第3章

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第3章

5dffba92-2871-45fc-9474-56065fd5c4ca 第3章…01  二学年になり、北校舎へと移ったわたしたち。本校舎とのあいだに中庭をはさんでいるこの校舎は、四階建てのおおきな建物だ。その三階と四階が、二学年が使用するおもなスペースとなっている。  新校舎といわれるだけあって、建物自体はとてもきれいで広々としている。ただ悲しいことにこの校舎には、屋上へつづく階段というものがないのだ。  一年の校舎へいくわけにもいかず、しかたなく毎日を教室ですごしていた。一学年で勉強の基礎たるものを、まともに学ぼうとしていなかったわたしたち。  いまさら授業にでたところで、まともについて行けるはずもない。徐々にクラスのみんなとの間に、みずから隔たりをつくっていく。  勉強がわからないことが恥ずかしいのではない。引け目を感じているということを、みんなに知られるのが嫌だった。  そんな気持ちが態度にあらわれるようになっていき、「わかるわけねえじゃん」と開き直るようになっていく。いつしか校内では、不良と位置づけされていた。 「椎名(しいな)さん、ちょっと待ちなさい!」 「は? なに……」 「ちょっとこっちに来てみなさい。んん? 椎名(しいな)さん、その髪は……パーマしとるよな」  廊下ですれちがった教員に呼びとめられた。通称オールドミスの、英語教師の竹上(たけがみ)だ。近づいてきた彼女は、わたしの髪をなめるようにみる。  いったいわたしのまわりを何周すれば気が済むのだろうか。ときおり髪をすくってみては、にらむように顔をちかづける。髪の毛が返事をするとでも思っているのだろうか。 「……これ、天然なんやけど」 「こんな都合のいい天然が、あるわけないよなぁ」 「都合って……」 「今週中に、もとの髪にもどしてきなさい」 「もどせとか言われても。……これが元々やに」  めがねの奥の瞳を、ぎょろりとわたしに向ける。まったく信じていない、という目つきだ。しかしどんなに睨まれようが、本当なのだからどうしようもない。  竹上との言い合いは、しばらくつづいた。しまいにはどうしてこうも反抗的なのだと、ヒステリックに声をあらげはじめる。  ポケットに手をいれた竹上は、おもむろにハサミを取りだした。どうしてそんなところから、そんなものが出てくるのだろうか。  竹上の左手が、すっとわたしの髪にむかってのばされる。切るつもりだ、そう思った。とっさにわたしは背をむけて、その場から走ってにげる。 「待ちなさい! とまりなさい! もとに戻さないなら、ここで切ってしまいなさい!」  叫びながら追いかけてくる竹上に、恐怖を感じずにはいられない。これは脅しではない、彼女は本気で切るつもりだ。  こんなところで掴まってしまえば、きっとわたしの頭は悲惨なことになってしまう。助けだ、だれでもいいから助けを求めなければ。  しかし今この瞬時に、それをみつけることは不可能。とにかく人、そうだひとの多いところに逃げるしかない。  目のまえの教室にとびこむ。いったいここが何組なのか、そんなことを考える余裕などなかった。教室のなかでもとくに人のかたまっている場所をめざして、わたしはその中心へともぐりこんだ。 「椎名(しいな)さん! こっちに出てきなさい!」 「……あーちゃん? どしたんな、なにしたん」 「オールドミスにパーマって言われて、切るっちゅうんやが」  幼少期から姉妹のように育っていた、そんな彼女がこの教室にいた。優等生としてここで生活している彼女に、迷惑はかけたくないと幼馴染であることはふせていた。  しかし、いまはそんなことを言っている場合ではない。彼女なら、きっといまのわたしを救うことができる。周りにいる生徒は、わたしの校則違反をうたがっているようだ。 「みんなどきなさい! 椎名(しいな)さんを、こっちに出しなさい! かばうなら、あんたたちも同罪になるからね」  面倒なことにまきこまれたくはないのだろう、生徒のかたまりがじわじわと崩れはじめる。まずい、このままでは剥き出しになってしまう。  すっと幼馴染の子が、わたしのまえに歩みでた。わたしを背中にかばうように、彼女は両手をひろげ盾になる。それをみた数名の生徒が、ふたたび中心へと集まりはじめる。  みればその顔は、半信半疑でふあんそうだ。しかしありがたい、信じてくれ裏切らないと心のなかでさけぶ。 「先生! あーちゃんの髪は、天然です」 「そ、そんな都合のいい天然があるわけ……」 「おばちゃんに訊いてください。兄ちゃんも天然です! うちの親に電話して訊いてくれてもわかります。うちに三歳からの、あーちゃんの写真あります。持ってきましょうか?」  さすがの竹上も、なにも言い返せなかった。もつべきものは優等生の幼馴染、わたしは運がよかった。たまらず飛びこんだ教室が、この教室で本当によかった。  隼斗(はやと)のことがあり目をつけられているのではないかと、幼馴染はわたしにいった。どうしてそんなふうに考えるのだろうか。  これはわたしの生活態度の問題であって、隼斗(はやと)はまったく関係ない。ましてやここに居ない人間のせいにするなんて、筋違いにもほどがある。  しかしわたしを心配してくれているという気持ちは、やはりとてもありがたく感じる。助けてくれたことに対してとその気持ちにたいして、感謝のきもちをつたえ教室をでた。 「なあ……、おばちゃん聞いてよぉ。今日な、学校でオールドミスにハサミ持って、追いかけまわされたんでぇ……」 「なんな、その……オールドミスっちゃ」  放課後、いつものようにわたしたちは隼斗(はやと)の家にいっていた。茅野(かやの)皐月(さつき)には、すでに竹上事件は愚痴ってある。  まだまだ気持ちが治まらないわたしは、隼斗(はやと)のへやをでて彼の母親のいる部屋までおしかけていた。わがもの顔でくつろぐ、タクシーの運転手。  このひとが隼斗(はやと)の母親の彼氏だということくらい、だれが何をいわなくてもわたしたちは気づいている。寝ころがってテレビを観ていたおいちゃんが、ちらっとわたしの方をみた。  ふたりのまえにぺたんと座り、竹上の通称の由来をはなした。それからハサミ事件を存分にぐちり、隼斗(はやと)の母親をわらわせた。  いや、笑わせるつもりなど、毛頭なかった。しかしあまりの興奮ぶりがおかしかったのか、ふたりはけたけたと笑ったのだ。 「そん、オールドミスとかいう先生よ。おまえらん若さが妬ましいんじゃわい」 「は? ……なんそれ」 「いい歳こいて相手もおらんで、欲求不満でヒステリックんなっちょんのじゃわい」 「ちょっと、あんた子供んまえで、なんバカなこと言いよんのな」  支えていた腕を隼斗(はやと)の母親にはらわれて、がくんと頭をおとしたおいちゃんは笑いながら身体をおこした。あぐらをくんで座り直すと、いたずらっこのように舌をだす。  すっと母親の手がのびて、わたしの髪をすくう。やさしく髪をすべらせながら、このふわふわの黒髪が可愛いのだと微笑んだ。  自分もそう思うと言って、おいちゃんは何度もうなづく。何度も念をおすように、絶対に染めてはいけないと隼斗(はやと)の母親はいった。 「兄ちゃん、いま……いい?」 「どしたん、なんかあったんか」  部屋をのぞくと、光羅(あきら)はベースを弾いていた。ベッドを背もたれにしたまま、膝のベースをよこにたてかける。くんでいたあぐらをほどき、膝をたてて足をひろげた。  光羅(あきら)の瞳は、はなしを聞くよといっている。ここへ座れというように、彼の右手が膝のあいだで手招きをする。そこへ向かい合って座ろうとすると、くるりと後ろをむかされた。  いまから話をしようというのに、背をむけるというのはどうなのだろうか。しかし少々話しづらいことではあるので、こちらのほうが都合がいいかもしれない。 「……なあ、兄ちゃん。ストレートパーマって、高い?」 「は? ……なんし、そんなん訊くんな」 「ストレート……しょうかなって……」 「いけんよ」 「……だって」 「だってじゃねえやん。朱里(あかり)は、この髪がすかんの?」  あきらかに不機嫌な、ひくい声がかえってきた。なぜ急にそんなことを言いだしたのかと問われ、学校での竹上のできごとを説明する。  光羅(あきら)が中学のころも、竹上はよく同じようなことをやっていたという。彼女のストレス発散だから、気にすることはないといった。  うしろから髪をすくっては、さらさらとすべらせていた光羅(あきら)。手ぐしでかるく梳とかしながら、「兄ちゃんは好きなんやけどな」とつぶやいた。  兄は好きだといってくれるが、わたしは自分の髪が好きではなかった。母方に似てしまったわたしの髪は、兄とちがって真っ黒なのだ。 「うん、好かん。せめて、兄ちゃんみたいに茶色やったら」 「なんな、兄ちゃんの真似して茶色にしてえんな。……けど、したらいけんよ」 「けどさぁ……」 「けどじゃねえやん、絶対に髪はいじったらいけん。そげないらんことばっかり考えちょらんで、なんか趣味みつけらな」 「趣味とかいわれたって……」 「兄ちゃんの真似してえんなら、ベース教えちゃるで。担任が、軽音部つくったろ?」  この春、たしかに学校に軽音部ができた。それを立ち上げたのは、わたしの担任だ。彼はわたしを演劇部にさそってきたが、わたしはそれを断った。  そうすると何をおもったのか、軽音部なるものを立ち上げたのだ。そしてこれならば椎名(しいな)もやってみようと思わないかと、ふたたび声をかけてきたのだ。  なぜ光羅(あきら)がそのことを知っているのだろうか。さらに担任からのさそいを無視し、彼をさけて歩いていることまで指摘される。 「なんで入らんの? 兄ちゃんたちのとき、どげえ頼んでもつくってもらえんかったんで」 「ええ……、作ってくれとか頼んでねえし。楽器しきらんし、持ってねえし」 「じゃけん、教えちゃるっていいよんやん。朱里(あかり)がするんなら、兄ちゃんがベース買っちゃんけん」  自分の趣味のために、必死にバイトをしている光羅(あきら)。その大切なお金を、わたしのベースに使ってくれるというのだ。  練習用の楽譜もくれる、アンプも自分のをくれるという。他のメンバーが初心者ならば、全員の指導もじぶんが引き受けるというのだ。  そんなことはさせられないと首をふれば、意味のあるお金と時間の使い方だから気にすることはないという。このひとに人が集まってくる理由が、なんとなくわかったような気がした。
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