけたジジイに起こされた茅野は、ジジイの指示で帰っていく。そう体格のいい男ではないが、全身をつかい俺を羽交い絞めようとした。
自由を奪われながらも、俺は必死で抵抗する。そして目のまえにいた母親を、思いっきり足で蹴り飛ばした。
倒れこんだ母親も、もう限界だと感じたのだろう。泣きながらどこかへ電話をかけている。相手がだれなのか考える余裕はなく、俺は全力で暴れつづけていた。
「……北斗は!」
「し、知らん……。どっか行ったけん……」
ジジイと母親の会話に、はっとした。そうだ北斗は、朱里を迎えにいったのだった。こんな姿をみせるわけにはいかない。冷静になった俺は、ごめんとつぶやき座りこむ。
がちゃりと玄関がひらき、俺は期待の眼差しでふりかえる。そこに姿をみせたのは、児童相談所の職員だった。そう、母親が呼んだのだ。
俺は朱里の到着をまつことなく、職員によって学園へと連れ戻されてしまうことになった。
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