20人が本棚に入れています
本棚に追加
第2章…10
片道一時間、とんぼがえりのドライブ帰省。自宅への滞在は、ほんの数時間だった。こんなはずじゃなかった、こんなことをするためにまじめに頑張ってきたんじゃない。
施設にもどってから、指導室でみっちりとしぼられる。母親もべつの部屋に呼ばれたようだ。きっと何があったのかと、ねほりはほり訊きだされているのだろう。
ババアは俺と茅野の会話はしらないはずだから、朱里の名前がだされることはないだろう。
「久我、もう帰ってきたんな」
「うるせぇ……」
「いとしの彼女とやらに、会ってきたんな」
「……うるせえっち言いよろうが」
「ふんっ……。じゃあけん、言ったやん。期待して帰ったって、ろくなことねえでって。……あたらしい男、つくっとったじゃろ? 女なんか、そ……」
部屋にもどると、同室のおとこの冷めたことばがふってきた。まるですべてを知っていたかのような物言いに、俺はかっとなった。
ベッドに横たわっている男に馬乗りになり、それ以上しゃべらせないように顔面をなぐった。おとこも黙ってなぐられるはずはなく、おおごえをあげ殴りかえしてくる。
さわぎに気づいた職員が、すぐに部屋へとやってきた。取り囲んでくる職員をふりはらうように、俺はおおきく腕をふりまわし職員を殴ってしまう。
数名の職員によって抑えつけられた俺は、おとこから引き離され部屋から引きずりだされた。同室のおとこは、あざわらうような視線で俺をみおくっている。
「久我ぁ……、おまえどうしたんか」
「べつに、……どうもしてねえけど」
「どうもって、……せっかくの帰省もこんなんで。もどるなり喧嘩までして……なんか、お前らしくないぞ」
宿直室のすぐよこである部屋に、俺は荷物ごと移された。おたがいに落ちつくまで、しばらくここで過ごすようにと言いつけられる。
俺からしてみれば施設にいるという事実がすべてであり、部屋なんてどこだって同じだ。もう我慢なんてしない、もう努力なんてしない、もう期待なんてするものか。
「……はぁ……。おまえの頑張りは、職員みんなみとめちょんのに」
「べつに、……そんなん、どうでもいいし」
「なんしか! かなりの高評価で、春には……とまで言ってくれる職員もおったんやぞ」
ほかの誰よりも後悔をあらわにし、地元に帰りたいという気持ちがつよく見えていたという。そのためにするべき行動を、しっかりやっていたという。
ここの連中に評価されようなどと、ただのいちども考えたことはなかった。朱里に会いたい、ただその一心だった。
だがじきに彼女は俺をわすれるだろう。あの町に俺の帰りをまつものも、待っていてほしいと願えるものもいなくなってしまった。目的をなくした俺は、なにを目標にここですごせばいいのだろうか。
しばらく家族との面会もできないという生活に、すこしの寂しさも感じはしなかった。母親のしかめっ面をみたところで、なんの励ましにもなりはしない。
いっそのことこのままだれも会いになど来てくれなくていい、そんな気持ちのまま月日はながれていく。
「久我、頑張れよ。……次は、そとで会おうやな」
「おう、お前も……あれじゃ、……頑張れな」
「なんか、そげん顔すんなの。……おまえ、出たら絶対に連絡してくれえよ」
「わかっちょんっちゃ、ほら……はよ行け!」
そこそこ気のあっていたやつが、ここを出ていくことになった。喜ばしいことではあるが、やはり別れというのは寂しさを感じずにはいられない。
手をふり去っていくあいつのよこで、桃の花がゆれている。外で会おうという約束を、俺は果たすことができるのだろうか。
最初からその気がなく約束したわけではないが、正直なところ頑張るということがよくわからなくなっている。
年末の帰省から、もうすぐ三ヶ月。勢いにまかせ追い返してしまった茅野は、どんな気持ちだっただろうか。北斗は、朱里を連れてきたのだろうか。
だとしたら誰もいない家をみて、彼女はどう思っただろうか。所詮そんなものだと、愛想をつかしてしまっただろう。そしていまごろは、和泉と付きあっているのだろう。
「おい、こら! 久我!」
「…………え、」
いつもの早朝ランニングで、俺は職員に抑えこまれていた。アスファルトの高さから、畑のおばあさんのおどろいた顔がみえる。目のまえの雑草がゆれた。
自分は道路にうつ伏せであり、ふたりの職員が覆いかぶさるように背中にいる。引き起こされたとき、自分が列から離れていることがわかった。
みんな走ることをやめて、こちらを見ていた。好奇の目、哀れみの目、いろいろな視線が俺にあつまっている。俺は、逃げたのか?
朝のランニングは、中止になった。そのことを喜ぶように、各々が部屋へと帰っていく。両腕を抱えこまれたままの俺は、そのまま別の場所へと連れていかれた。
そんなにしっかりと掴んでいなくても、俺はここから逃げようなどと思ってはいない。いや、実際に逃げたからこうなっているのか。
「……おい、久我。どうしたんか、なんで逃げた」
「…………わかりません」
「わかりませんって、……なんだそれは」
「いや、本当に……。分からない、……んです」
自分のしたことがわからない、そんな話が通用するはずはない。しかし本当に、なにも考えてはいなかったのだ。呆れたように職員はため息をつく。
本来ならば部活にいく時間になっても、俺をこの部屋からだすつもりはないようだ。部屋のまえで、母親の謝罪のこえがした。
「……呼んだんですか」
「そりゃ、呼ぶだろ。……やっちゃいかんこと、お前がやったんだからな」
いちいち呼びつけて報告をするのか、面倒くさいシステムだ。それから延々とつづくお小言も、ほとんど頭にはいれてはいない。
最終的に走ってしまった事実は認めざるをえないが、その理由はいえないまま時間がすぎる。こんなことを繰り返すようなら、それなりの処置をすることになる。職員は最後にそういった。
くりかえすつもりはないが、繰り返さないという自信もない。なぜなら、これは無意識にやってしまったことなのだから。
それでもいいと思った。まんがいち繰り返してしまい入園期間が延長になろうが、さいあく少年院に行くことになろうが、それならそれで俺はかまわない。
「おーい、久我。親御さん帰るから、すこし会うか」
「いや、別に……会わなくていいです」
「どした、……少しくらい」
「部屋、……もどっていいですか」
母親とはなしを済ませた職員が、部屋へとやってきた。なにをそんなに殻にこもっていると、困ったように首をかしげる。なにか悩んでいるのかと問うてくるが、俺に悩みなどあるわけがない。
正月の帰省からどうかしている、お前らしくないとくちにするが、その俺らしさというのは何なのだろうか。もともと俺はこんな人間で、すこしも変わったおぼえなどない。
「部屋にもどって、部活にいきます……」
「あ、いや待て。……おまえの担任の先生が、なにか話があるって言いよったぞ」
「……たんに、ん?」
「おまえの一年のときの担任よ。そのまま持ち上がりになるけん、いまもお前の担任は同じなんぞ」
施設にいどうしたとしても元々の学校に籍は残ったままなのだと、いまこの時点ではじめてしった。そして俺は卒業するまで、ずっと矢野の生徒なのだと知らされた。
ババアに会う気持ちにはなれないが、あいつには会ってみようか。すこしの迷いが生じたおれは、ふたたび椅子に腰をおろす。
呼んでいいかといわれ、おもわずこくりと頷いてしまう。あの報告の日に一度だけしか会っていない矢野が、いったい俺になんのはなしがあるのだろうか。
職員のうしろを、痩せこけたあいつがついてくる。気をきかせて出ていく職員に、ぺこぺこと頭をさげる姿がなさけなくうつる。
「……久我、大丈夫か」
向かい合った椅子にゆっくりと腰をおろした矢野は、おれにそんな言葉をかけてきた。なにに対して大丈夫かと問うのか、返事にこまってしまう。
ここの職員から、常に報告はうけていたらしい。とても頑張っていると聞いて、自分も安心していたのだと話す。なにがあったのだと、矢野は情けない顔をした。
ぶっきらぼうな俺の態度に矢野は、頭を抱えこむようにしておおきく息をはいた。
「なあ、久我。……俺は、おまえを信じて待っちょるって、言ったよの」
「……べつに、待ってくれとか言ってねえし」
「待つなって言われても、俺はまつよ。おまえの担任なんじゃけん」
「担任とか、たまたまなっただけやん。……ここのんが、住みやしいし。頑張るとか、もうわからんけん……もう帰らんかもしれん」
「ほんなら、……椎名は、どうなるんか」
「……は?」
矢野のくちから、朱里の名前がでたことにおどろいた。そのおどろきは言葉にならず、ただ呆けたかおで彼をみる。
矢野はふっと微笑んで、自分が朱里と俺のことを知っている理由をはなしはじめる。職員室に乗りこんできたときの、彼女のようすを聞かされた。
正直、俺はおどろいた。朱里が矢野に対して、彼女に知る権利はないのかと直談判じかだんぱんしたというのだ。
彼女に自分のくちからはなしてしまったことは、申し訳ないとあたまをさげた。そして母親を介して、彼女からの伝言があるという。
「伝言……。それって、いつのはなしなん」
「ここに来る直前っていいよったな。施設から電話もろうたとき、椎名……おまえんちに、おったらしいぞ」
俺がいない家に、朱里がいたという矛盾。そんなことは気にならないほどに、胸に熱いなにかがこみあげてきた。
続けて聞かされたはなしによれば、彼女たちはいまだに俺の家にかよっているのだという。それはいったいどういうことなのだろうか。
そして母親から矢野に託された、彼女からの俺への伝言。矢野のくちからそれを聞いた俺は、恥ずかし気もなく大声でこどものように泣きくずれてしまった。
最初のコメントを投稿しよう!