第2章

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184a3404-32a0-4d86-9267-0e0612154ff4 第2章…10  片道一時間、とんぼがえりのドライブ帰省。自宅への滞在は、ほんの数時間だった。こんなはずじゃなかった、こんなことをするためにまじめに頑張ってきたんじゃない。  施設にもどってから、指導室でみっちりとしぼられる。母親もべつの部屋に呼ばれたようだ。きっと何があったのかと、ねほりはほり訊きだされているのだろう。  ババアは俺と茅野(かやの)の会話はしらないはずだから、朱里(あかり)の名前がだされることはないだろう。 「久我(くが)、もう帰ってきたんな」 「うるせぇ……」 「いとしの彼女とやらに、会ってきたんな」 「……うるせえっち言いよろうが」 「ふんっ……。じゃあけん、言ったやん。期待して帰ったって、ろくなことねえでって。……あたらしい男、つくっとったじゃろ? 女なんか、そ……」  部屋にもどると、同室のおとこの冷めたことばがふってきた。まるですべてを知っていたかのような物言いに、俺はかっとなった。  ベッドに横たわっている男に馬乗りになり、それ以上しゃべらせないように顔面をなぐった。おとこも黙ってなぐられるはずはなく、おおごえをあげ殴りかえしてくる。  さわぎに気づいた職員が、すぐに部屋へとやってきた。取り囲んでくる職員をふりはらうように、俺はおおきく腕をふりまわし職員を殴ってしまう。  数名の職員によって抑えつけられた俺は、おとこから引き離され部屋から引きずりだされた。同室のおとこは、あざわらうような視線で俺をみおくっている。 「久我(くが)ぁ……、おまえどうしたんか」 「べつに、……どうもしてねえけど」 「どうもって、……せっかくの帰省もこんなんで。もどるなり喧嘩までして……なんか、お前らしくないぞ」  宿直室のすぐよこである部屋に、俺は荷物ごと移された。おたがいに落ちつくまで、しばらくここで過ごすようにと言いつけられる。  俺からしてみれば施設にいるという事実がすべてであり、部屋なんてどこだって同じだ。もう我慢なんてしない、もう努力なんてしない、もう期待なんてするものか。 「……はぁ……。おまえの頑張りは、職員みんなみとめちょんのに」 「べつに、……そんなん、どうでもいいし」 「なんしか! かなりの高評価で、春には……とまで言ってくれる職員もおったんやぞ」  ほかの誰よりも後悔をあらわにし、地元に帰りたいという気持ちがつよく見えていたという。そのためにするべき行動を、しっかりやっていたという。  ここの連中に評価されようなどと、ただのいちども考えたことはなかった。朱里(あかり)に会いたい、ただその一心だった。  だがじきに彼女は俺をわすれるだろう。あの町に俺の帰りをまつものも、待っていてほしいと願えるものもいなくなってしまった。目的をなくした俺は、なにを目標にここですごせばいいのだろうか。  しばらく家族との面会もできないという生活に、すこしの寂しさも感じはしなかった。母親のしかめっ面をみたところで、なんの励ましにもなりはしない。  いっそのことこのままだれも会いになど来てくれなくていい、そんな気持ちのまま月日はながれていく。 「久我(くが)、頑張れよ。……次は、そとで会おうやな」 「おう、お前も……あれじゃ、……頑張れな」 「なんか、そげん顔すんなの。……おまえ、出たら絶対に連絡してくれえよ」 「わかっちょんっちゃ、ほら……はよ行け!」  そこそこ気のあっていたやつが、ここを出ていくことになった。喜ばしいことではあるが、やはり別れというのは寂しさを感じずにはいられない。  手をふり去っていくあいつのよこで、桃の花がゆれている。外で会おうという約束を、俺は果たすことができるのだろうか。  最初からその気がなく約束したわけではないが、正直なところ頑張るということがよくわからなくなっている。  年末の帰省から、もうすぐ三ヶ月。勢いにまかせ追い返してしまった茅野(かやの)は、どんな気持ちだっただろうか。北斗(ほくと)は、朱里(あかり)を連れてきたのだろうか。  だとしたら誰もいない家をみて、彼女はどう思っただろうか。所詮そんなものだと、愛想をつかしてしまっただろう。そしていまごろは、和泉(いずみ)と付きあっているのだろう。 「おい、こら! 久我(くが)!」 「…………え、」  いつもの早朝ランニングで、俺は職員に抑えこまれていた。アスファルトの高さから、畑のおばあさんのおどろいた顔がみえる。目のまえの雑草がゆれた。  自分は道路にうつ伏せであり、ふたりの職員が覆いかぶさるように背中にいる。引き起こされたとき、自分が列から離れていることがわかった。  みんな走ることをやめて、こちらを見ていた。好奇の目、哀れみの目、いろいろな視線が俺にあつまっている。俺は、逃げたのか?  朝のランニングは、中止になった。そのことを喜ぶように、各々が部屋へと帰っていく。両腕を抱えこまれたままの俺は、そのまま別の場所へと連れていかれた。  そんなにしっかりと掴んでいなくても、俺はここから逃げようなどと思ってはいない。いや、実際に逃げたからこうなっているのか。 「……おい、久我(くが)。どうしたんか、なんで逃げた」 「…………わかりません」 「わかりませんって、……なんだそれは」 「いや、本当に……。分からない、……んです」  自分のしたことがわからない、そんな話が通用するはずはない。しかし本当に、なにも考えてはいなかったのだ。呆れたように職員はため息をつく。  本来ならば部活にいく時間になっても、俺をこの部屋からだすつもりはないようだ。部屋のまえで、母親の謝罪のこえがした。 「……呼んだんですか」 「そりゃ、呼ぶだろ。……やっちゃいかんこと、お前がやったんだからな」  いちいち呼びつけて報告をするのか、面倒くさいシステムだ。それから延々とつづくお小言も、ほとんど頭にはいれてはいない。  最終的に走ってしまった事実は認めざるをえないが、その理由はいえないまま時間がすぎる。こんなことを繰り返すようなら、それなりの処置をすることになる。職員は最後にそういった。  くりかえすつもりはないが、繰り返さないという自信もない。なぜなら、これは無意識にやってしまったことなのだから。  それでもいいと思った。まんがいち繰り返してしまい入園期間が延長になろうが、さいあく少年院に行くことになろうが、それならそれで俺はかまわない。 「おーい、久我(くが)。親御さん帰るから、すこし会うか」 「いや、別に……会わなくていいです」 「どした、……少しくらい」 「部屋、……もどっていいですか」  母親とはなしを済ませた職員が、部屋へとやってきた。なにをそんなに殻にこもっていると、困ったように首をかしげる。なにか悩んでいるのかと問うてくるが、俺に悩みなどあるわけがない。  正月の帰省からどうかしている、お前らしくないとくちにするが、その俺らしさというのは何なのだろうか。もともと俺はこんな人間で、すこしも変わったおぼえなどない。 「部屋にもどって、部活にいきます……」 「あ、いや待て。……おまえの担任の先生が、なにか話があるって言いよったぞ」 「……たんに、ん?」 「おまえの一年のときの担任よ。そのまま持ち上がりになるけん、いまもお前の担任は同じなんぞ」  施設にいどうしたとしても元々の学校に籍は残ったままなのだと、いまこの時点ではじめてしった。そして俺は卒業するまで、ずっと矢野の生徒なのだと知らされた。  ババアに会う気持ちにはなれないが、あいつには会ってみようか。すこしの迷いが生じたおれは、ふたたび椅子に腰をおろす。  呼んでいいかといわれ、おもわずこくりと頷いてしまう。あの報告の日に一度だけしか会っていない矢野が、いったい俺になんのはなしがあるのだろうか。  職員のうしろを、痩せこけたあいつがついてくる。気をきかせて出ていく職員に、ぺこぺこと頭をさげる姿がなさけなくうつる。 「……久我(くが)、大丈夫か」  向かい合った椅子にゆっくりと腰をおろした矢野は、おれにそんな言葉をかけてきた。なにに対して大丈夫かと問うのか、返事にこまってしまう。  ここの職員から、常に報告はうけていたらしい。とても頑張っていると聞いて、自分も安心していたのだと話す。なにがあったのだと、矢野は情けない顔をした。  ぶっきらぼうな俺の態度に矢野は、頭を抱えこむようにしておおきく息をはいた。 「なあ、久我(くが)。……俺は、おまえを信じて待っちょるって、言ったよの」 「……べつに、待ってくれとか言ってねえし」 「待つなって言われても、俺はまつよ。おまえの担任なんじゃけん」 「担任とか、たまたまなっただけやん。……ここのんが、住みやしいし。頑張るとか、もうわからんけん……もう帰らんかもしれん」 「ほんなら、……椎名(しいな)は、どうなるんか」 「……は?」  矢野のくちから、朱里(あかり)の名前がでたことにおどろいた。そのおどろきは言葉にならず、ただ呆けたかおで彼をみる。  矢野はふっと微笑んで、自分が朱里(あかり)と俺のことを知っている理由をはなしはじめる。職員室に乗りこんできたときの、彼女のようすを聞かされた。  正直、俺はおどろいた。朱里(あかり)が矢野に対して、彼女に知る権利はないのかと直談判じかだんぱんしたというのだ。  彼女に自分のくちからはなしてしまったことは、申し訳ないとあたまをさげた。そして母親を介して、彼女からの伝言があるという。 「伝言……。それって、いつのはなしなん」 「ここに来る直前っていいよったな。施設から電話もろうたとき、椎名(しいな)……おまえんちに、おったらしいぞ」  俺がいない家に、朱里(あかり)がいたという矛盾。そんなことは気にならないほどに、胸に熱いなにかがこみあげてきた。  続けて聞かされたはなしによれば、彼女たちはいまだに俺の家にかよっているのだという。それはいったいどういうことなのだろうか。  そして母親から矢野に託された、彼女からの俺への伝言。矢野のくちからそれを聞いた俺は、恥ずかし気もなく大声でこどものように泣きくずれてしまった。
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