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第3章…04
起きあがることは許されず、隼斗の膝枕でゆられる道中。緊張をさとられることが恥ずかしく、自由の残っている片手で顔をおおった。
隼斗の視線がじぶんにあることは感じてはいるが、じぶんの視界をさえぎることでなんとか気持ちをやりすごす。
多くはない会話と適度なゆれ。昨夜あまり眠れていなかったこともあり、徐々に意識はとおのいていった。
車のそれとは違うゆれに、意識がすこしずつ呼びもどされていく。肩にふれた誰かの感触と、聞こえてくる声がひとつになっていった。
「朱里、ついたで」
「……ん、……んん」
「起きれる? ……ほら、降りるで」
ぼんやりとした意識のなかでも、目覚めたそこが隼斗のひざのうえだということは理解できた。自分のなかの精一杯で、素早く身体をおこす。
着いた、降りる。隼斗のことばを、必死に理解しようと頭のなかでくりかえす。ふと気づくと、彼はすでに車からおりていた。
あとを追うように車から降り、彼の背中をおいかける。何度も振りかえる彼に、ちゃんと起きてるよという気持ちをこめて笑顔をかえした。
「ノートがそうとう増えちょんな」
「え、あ……うん。毎日きちょんけんな」
「そっか、毎日……」
「うん、それにな。最近は、石川とか増田とかな……人数もふえたけん」
こちらを見ていた隼斗は、ふっと微笑んで落書帳に視線をおとす。ページをめくるたびに、彼の表情もあたらしくなる。
いまどの落書きをみて、そんな顔になっているのだろうか。ころころと変わる彼の表情をみているだけで、わたしまで楽しくなってしまう。
これはどういう状況なのか、これは誰のことをいっているのか。隼斗のそんな質問が、わたしへの興味なんだとうれしく感じた。
もっと話したい、もっとわたしを知ってほしい。もっと喜ばせたい、もっと笑ってほしい。彼が問うてくる落書きのないようを、わたしは全力でつたえていく。
「あの、さあ……。ぶり返すつもりじゃねえけん、気をわるくせんじょってな」
「え、なん?」
「和泉んことなんやけど……」
「あ、あの……あれは……」
あの日の荒れたへやが、脳裏によみがえった。隼斗の視線は落書帳にむけられたままで、こころの内側がつかみづらい。
気をわるくするなと彼はいったが、気をわるくしているのは彼自身なのではないだろうか。心細さににたような、そんな不安がおそってくる。
おもしろくはないはずだ、腹がたって暴れてしまうのは当然のこと。あきらかにあれはわたしが悪かった、わたしの行動が軽率すぎた。
謝らなければ、そう思った。いちどは下をむいてしまったわたしだが、しっかりと顔をあげ隼斗をみた。
「……ごめんな」
「いや、おれのせいやけん」
「え? なんで……」
「おれが、こげんことになったけん。ちゃんと話もせんで、……行ってしまったけん」
なんの説明もなしに、とつぜん居なくなったじぶんが悪い。伝えたかった感情も、ことばにすることを戸惑った自分がいたという。正直なところ、いまでもじぶんの気持ちと闘っているとつづけた。
待っているという伝言をきいたとき、ほんとうに嬉しくてたまらなかった。それと同時に、じぶんなんかが待っていてほしいなどと思っていいのだろうかと不安になったとはなす。
かといって別れたくないという気持ちがつよく、だれにも取られたくないとも思ってしまうという。わたしの気持ちが和泉に向いてしまったらと思うと、暴れずにはいられなかったと情けなくわらった。
「和泉んことは、光羅兄が片付けてくれたけん、もう心配とかしちょらんけんな」
「……な、なんで知っちょんの」
「ん? 兄貴からきいたけん」
「あ、ああ……。そうなんや」
「おれな、光羅兄には感謝しかねえっちゃ……。こげんことになったに、切り捨てんで見ちょってくれて……申し訳ねえわ、まじで」
石川がいっていた疑問のことばが、ふっとわたしの脳裏によぎる。いったい光羅と隼斗のあいだには、どんな繋がりがあるのだろうか。
隼斗とのかかわりを反対していた兄が、一夜にして気持ちをかえた理由はなんなのだろうか。隼斗は感謝だというが、わたしには疑問でしかなかった。
じぶんだけが光羅から殴られていないと、得意気にあごを突きだす。複雑な気持ちで、わたしは苦笑いをかえした。
めくったページの一点をみつめ、ふいに隼斗の動きがとまった。落書きの状況を問うてくることもなく、ただずっと同じところをみている。
訊くことすらも忘れるほどの、そんな意味不明な落書きをしただろうか。気になったわたしは、そばへ寄り手もとのノートを覗きこんだ。
そこにある落書に焦ったわたしは、おもわずノートをうばいとる。はっとしたように手をのばす隼斗に、渡してなるかと背中にかくした。
「…………く、が……あ」
「なんな、うるさい。ほかのノート見よ」
「え、なんでな。いまの……もいっかい見せてよ」
「いやだ! ほかの見よな、なんぼでもノートあるやん」
正面からのばされた彼の手が、わたしの背中にあるノートに触れる。なかば取り返されることを覚悟したわたしは、それ以上の抵抗はしなかった。
近すぎる隼斗と、わたしの視線がぶつかった。なにを言われたわけでもないのに、動くことができなくなる。
なにかを言いたそうな顔をしては、そのことばは音とならず呑みこまれている。うばう気ならばたやすく奪えるはずのノートも、いまだわたしの手のなかにある。
どうしたのだと問うことは簡単だが、なぜかそれをくちにできなかった。なんとなく、なんとなくだけれど喋ってはいけない、そんな気がしてしまう。
「……はじめて、……なんでな?」
なにが、起きたのだろうか。隼斗の声に我に返ったわたしは、じぶんが畳のうえに倒れていることを知った。くちびるに残っている、やわらかく温かい感触。
首のうしろにまわされた彼のうでと、異常なほどにちかい彼のかお。冷静さと大騒ぎが、わたしのなかでせめぎあう。それはどさくさのなかの、わたしのファーストキスだった。
隼斗の問いにこたえるべく、瞳だけを彼にむけた。こくりと小さくうなづけば、かれは微かに笑みをうかべる。
ふたたび触れようとするくちびるに、おもわず胸をおしてしまった。あまりにも意識がはっきりとしすぎていて、戸惑いをかくすことができずにいる。
「……嫌だ?」
「そ、そういうんじゃ……なくて……」
そう、嫌とかそんなことではない。隼斗のくちびるが触れた瞬間、わたしは息をとめてしまう。緊張をしているいまの状態では、無呼吸がどこまで続くか不安になった。
正直、キスに集中なんてできない。温かい、やわらかい、どうしよう苦しくなってきた。けれどくちは塞がれている、鼻で息なんてとんでもない。
くちびるが緩んだそのとき、口内にじぶんのものではない温もりをかんじた。逃がせば追いかけてくる熱いものを意識してしまい、じぶんの体温もあがっていく。
「……大丈夫?」
「う、うん……」
「嫌じゃ、……ねえ?」
「うん……」
そう問う隼斗のくちびるは、頬をよせわたしの耳元にあった。シャツを掴んでいる手に、ぎゅっと力がはいってしまう。
まわされている彼のうでにも、こころなしか力が加わった気がした。隼斗の存在を、重みとして身体でかんじる。
みたび重なったくちびる、追いかけてくる舌が荒くなり、抱きしめる彼のうでの力はさらにつよくなっていく。もしもこのまま死ぬとしても、それならそれでかまわない。
どうなってもいい、このひととこのまま一緒ならば。身体のちからが抜けていく、すべてこのひとに任せようと思った。この感覚が、幸せというものなのだろうか。
「……で、こいつら何しよんのじゃろうか」
突然のこえに、わたしたちは飛び起きた。その速さときたら、現役のアスリート並みだと感じる。素早くおきあがったわたしたちは、すでに正座をしていた。
みれば北斗は部屋のなかにおり、腕をくんだ状態で壁に背をたくしている。どうみても、いましがた来たばかりとは思えない。
言いあらわしようのない気まずさと、恥ずかしさがこみあげてくる。北斗のことを直視できず、わたしはずっと下をむいていた。
「いや、……これは……その」
「うんうん、わかるよ、わかる。おれも男やし、わかりはするよ」
「そ、そげなんじゃねえし。……ばかやん」
「そげなんじゃろうが、いまのは絶対に。じゃけんど、おまえあれやぞ、さすがにそれ以上はやめちょけよ。……椎名、ぶち切れるけんの」
ばつがわるそうに視線をそらした隼斗は、真っ赤な顔をしている。さりげなくちらりと北斗の様子をみれば、彼はにやにやと笑っていた。
ガキのくせに色気だけは一人前だと茶化す北斗に、隼斗は「うるせえ!」といって背をむけた。
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