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第3章…05
この夏の帰省期間は、五日間だときいている。初日こそ隼斗とふたりきりだったが、翌日からは茅野たちもあつまっていた。
石川たちの好奇心は、ようしゃなく隼斗にむけられていた。しかし嫌みな感じはみうけられず、隼斗自身もそう受けとめるようすはない。
やはりみんなが思うのは、施設というだけあり閉鎖的なのではないかというところだった。そんな感じではないという隼斗の言葉に、皐月はわたしの顔をみる。
そう、わたしが迎えに同行したということを、翌日ここに来るときにはなしたからだ。その目はほんとうにそんな雰囲気ではなかったのか、と問うている。
正直なところ、あの日のわたしはテンパっていた。じっくりと建物を観察するよゆうなど、あの状況であるわけがない。それでもなんとなくは感じることができた。
たしかにへんな威圧感はなく、ふつうの学校とあまり変わらないようにみえた。隼斗のいうとおりだと、わたしは皐月にうなづいてみせる。
「……そんでな、面倒くせえんが、あさのランニングなんよ」
「は? なん、……はしるん?」
「そうっちゃ。施設をでてな、川沿いのみち走って丘をこえて、畑だらけの田舎はしって……とにかく、なげえんじゃが」
「外、走るん? え、うそやろ。職員とか、がっちがちに囲んで?」
「いんや、職員とか数人しかおらんので」
「うそや……、ゆるくね?」
そんな状態ならば、逃走するのはたやすいのではないかと増田がくちにする。そのことばを聞いた瞬間、わたしたち三人は顔をひきつらせた。
そうなのだ、ゆるいのだ。施設側としては、なにか考えがあってのことかもしれない。しかしそのゆるさゆえに、隼斗は二学年もそこで過ごすことになってしまったのだ。
隼斗にしてみても、そこは触れたくはない場面であろう。きっと動揺してしまうにちがいないと、不安におもい目をそむけた。
「そうっちゃ、簡単に列からはみだせるんやが」
「そうでな、逃げれるでな」
「じゃけんど、どうせ戻ることになるんやし。やるだけ損っちゃ」
「え、そんなもん? うまく逃げ切ることってできんもんなんかや」
「ばかやん、ずっと逃亡生活するわけにゃいかんじゃろうもん。地元にかえりゃすぐに見つかるし……時間の無駄よ」
たしかに冷静な判断だと、石川たちはうなづいた。たったいちどの気のまよいで、入園期間が延長になるのはばからしい。
そうくちにした隼斗のかおは、すこしだけ後悔をしているようにみえた。このいちねんの間に彼は、なんだかおとなになったように感じる。
なにも知らない石川たちは、ちゃかすように拍手をしてみせる。事情をしっているわたしたちは、ほんのちょっぴり胸が痛んだ。
「あ、そうそう。おれな、最初は小学校の勉強からやらされたんじゃが」
「なんか、それ。え、なに……ばかにされちょんの?」
「ばかにされたっちゅうか、おれがバカやったみたいやで」
入園してすぐにおこなわれたのは、簡単な学力テストだったらしい。結果、小学校高学年の勉強から、復習授業をうけることになったそうだ。
小学校のころからまともに学校には行っていなかったせいだと隼斗は苦笑った。それならばまともに行っていたにもかかわらずのわたしは、どうすればいいのだろうか。
ふいに視線があった皐月や茅野たち。彼女たちもわたしと同じように、にがい笑みをうかべている。
「なあ、勉強ってどんなとこでするん」
「学校でするに、決まっちょんやん」
「え、学校って……近くの?」
「近く? ……ああ、そとの学校じゃねえよ。おなじ敷地にあるんで」
「そうなんや? え、それってどんなん? 普通の学校みたいなかんじなん?」
石川の質問に、わたしは疑問をいだく。ふつうの学校ではない学校とは、いったいどんなものが頭にうかんでいるのだろうか。
隼斗も質問の意味が理解できなかったようすで、すぐには返事をしなかった。しかしそう時間はかからずに、彼のくちから女もいるとつげられる。
なぜかその返答をきいた瞬間、胸のあたりがずきっと痛くかんじた。そうだ更生すべき生徒が男だけとはかぎらないのだ。このときはじめて、そのことに気がついた。
ここまでのわたしは隼斗が施設にいってしまった、離ればなれになってしまった、そのことばかりでいっぱいだった。
彼のくちから異性の存在を聞かされ、えたいの知れないもやもやがわきおこる。そんなわたしとは裏腹に、おとこ三人は瞳をかがやかせ身体をのりだした。
ちらっとこちらを気にする隼斗。そんな彼のしぐさに、茅野たちもこちらをみた。へんなプライドがはたらいて、わたしは素っ気なくあごをつきだす。
「授業はな、ふつうに共学で教室もいっしょなんで」
「え、え、そんならさ。……生活、するとこは?」
「生活……、ああ。寮で生活すんのじゃけんど、さすがにそれは別々で」
「……なーんか、べつなんか」
「あたりまえやん。けどな、行き来するんは意外と簡単なんじゃが」
興味などないふりをしながらも、わたしの耳はダンボになっていた。共学と聞きちょっぴりおちこみ、寮がべつと聞いてほっとして、行き来ができると知りどきっとする。
なんだかとても、わたしの心がいそがしい。そんなわたしとは真逆の反応をしている三人は、行き来できるという情報にとびついた。
部屋はひとり部屋なのか、女子はなにをしにくるのか。ひとり部屋など贅沢なわけがないと笑い、女子は彼氏に会いにくると隼斗はこたえる。
「じゃけんな、最悪よ。目ぇあけちょか見えてしまうし、寝たふりしちょってん聞こえてしまうしな」
「……やば」
「やべえどころん話じゃねえっちゃ。地獄やが、じごく」
隼斗の同室のおとこは、園内の女子と恋愛をしているらしい。男子寮よりも女子寮のほうが抜け出しやすいためか、おんなが来ることのほうが多いのだという。
ふたりは自分がいようが居まいがおかまいなしで、性行為を繰り返しているのだと話す。隼斗のはなしを、三人は前のめりで聞いていた。
わたしと皐月はいたたまれなくなり、近くにあった落書帳を手にとり顔のまえでひろげた。
「え、え、声とかでるじゃろ! みつからんの」
「んん、俺が入園してからは……まだ、だれも見つかっちょらんみたいやけど」
「見つかったら、どげえなるんじゃろうか」
おなじ空間に異性がいると知っただけでも不安なうえに、たやすく接触ができるという事実。会えない彼女よりも、会える異性のほうが強いのではないだろうか。
もしかしたら素敵な女の子がいるかもしれない、そうすれば隼斗の気持ちも向くかもしれない。つなぎとめておけるだけの自信が、わたしには無い。
「な、なあ……。つぎってさ、いつ帰ってこれるん」
「ん? ……多分、正月じゃねえかや」
ふあんを掻き消すごとく、はなしをさえぎり隼斗に問うてみた。かえってくる答えなど、はじめからわかっていた。この話題からはなれたい、ただそれだけのことだった。
あらためて訊ねてのしかかる、四ヶ月という月日のながさ。話題をかき消してもなお、わたしのなかの不安はきえることはなかった。
興味深いはなしを中断された石川たちの、やるせない視線がようしゃなくふりそそがれる。
「え、なん……。いじけちょんの?」
「は? なんそれ、いじけちょらんし!」
「えー、ほんとうかや。寂しゅうてたまらんって、思っちょんのじゃねんな」
「ばかやん、そんな四ヶ月くらい……」
よどみそうになった空気を、隼斗のおどけた声がかきちらす。「なげえな……」と言葉をそえたのは、意外にも石川だった。
それこそ四ヶ月なんてあっという間だと、隼斗は口角をあげてみせる。しかしその瞳が笑っていないことに、ここにいるだれもが気づいていた。
「よう、久我。あした、何時なん」
「ん? ここ出る時間のこと?」
「うん、明日かえるんじゃろ。みんなで見送りするけん」
「まだ決まっちょらんのやけど。……やめてや、見送りとか」
明日、隼斗は学園にかえってしまう。つぎに会えるのは、四ヶ月後。ほんのすこしの時間でも、ともに過ごしたいという茅野の想い。
隼斗は、まだ時間はきめていないと答えた。しかしそうくちにしたときの彼の瞳は、この場にいるだれのこともとらえていなかった。
きっと嘘だ、ほんとうは出発のじかんはきまっている。そう感じたのは、わたしだけではなかった。
うそを言うなと問い詰める茅野に、隼斗はちからなく笑ってみせる。しかしそのくちは、けっして時刻をつげようとはしない。
「なんか久我-、おしえれの。またいっとき会えんなんのじゃけん、見送りぐらいさせれの」
「……じゃけん、嫌なんっちゃ」
しばらく会えなくなる、さみしくなる。そんな彼らのことばに、隼斗の表情がくもった。三人とまともに視線をあわそうとしない。
ふいにこちらを見た隼斗の視線と、わたしの視線がぶつかった。ふにゃっとした笑みをみせた彼のひとみは、こころなしかうるんでいるようにおもえた。
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