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第1章…04
茅野がみつけてきたのは、この屋上扉のまえの四畳半ほどの広さのスペースだった。おどり場にも似たようなこの場所は、あまっている机や椅子をおく場所として使われているようだ。
すみのほうに無造作に積みあげられたそれらを、なるべく平たく安全につみなおす。もちろん学校のためではなく、自分がそこでくつろぐために。
階段の中ほどにあるおどり場には、たかい位置に明かりをとるための天窓があるだけ。それは施錠をされた扉に用事などなく、ひとの行き来を前提としていない証拠だろう。
しかしそのおかげでこの場所は外からの視線を気にすることなく、みえる空の狭さもさしこむ陽のひかりもほどよく好都合だった。
両手を頭のうしろに組んで、あおむけで天井をながめていた。階下にひとの気配をかんじ、それが茅野だということは考える余地なくわかった。
そしてゆっくりと階段をのぼってくる彼を、俺は寝ころんだまま待っていた。
「……名前、わかったか?」
「ん? ああ、わかったけど……」
茅野が近くまでくるのを待った俺は、上半身をおこし彼にたずねる。「けど……」とにごした彼は鼻から重めに息をぬくと、最上段にゆっくりと尻をつけた。
向けている背中が、ことはうまく運んでいないと告げている。そんな茅野の態度も気にはなったが、俺にはもうひとつ気になることがあった。
彼は気づいていないようだが、階段のすぐ下にまだひとの気配が残っているのだ。あがってくるようすはなく、それはじっとそこにとどまっている。
念のために茅野に、だれか一緒に下まで来たかとたずねてみた。しかし彼はぽかんとした顔でふりむき、首をよこに振ってみせたのだ。
「……んで? なんちゅう名前やった」
「椎名、……椎名朱里っちゅう名前やったわ」
「しいな……、あかり……か」
茅野が彼女の名前をくちにした瞬間、階下にあったひとの気配がざわついた。それがみょうに気になった俺は、尻をすかして階段のてすりに手をかけ下をのぞいた。
しかしすでにそこには誰もおらず、さっきまであったはずの気配すら消え去っていた。おかしいと思い首をかしげる俺をみて、茅野も立ちあがり同じように階下をのぞいた。
「……どしたん? なんかあるん?」
「ん? ……いや、べつに。んで? 彼氏がおるかどうか、わかったんか」
「それがな、ちびのほうが邪魔するんよな。なんか知らんけど、やたら突っかかってくるし、意地でも教えろうとせんのよな。……なんなんやろ、あのちび」
「へえ、ちびが……なぁ。お前さ、もいっかい教室にいってこいの」
「うげっ……、また? 絶対にむりっちゃ……、だれかほかのやつら探してさぐりいれたほうがいいっちゃ。直接いっても、あのちびがおるけん、絶対にむりって」
確かに茅野のいうことは、正論なのかもしれない。しかし本当ならば来ることなどないはずの学校まで出向いて、手ぶら同様のこの状況で引きさがるのはしゃくにさわる。
しかもことが運ばないことを全てそのちびのせいだと言い切り、ものの数十分で撤退してきた茅野にも納得がいかない。
露骨に嫌な顔をして行きたがらない彼に、とりあえず行けとスリッパを投げつける。わかりやすく不貞腐れて立ちあがり、茅野はスリッパを投げ返してきた。
なげられたスリッパを片手ではらい落とし、無表情のまま顎をつきだす。
しかたなさそうに階段をおりはじめた彼は、なんども振りかえり瞳でうったえてくる。そのたびに俺は、顎をつんっとだして行けという仕草をした。
おどり場までおりた彼はいよいよ諦めがついたのか、「もう!」とふくれっ面でひと声あげて階段を駆けおりた。それを見届けてから、俺はふたたび机のうえに寝ころがる。
だがしかし昼休みの終了を知らせるチャイムは、おもいのほか早くに鳴りひびいた。内心まじかと舌打ちをする俺とはうらはらに、茅野は助かったといわんばかりの表情でもどってきた。
簡単に手にはいると思っていた情報が、こうも手に入らないとなるとこちらも意地になってしまう。
「おまえ……なに簡単にもどってきよんのか。もっとねばれの……、ちょ……あれや。おまえ、次の授業にいってこいの。そんであれぞ、椎名から訊きだすまでもどってくんなよ!」
「ちょっと待ってな、なんでそこまでせないけんのな」
「いいけん、いってこいっちゃ。俺も放課後までここにおるけん、それまでに訊きだせんかったら、一緒にここまでつれてこいの」
「……は? うそやろ、本気でいいよんの?」
階段にすわり大股をひらいて、面倒くさそうに頭をかいていた彼の手がとまった。
ゆっくり振りむいた彼の目は、俺に対して何かいいたそうな悪い光を宿している。なにが言いたいのだと問えば、べつにとだけ答え多くは語らない。
言葉にこそしないが彼の考えていることは、その微かにあがっている口角からしても読みとれた。はずかしさを悟られないようにぶっきらぼうに「はよ、いけ!」と言い放ち、俺は茅野の視線から逃げるように仰向けになった。
ぱたぱたと鳴るスリッパの音が、おりていく茅野の心の声のように重々しい。少しずつ遠くなっていくそれを聞きながら、俺は天井にあの運動会の光景を映しだしていた。
まぶしそうに校舎をみあげた、あの彼女の顔がはっきりとうかぶ。ついさっき知った彼女の名前と姿がかさなり、ふっと頬の筋肉がゆるんでしまった。
静まりかえった屋上に、おだやかな陽ざしがふりそそぐ。すぐしたの教室で彼女は、どんな感じで授業をうけているのだろうか。
勉強は得意だろうか、なにか運動はしているのだろうか。……どんな声をしているのだろうか。音のない映像のなかの彼女をみつめながら、俺のなかに次からつぎへと知りたいがふえていく。
風にふかれた黒髪の隙間からみえた彼女の顔を、むりやり笑顔におきかえてみる。あの日はじめて彼女をみた瞬間のように、どきっとしてしまった俺はあわてて瞼をとじた。
「……い、……おい。……久我」
ぼんやりとした意識のなかに、なにかが聞こえるような気がする。それは少しずつ近く大きくなっていき、自分の名前を呼ぶだれかの声だとわかった。
それとほぼ同時に、背中に痛みを感じてゆっくりと左に身体をころがした。そのとき肩に感じた硬さときしむ音で、自分のいる場所が机の上だということがわかる。
痛みのおかげか意識はかなりはっきりとして、声のぬしが茅野だということもわかった。
「おい、久我。……目、さめたか」
「……んん。……わりぃ、寝てしまっちょったみたいや」
「いや、別にいいんやけど。……けど、あれで。もう放課後になっちょんので」
「うそやろ、もう終わっちょんのか……」
階段に背をむけたままの俺と、のぼってくる途中の茅野とのすくない会話。その間に自分がここにいる理由をおもいだし、茅野の報告をきくべく身体をおこした。
木のつくえと同じくらいに、ぎしぎしと軋みそうな筋肉のいたみ。それをほぐすように肩をまわしながら、ゆっくりと身体を階段のほうにむける。
数段したのところで立ちどまっている茅野は、俺がくちをひらく前にちいさく首を横にふった。まあそうなるだろうという想定内の状況に、俺はとくになにを思うこともなかった。
それよりもまずなんとかしたいのは、この体中に感じている痛みのほうだ。おおきくひだりへと腰をひねってから、苦痛にゆがむ顔を正面にむける。俺の顔につられてしまったのか、茅野の顔まで痛々しくゆがんだ。
そんな彼の顔をみながら腰を逆にひねろうとしたとき、茅野の親指がすっとたちあがった。そしてその指はするりと顔の横まであげられていき、くいくいっと小刻みに彼の後方へとゆれうごく。
「……なんか」
「は? なんかじゃねえし。……ほら、あれよ」
お手柄なしのわりには大きな態度の茅野をみて、一瞬だけ苛っとしてしまう。しかしあまりにも得意げな彼の態度に、ふんっと鼻をならせ片手を机についた。
かるく尻をすかして彼のうしろを覗き、おどり場にいるひとかげに息をのんだ。制服をきた黒髪の彼女が、緊張を隠せないおももちで見あげていたのだ。
私服のときとは印象がちがうが、見間違うことなく彼女は朱里だ。俺と目があった瞬間に、ぴくっと頬の筋肉がうごいたことも見逃しはしなかった。
そしてそんな彼女をみてしまった俺は、不覚にもあたりが無音になるという感覚におちいってしまっていたのだ。
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