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第2章…09
今年も、残すところあと二日。いつもであれば直接にやってくる皐月から、めずらしく連絡がはいった。近くの駐車場にいるから、出て来てくれないかという。
近くまで来ているのならば、そのまま家にくればいいものを。そんな気持ちをちらつかせながらも、わたしは支度をすませ家をでた。
「……えっ、……せんぱい?」
「わりい! ……ごめんな、びっくりしたわな。俺が七瀬に頼んだんよ」
「どうして、……ですか」
「俺が電話したら、……断るじゃろ」
皐月が待っているはずの駐車場には、苦笑いの和泉の姿があった。わたしの姿を確認するやいなや、顔のまえで申し訳なさそうに手のひらをあわせる。
自分の誘いであれば断られる、彼はそう思い皐月を利用した。素直にそういうと、いつもの笑顔でわたしをみた。
確かに、断っていただろう。しかしこうして正直にいわれると、どう反応してよいものかわからなくなる。彼の笑顔にたいして苦笑いをかえし、なにか用事かと問うてみた。
「……いや、とくに用事っちゅうわけじゃねえんやけど」
「え、……あ、そう……ですか」
「どげえしよんのかの……とか、思って」
「……どげぇ? ……えっと……とくに、なにも」
ほんとうに用事もなく呼びだされたのだと感じる。まったく進まない会話に、居心地わるく視線がさまよう。真冬だというのに、まったく寒さすら感じなくなってしまった。
無駄にひろい駐車場のかたすみ、買い物客の視線が気まずさに追い打ちをかけてくる。この子たちは何をしてるんだ、まさしくわたしたちはここで何をしているのだろうか。
そんな視線に後押しされたかのように、和泉が変な提案をした。自分の仲間のいえにいこう、そんな言葉にわたしは怯む。
「……先輩の、なかま……です、か?」
「あっ! いや、仲間っていっても……あれやで! そげえ変な……あれじゃねんで。……椎名の知っちょんやつもおると思うし」
わたしの知り合いとは、いったい誰のことなのだろうか。皐月であればそう言うであろうし、なによりそこに彼女が居るはずはない。
無理強いではないと強調しながらも、ながれは和泉がつかんでいるように感じる。ことわるタイミングを逃したまま、わたしは彼の後ろについて歩いた。
ちらちらとこちらを振り返りながらあるく和泉の顔は、心なしか嬉しそうにみえた。それに対して、わたしの不安は募っていくばかり。
「なあ、……なんか、心配しちょん?」
「えっ……いえ、そんなことは……」
「皆な、わりいやつらやねえけん、心配せんでいいんで」
自分がなにを不安に感じているのかもわからず、和泉がなにを宥めているのかすらつかめない。会話もたどたどしく、気なぐさめにほどたらず。
心細くなる自分をつなぎとめるように、わたしの知り合いとは誰なのかを必死に考える。考えているつもりであっても、脳はなにも導き出すことはできてはいない。
どのくらい歩いたのだろうか、ふと和泉が足をとめた。一定の距離をたもっていたわたしも、的確なタイミングで歩みをとめる。
振りかえった和泉の瞳が、ここが目的地だとつげている。木造平屋の、ちいさな戸建て。その窓を、彼はノックした。
「……なぁんか、和泉か。向こうから上がりゃいいやん」
勢いも弱くひらいた窓から、いっきに淀んだ空気が逃げだしてきた。しかしそれは見知った空気で、煙草とアルコールだとすぐにわかった。
いわゆる、たまり場というもの。そのくらいのことなら、わたしにも理解できる。ただ中にいる人物の特定は、遠慮がちに離れたこの場所からはむずかしい。
「……え。なん、和泉……女、連れちょんの?」
「いや、まだ彼女ではねえんじゃけんど」
「そうなん? ……まあ、いいやん。そっちの彼女もあがれば?」
窓ぎわで話していた男が、ひょこっと窓から覗くようにこちらをみた。そうすることによってその人物が、三年の石川先輩であるということがわかった。
おそらくこの家の住人であろうその先輩のことばに、興味をしめすように数人が顔をのぞかせる。さらし者のようになったわたしを気にして、和泉は彼らを手ではらうしぐさをした。
振り向いた和泉のかおが、あがるかどうするかと問うている。男の先輩たちのたまり場に、あがりこむ勇気などはさすがにない。
苦笑いでちいさく首をよこにふると、和泉は残念そうに微笑んだ。遠慮をするなと中から声がかかるが、愛想わらいでごまかす。
「……え、なんでお前が……先輩と……?」
最後に顔をのぞかせた男が、わたしを見て目をまるくした。同級の石川だ。
窓ぎわの石川先輩をみた時点で、和泉の言っていた知り合いの意味には気づいていた。ただ、この場にいるとは思っていなかった。
石川の態度に興味をしめしてか、もうひとり窓のそばまでやってくる。その人物は増田であり、これもまた同級の男だった。
「なんか、おまえら知り合いなん? んなら尚さら、遠慮なんかせんであがりゃいいやん」
「おう、……遠慮なんかすんなの。むこうまわりゃ玄関あるけん、あがってきよな」
兄弟そろって誘ってはくれるが、わたしは決して遠慮をしているわけではない。できることなら今すぐにでも、この場から離れてしまいたいとまで感じているのだ。
相手が先輩とあって、無下にことわることもかなわず。当たり障りのない程度に、愛想よさを心がけながら断りの意をほのめかすようにふるまってみる。
彼女を狙っているのかと和泉にちょっかいをだす者にたいして、意味深な笑みをうかべる和泉。皆がおもしろがって、彼をいじりたおしている。
「……じぶん、名前なんちゅうん?」
「あ、わたし……ですか? ……椎名です」
「えっ、……椎名……って、もしかして」
わたしに名前を訊いてきた石川先輩の顔から、一瞬で笑顔がきえた。そして何かに追われるように、和泉に向かってくちを開こうとする。
遠くで聴こえていたエンジンの音が、すぐ近くまで迫ってきていた。何気なくきいていた排気音が、ごく近い場所でとまる。
和泉に対してもの言おうとしていた石川先輩は、ことばを呑み込みこんだ。そして視線の矛先を、和泉よりも遠くにうつしたのだ。
顔面蒼白といえばおおげさであろうか、しかしそれに近い面持ちではある。その表情につられるように、わたしたちは視線のさきをたどった。
「えっ……」
「こらぁ! 和泉ぃーー!」
そこに居た人物が光羅だと認識するが早いか、和泉が胸ぐらを掴みあげられるが早かったか。気がつくとすでに、和泉は兄によって壁へと押しつけられていた。
うしろからゆっくりと歩いてきたのは、あきれ笑いのような表情の北斗だった。いったい何がおきているのだろうか。和泉もおどろいたように、光羅をみていた。
呆然ぼうぜんとするわたしの腕を、北斗がつかんで引いた。この場から離そうとする北斗に、行かないと首をふった。
「朱里、……むこう行っちょけ」
「でも、兄ちゃ……」
「いいけん! いけっちゃ!」
光羅のおおきな声にびくっとなり、おもわず北斗の顔をみた。彼はすこし微笑んで、ふたたびわたしの腕を引く。
石川の家からずいぶんと離れ、姿だけならず音すら届かない場所で北斗がとまる。どうしてここまで離れる必要があるのだろうかと、訊いてみるが答えはない。
「なあ、北斗兄。……なんで、ふたりがここに来たん?」
「ん? なんか、七瀬から連絡あったらしいで。おまえが和泉から呼びだされた……っちゅって」
「……なんで、ここってわかるんやろ」
「あのなあ、朱里。……椎名の情報網な、なめちょったらいけんで。とくに、お前のことに関しては……異常なくらいやけんな」
わたしの正面にたち、腰をかがめて目線をあわす。まるで幼いこどもに言い聞かすように、ゆっくりと丁寧なしゃべりかた。しかし北斗の視線には、みょうに力が込められていた。
そうだ、そうだった。隼斗との件でも、光羅の情報入手の謎がとけていないままだった。いろいろなことが目まぐるしくおきて、すっかり忘れてしまっていた。
それだけ兄に大切におもわれているのだと、北斗は私の額をひとさし指でかるく突いた。
「じゃあけん、あれやで。……朱里も、兄貴を悲しませんようにしっかりしちょかな。……おっ、もどってきた」
シャツのすそに拳をこすりつけながら、光羅がこちらへと歩いてきていた。シャツをみると、そこには血がついている。
「兄ちゃん、血……」
「なんでもねえ、……おまえが気にすることじゃねえけん」
気にするなと言いながらも、光羅は拳を背後にかくす。そのしぐさ自体もじゅうぶん気になる要素だが、ふれてはいけないことなのだと察してしまう。
見たかぎりでは、光羅に外傷はみあたらない。その時点で、その血は和泉のものだとわかってしまった。
気にすることではないというが、なぜこんなことになっているのか気になってしょうがない。しかしわたしがそれを問うことは、決して許されないのだということもわかる。
複雑な気持ちで光羅をみれば、彼は何事もなかったように微笑んだ。続けて北斗をみてみたが、やはり彼もおなじだった。
「なんしよん、……いくで」
「あ、うん……」
石川の家の近くまでもどり、光羅のバイクのうしろに乗った。けたたましいエンジン音が響きわたり、二台のバイクが走りだす。
自宅が近くなり、それを通りすごしたことに不思議におもった。どこに向かっているのかと問うてみたが、声は光羅の耳には届かなかった。
見知った地区にはいりこみ、団地のしたでバイクは停まった。バイクを降りたわたしのヘルメットは、北斗によって脱がされた。
「あのバカな、……帰省しちょんのよ」
「え、……隼斗はやとが帰っちょんの?」
ここまで連れてこられて嘘をいわれるはずもないのに、おもわずわたしは聞き返してしまった。会える、隼斗にあえる。
込みあげた嬉しさのすぐあとに、あの日の別れの言葉がよみがえった。不安になったわたしは、光羅に視線でうったえる。
「……隼斗がの、おまえと話がしてえっち言いよんらしいわ」
「はな、し……」
「おう、なんか……あれらしいぞ。この帰省んために、そうとう頑張っちょったみたいやぞ」
そのはなしとは嬉しいはなしなのだろうか、それとも悲しいことなのだろうか。それを思うと不安がないわけではないが、会えるという喜びのほうが勝ってしまう。
戸惑いを隠せないわたしの背中を、光羅がそっと押してくれた。その勢いをかりるように、わたしは北斗のあとを追う。
一段またいちだんと階段をのぼっていくたびに、わたしの鼓動はおおきくなっていった。三階にたどりついたとき、わたしの中の不安な気持ちはどこかへ消え去っていた。
「なんか、……これ」
「……どしたん」
あけられた玄関の扉のむこうがわは、空き巣にでも入られたのだろうかという状態だった。まるであの時の兄弟の遊びのあとのように、物というものが散らかっていた。
そこにひとの気配はかんじられない。玄関のなかには、靴のひとつもありはしない。深く考えずとも、家は空からの状態だとものがたっている。
「……だれも、おらんの?」
「んん、みたいやな」
「え、なんで?」
「……暴れたんじゃろうの、あのバカ」
「あばれ……、けど……なんでおらんの」
「戻ったんかもしれん、……施設。あれじゃ、茅野がおったはずじゃけん、あいつが何か知っちょんかもしれん」
会えるとおもっていた隼斗は、わたしの到着を待たずに戻ってしまったのだろうか。帰省のために頑張ったという彼に、いったい何があったのだろう。
夏のとつぜんの出来事から今日まで、わたしには理解に苦しむことばかりだ。あふれる涙をぬぐいながら、振りかえり光羅の顔をみた。
なにかわかったら連絡をしてくれと残し、光羅はわたしの腕をひいた。最低最悪の、苦しいばかりの年末。
このまま二度と会えないのではないか、そんな思いが胸を支配する。やはりわたしたちは、出会ってはいけないふたりだったのかもしれない。
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