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第1章…09
茅野の思いつきで、隼斗の家へ行くことになった。とうぜんのように声をかけられ、おもわず彼たちのうしろについて歩く。私のなかの戸惑いの気持ちが、なんども振りかえり皐月にすがる。
静かすぎる廊下、皐月はなにか言いたそう。スリッパの音がひびくなか、彼女も私も気持ちを言葉にすることはできなかった。
くつばこで隼斗と目があい、すばやく視線をそらす。なにが嫌だというわけではない、ただ気まずさがそうさせた。教室ちがいで、離れたくつばこ。皐月と扉のまえで合流した。
さっきまでの雨が嘘のように、あおい空が雲のすきまから顔をだしている。だれよりも先に外にとびだした茅野が、雨あがりのアスファルトをぺしゃりと鳴らす。
肩がふれるか触れないかの距離で、隼斗がちいさく「行くで」といった。はっとしたときにはすでに、彼は水たまりを踏んでいた。
私は皐月の手をとって、あわてて彼らを追うように外にとびだした。ほどよい距離までおいつくと、皐月が私の手をかるく引く。はぐれまいとしている私とは逆に、彼女は遅らせようとしているように感じる。
なぜだろうと彼女の顔をみると、やはりなにか言いたそうな顔をしていた。ちらちらと彼たちとの距離感をうかがい、そしてしっかりと私の目をみた。
「ちょっと……、どういうことなん」
「どういうこと……って」
「なんで、あいつらについて行きよんの。屋上で……なんかあったんな」
「……ああ、えっと……なんかっちゅうか。……付きあうことに」
「はあ? なんそれ!」
皐月は大声とともに、立ち止まってしまった。彼女の声に振りかえった彼たちも、私たちをみて歩みをとめた。「なんしよん」という茅野のことばに、私たちは苦笑いで首をふる。
にやりと笑った茅野は、隼斗の脇腹をひらてで突いた。なんども突いている彼の手をはらいながら、隼斗は照れくさそうに笑った。
お互いのことをろくに知りもしないふたりが、なぜそんなことになったのかと眉をひそめる皐月。あらためて言われたことで、私のなかに迷いのような感情がこみあげる。
こちらを気にしながら、ふたたび歩きはじめる隼斗たち。なかなか歩きはじめない私たちにみかねてか、茅野が来いと手をまねいた。
ひきずる傘の先が、水たまりをふたつに別ける。よこを歩いている皐月の顔をみることすら、なんだか後ろめたく感じてしまう。ばかな女だと、思われているのだろうか。
気持ちと比例して、私のあしどりも重くなっていく。気がつけば隼斗たちとの距離も、ずいぶんと離れてしまっていた。このまま見失ってしまおうか、そんな思いが脳裏をよぎった。
「……彼氏…………か。……なんかさ、いいな」
「え?」
「だってさ、……ようわからんけど。付きあうとか、やっぱ憧れるやん。……彼氏できたんで、とか言ってみてえっちゅうか、なんか……羨ましいわ」
皐月は水たまりを避けながらそう言うと、にかっと笑って顔をあげ私をみた。彼女の笑顔が本物だとわかり、私もほっとしたように笑みをうかべる。
ぐいっと腕をひかれ反りかえった身体を追いかけるように、ぶら下がった傘のさきが音をかなでる。その音に気づいた隼斗は浅くふりかえり、視界に私をとらえると微かに口角をあげた。
自分の家のそばを通りこして、ふだんは行かない地区へと踏みこむ。知らない土地ではないが、やけに新鮮味をかんじる。隼斗が歩みをゆるめ振りかえったそこは、市営の団地が建ちならぶ場所だった。
「ここなん?」
「うん……、三階」
「……家のひととか、おるん?」
「……なんで? え、おまえら……もしかして緊張しちょんとか?」
「は? ……う、うるせえし」
皐月と茅野の会話をききながら、一段ごとに私の緊張は増していった。先頭をあがっていた隼斗が立ちどまり、ドアノブに手をかけ振りむく。団地の階段はせまく、私たちは途中で待機するかたちとなった。
ノブがまわされ開くとおもった扉は、十五センチほどのところで押し閉められた。そのまま扉を両手でおして、ばつが悪そうな顔をする隼斗。
なかからドアノブがまわされ、扉がせられている。手伝えという隼斗の言葉に、茅野は理由もわからないままに扉に体重をかけた。
「え、えっ……。なに」
「来ちょんのよ、……兄貴が」
「は? なんで、いいやん……べつに」
「よくねえやん、……気まじいやん」
踏ん張りながらのふたりの会話によると、どうやら隼斗の兄が中にいるようだ。はじめての訪問で家族にあうという、また違った意味の緊張がこみあげる。
中からは開けろという声がきこえてくるが、素直にききいれる隼斗ではなかった。なにがなんでも開けさせてなるものかと、全体重をかけるようにして扉にむかっていた。
どうすることも出来ない私と皐月は、ただその様子を見守るばかり。そして最終的に扉は押しあけられてしまい、なかの人物と目があうことになる。
「……あ、……え?」
「え、……おまえ……なんしよん」
「あ、えっと……なんって……」
名字のめずらしさを感じたときに、なぜ私は気づくことができなかったのだろう。扉のむこうから怪訝そうに私をみているのは久我北斗、私の兄の友達だった。
隼斗は気まずいと口走っていたが、私からすれば気まずいどころの話ではなかった。はじめまして、おじゃましますの挨拶では済まされない、いやな予感しかしないのだ。
なるべく私たちから遠ざけようと思ってか、隼斗は北斗を奥へと押しやろうとする。しかし私から視線をそらすものかと、北斗の踏んばりも力強い。
ことの状況がのみこめていない皐月が、冷静なおももちで誰だと問うてくる。すこしばかり空気をよんで欲しいと思いながら、私は苦笑いで返事をにごした。
「ちょ、おまえら……あれや。とりあえず、あがれ」
「嫌やわ。兄貴がおんのやったら、俺らどっか外いくけん」
「うるせえ、おまえは黙っちょれ。茅野、そいつら連れて部屋にあがれ。……隼斗、お前にはちょっと話がある」
家に入ることを拒みながら、隼斗は私たちに階段をおりるようにと手ではらった。視線は北斗に残したまま、私はじりじりと階段をあとずさる。
いっきに駆けおりてしまえばよかったのか、北斗の「逃げるな」という声につかまってしまう。せっかくのチャンスを無駄にしてしまい、隼斗も諦めたように舌打ちをした。
申し訳なさそうな隼斗の瞳に、私のほうが申し訳なくかんじた。しぶしぶと踏みいれた団地の玄関はせまく、くつの脱ぎ場にすこしだけ戸惑う。
ひとの靴を踏むいきおいで上がりこむ茅野。北斗に言われたことを思いだしたのか、玄関からすぐの部屋のまえで立ち止まりこちらをみた。
はやく来いと言いたげな彼の視線にあせってしまい、私たちは『おじゃまします』という礼儀の言葉すら忘れてしまう。
追いかけて入った部屋は、こたつ台と三段ボックスだけという、六畳ほどの物のすくない殺風景な畳の間だった。
「よお、おまえら……適当にすわって、くつろいじょけよ」
「え、あ……うん」
「隼斗! おまえは、ちょっと……こっちにこい」
「痛ってえなあ! くっそ、……なんでか! はなせ……っちゃ!」
部屋の主ではない北斗のくつろげとの言葉に、苦笑いすらもできずに返事をした。隼斗は畳に尻すらつくことは許されず、首根っこを掴みあげられ部屋から引きずりだされていく。
ばたんと閉められた襖をみつめ、すこしのあいだ放心する。茅野はまるで何事もないかのように、ボックスから漫画を手にとり壁に背をあずけた。
まるでわが家のようにくつろぐ茅野。そんな彼をみて、私たちは顔をみあわせる。あらためて部屋をみまわしてみたが、まったく生活感のない部屋だ。
開けっ放しの掃きおとしの窓から、乾きかけのコンクリートの匂いがする。カーテンが掛けられているわけでもない窓の向こうがわ、ベランダにはゴム製のスリッパが転がっていた。
漫画に夢中になっている茅野の正面にすわり、ゆっくりと壁にもたれかかる。つづくように皐月も腰をおろし、ふたりでベランダをながめていた。
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