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第3章…02
この部屋で過ごす、二年目の夏。ぬしである隼斗のすがたは無いが、いつだってそこに彼が座っているように感じてしまうのは何故だろうか。
また今年の夏は、あたらしい笑顔も仲間入りしていた。どういういきさつで加わったのか、よく覚えてはいない。ただあの事件が関係している、それは確かなことだった。
「なあなあ、椎名ってさ、ほんとうにベースとか初心者なん?」
「うん、そうで。……なんでな」
「いや……、あの指さばきは……。ある意味、ひわいというか」
「ひわいって、……なんな。兄ちゃんに教えてもらったけん」
「え、兄ちゃんとか言われると。ますます……。あ! っていうかさ、椎名の兄貴よ! あんときゃ、まじ殺されるかと思ったけんな」
石川のことばに、皐月は気まずそうに視線をそらした。増田も彼のことばに反応し、おおげさにうなづき前のめりになった。
そう、年末の和泉の事件だ。ふたりの話によると、犠牲ぎせいになったのは、三年生だけだったらしい。
ただ石川にしてみれば、意味もわからず目のまえで兄が殴られたのだ。理解しがたいできごとであったに違いない。
そしてそうなるように仕向けてしまったのは、他でもない皐月の告げぐちなのだ。彼女からすればその話題は、耳が痛いにきまっている。
とうぜん、このわたしも心苦しい。もとはといえば、わたしの存在そのものが事をおこす原因となっているのだから。
「俺の兄貴はな、なんか椎名の兄貴のうわさ、知っちょったらしいで。和泉のせいで、とばっちりじゃってぶち切れちょったわ」
「あ、ああ……そうなんや……。なんちゅうか、わりかったな」
「んじゃけんど、なんで久我だけは……やられんのじゃろ」
たしかに、そう言われると不思議ではあった。茅野いわく、隼斗は変わったという。いや、変わろうとしていたと目をほそめた。
隼斗の過去のおこないは光羅から聞かされてはいたが、正直なところいまいちピンとはきていなかった。
知り合ってからの彼のことしかわからない私には、おそらく理解できていない部分がおおいのだろうと感じる。
「おーい、朱里。おくでババアが呼びよんで」
「おばちゃんが? なんで?」
「知らんけんど、行きゃわかるんじゃねんか。行ってみ」
おくから北斗がやってきた。ふすまを開けるなり、おくの部屋にいけという。隼斗の母親が、わたしになんの用事だろうか。
北斗が姿をみせたことにより、皐月の表情が活気づく。彼の行動のほんの一瞬すらも、見逃してなるものかと瞳をかがやかしている。
それを知ってかどうかはわからないが、北斗も皐月に意識的にはなしかける。わたしは立ちあがり言われたとおり、おくの部屋へとむかった。
「おばちゃん、呼んだ?」
「ああ、朱里。ちょっと話があるけん、こっちきて座りよ」
みればいつものように、おいちゃんの姿がそこにある。とくに変わったようすはなく、おいちゃんは畳に寝ころがっていた。
おばちゃんは手招きをしたあと、自分のまえを指さして座れといった。いつもと同じ光景なのに、なにか違うものを感じる。
よくないことを言われるのだろうかと、心なしか緊張をかんじてしまった。それが顔にでていたのだろうか、そんなに怖がらなくていいとおばちゃんが笑う。
「あんな、今からおばちゃんが話すこと、誰にも言わんって約束できるか?」
「え、……うん。約束……する」
「向こうの部屋のみんなにも、絶対にいったらいけんので」
「皐月たちにも? ……うん、わかった。絶対にいわん」
茅野たちにも言ってはいけないはなしとは、いったいどれほどの重い内容なのだろうか。聞かないほうが無難なのではないだろうか、どのていどの心構えであれば平気だろうか。
なんとなく、身体にちからが入らない。震えまではいかないが、それに近い感覚をおぼえる。いやがおうにも姿勢をただし、身構えてしまう。
「あんな、隼斗の夏の帰省の日にちがな、きまったんじゃわ」
悪いはなしを想定していたわたしは、あまりの嬉しい報告に声をあげそうになった。だがしかし声をあげるまえに、素早く隼斗の母親の手がうごいた。
叩いてかぶってのゲームをすれば、おばちゃんは誰よりも強いであろうと思わせる速さで、わたしの頭は弾かれていた。おいちゃんが横でわらっている。
基本的には、外部との接触には制限があるという。もしも帰省のことが外に知れ、なにかあっては困るからと彼女はいった。
「そんでな、三日後……迎えにいくんじゃけど。あんたも、一緒にいくか」
「えっ……、行ってもいいん」
「ほんとはいけんので! じゃけんど、連れていっちゃりてえなって、おばちゃん……考えちょんのよ」
おまえの健気なところが、見ていて切ないとおいちゃんがいった。そしてきっと隼斗も喜ぶだろうと、彼の母親も目をほそめた。
ただし部外者の同伴は、原則として許されてはいない。それを聞いたわたしは、どうしようもなく不安になってしまう。そんなわたしの表情をみて、おいちゃんはにやりと笑った。
ふたりで作戦をねったと、隼斗の母親は口角をあげる。それは行きの車のなかで説明をするから、とにかくお前は誰にもいわずここへ来いという。
誰とも共有できず、ひとりこの日を待つのはつらかった。そして、とても長く感じてしまった。昨夜は興奮のあまり、まともに眠ることすらできなかった。
「おせえが! ……誰にも言うちょらんじゃろうね」
いわれた時間より早すぎるのもどうかと、あえてちょうどに着けるように調整したら叱られた。今日のおばちゃんは、いつもと違いそわそわとしてみえる。
すでにエンジンをかけ待機している、おいちゃんのタクシー。うしろに乗れと手招きをすると、おばちゃんは助手席へと乗りこんだ。
町をぬけ峠へとさしかかり、車は県北へむけてひた走る。みどりの茂った山々をみて、きもちいいなどと感じたのは初めてかもしれない。
あとどのくらい走れば、隼斗のいる施設につくのだろうか。とちゅういくつかの集落があり、その度にここだろうか次だろうかと気持ちがはやる。
「ちょっと、朱里。あんた、ちゃんと聞きよんのか」
「ん? うん、聞きよるよ」
「本当じゃろうかな、こん子は……。ほら、あの川よ……あっこを渡ったら、もうそげえ遠くねえんじゃけんね」
「うん、わかった」
「……しゃあねえんじゃろうか。おばちゃんが声かけたら、ちゃんと言ったとおりにするんで」
峠をはしっている道中、おばちゃんは計画の説明をしてくれていた。わたしとて不安があるので、それはしっかりと聞いてはいた。
しかし内容を聞いて感じたことは、わたしの役目は単純なこと。大変なのはきっと隼斗の母親、彼女の演技力にかかっているのだ。
峠道がおわり、すこしおおきめの交差点で停止する。おいちゃんは、ウインカーを左にだした。かちかちという音が、カウントダウンのように心にしみる。
いままでは何気なくながめていた、この国道沿いの景色。この向こうがわの地区に、豊徳学園があるというのだ。
橋をわたり、しばらく川沿いをはしった。ひだりに小高い丘を確認すると、おばちゃんが準備をしろと声をかける。その声をきき、わたしはシートによこたわった。
「……久我隼斗の母です」
「お迎えで……ん? うしろ、……は」
「ああ、姪っ子なんですけどね。この子の母親が忙しくて、わたしが代わりに病院に……」
「……代わりに病院、ですか? はあ、具合がねぇ……」
そう、わたしは病人なのだ。ただ、どんな病気なのかは聞かされていない。どう具合のわるさを表現すればいいのか、そこまで考えていなかった。
男性のこえは、あきらかに疑いの声色だ。焦ったわたしは、とりあえず苦しそうに荒くいきをしてみせる。
おばちゃんがいろいろな言葉でごまかそうとしているが、顔を伏せているわたしには状況がつかめない。沈黙がつづき、わたしの不安をかきたててくる。
なぜ病院にさきに連れていかなかったのかと問われ、隼斗の母親もすこしだけ言葉につまった。しかしなんとか言い返し、こんどは男性がだまってしまう。
この威圧的な空気はなんなのだろうか、いったいいまどんな状況になっているのだろうか。男性はそばにいるのだろうか。わたしのことを見ているのだろうか。
「あ、まあ……あれですね。……こんかいだけは、おおめにみますけど。次からは気をつけて下さいね」
「そりゃもちろんですよ、そんなしょっちゅう具合がわるくなられても困りますしね」
「じゃあ、お母さんは受付のほうに……」
隼斗の母親が車からおり、おいちゃんはほっとしたようにギアをいれる。どうやら成功したようだ、変わらず様子はみれないが安堵した。
これで一安心だ、あとは隼斗がくるのを待つのみ。しかしわたしはいったいいつまで、こうして伏せていればいいのだろうか。
くるまがゆっくりと前進をしようとした、そのときだった。車をおりたおばちゃんに向かって、男性がぼそりと呟いた。
「……手紙の、女の子とかじゃ……ないですよね」
「え、手紙って……なんのこ……」
「…………あ、」
おばちゃんが男性に訊きかえすまえに、わたしは男性と目があってしまった。そう、緊張がピークに達してしまっていたわたしは、身体をおこしてしまったのだ。
元気そうですねと苦笑いした男性のうしろで、おばちゃんが苦虫を噛んだような顔をする。声にはださずともそのくちは、バカタレと動いていた。
「それでは、お母さん。……すこし長くなると思いますけど、あちらの部屋のほうにおねがいしましょうか」
「……あ、……はい」
大失敗におわってしまったのだと、うなだれるわたしをおいちゃんが笑う。「おしかったのぉ」なんてのん気な笑い声に、わたしは苦笑いすらもできなかった。
門のうちがわに移動されたタクシーは、そのまま隅により停車した。車のそばにはだれもおらず、気まずい空気にしたをむく。
「よい、朱里よう。……手紙っちゃ、なんか」
「え? ……ああ、矢野がな……」
それは、矢野の提案だった。面会のときの隼斗のようすをみて、わたしとの接点が彼のささえになるのではないか。
そう感じた矢野は、施設の職員にかけあった。規則としては許されないことではあるが、施設内での担任の協力によりそれが実現された。
もちろん内容はすべて職員が目をとおし、クリアしたものだけしか本人には渡らない。口外はかたく禁じられており、とうぜん隼斗の母親もしらない。
これは矢野とわたしと隼斗、そして極一部の施設職員しかしらないことだった。
そこまで職員が配慮をしてくれているのなら、今回のこともおおごとにはならないだろうというが、わたしは不安でしかたがない。
ここまで来ておきながら、帰省がとりけしなどになったらどうしよう。わたしの失敗で、隼斗を悲しませることになるかもしれない。
そんなことを思うと、申し訳なくて泣きそうになってしまう。おばちゃんの戻りをまつ時間があまりにも長すぎて、私は本当に病人のごとく気持ちが悪くなる。
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