第1章

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第1章

8f1bf5b6-3ddb-4696-b8d1-fddd31787630 第1章…01  五月のよく晴れた日曜日。俺、久我隼斗(くがはやと)は、母校である小学校の運動会にやってきていた。  とくに知り合いがいる訳でもなければ、運動会そのものに関心があるわけでもない。正直をいうならば黄色いその声援もうわのそら、ましてや目のまえの白熱なたたかいを繰りひろげているのは小学生。  さすがに小学生に興味など抱くはずもなく、ただ持てあました時間をつぶすだけの目的でこうしてここに俺はいる。  運動場からみるならば、西側となる位置にたつ校舎の三階。陽あたりのよい窓ぎわの机のうえで、俺はぼんやりと外を眺めていた。たかい位置からの陽ざしがあたたかく、気をぬけば睡魔に意識をもっていかれそうになる。  スタートの合図の音に引きもどされ、眠気をさますように両手を高くのばした。かたまりかけていた筋肉をのばしながら、ふと運動場よりもさきの景色に視線をのばす。 「なあ、茅野(かやの)。……あいつらって、あそこで何しよるんやと思う?」 「は? あいつらって何、……どこな」  小学校からのつきあいである、茅野雅志(かやのまさし)に声をかける。運動場を背にするように窓に背をまかせていた彼は、俺のことばに反応して上半身をひねり外をみた。下ばかりを意識してのぞいている茅野(かやの)の肩をつつき、俺は運動場のさきを指さした。  振りむいた茅野(かやの)は俺の指さきをみてから、その指のさきをたどるように視線を遠くにとばす。みつけているのかどうなのか、それすら読みとれないほどに興味なさそうな彼の横顔がこちらをむいた。 「お前が言いよるあいつらってさ、……あの幼稚園のとこにおるやつらのこと言いよんの?」 「んん、そう……」 「え、……あれって、普通にブランコで遊びよるだけなんじゃねぇんな」  そう、茅野(かやの)が言うように園児用の小さなブランコで、ふたり組の女が普通に遊んでいるだけの光景なのだ。  ただ何てことはない光景ではあるが、表情までは見えないにしてもその楽しそうな雰囲気が印象深く、なぜか目が離せなくなってしまったのだ。俺が気にして見ているからだろう、茅野(かやの)も同じように彼女たちの行動を目で追っている。  他校の小学生なのだろうか、それともここの卒業生なのだろうか。そんなことを思いながら片膝をたてて、身体ごと彼女たちのほうを向きなおした。  ひとりの女がブランコをはなれ、ちかくの鉄棒へと移動をした。ほどなくしてもうひとりの女も鉄棒へと移動して、低くせまいスペースにふたりがくっつくようにして笑っているようにみえた。 「なあ、お前ってさ……あのふたりの顔とかって、みえたりする?」 「は? あんな遠くのやつの顔なんか、見えるわけねえやん。まあ、女やなっちゅうんは……わかるけどな」 「そうでな、見えるわけねぇでな」 「は、なんそれ。なんな、どげえしたんな」  鉄棒にはさほど長居はせずに、つぎはすべり台へと移動をした。そんな彼女たちをみていて、ついつい心のなかで「いやいや、それは無理だろ」とツッコミを入れてしまう。とうの本人たちもさすがにそれはわかっているのだろう、すべり台へは登ろうとはしていないようだ。  立てていた片膝を逆の足にかえて、俺はそのままふたりの観察を続けていた。彼女たちのちょっとした仕草に反応して思わず笑みをうかべてしまう俺を、となりで茅野(かやの)が怪訝そうにみつめていることには気づかない。 「……なあ、久我(くが)しゃあねえん? 退屈すぎてぶっ壊れちょんのやねえん」 「ん? いや……なんかやたら楽しそうやと思わんか?」 「まあ……たしかに楽しそうっちゃあ、楽しそうやけど。俺らに関係ねえっちゃあ、かんけ……あ、動き出した」  すべり台のしたで抱きあっていたふたりは、ゆびきりのような仕草のあとにこちらへ向かって歩きはじめた。見失わないように視線で追っていると、体育館のよこを通りぬけてどうやら校舎のほうへと進んでいるようだ。  この学校の正門と裏門は、この校舎の左右へと別れてある。はたして校舎につきあたった彼女たちは、どちらの門へと向かうのだろうか。もしも右にまがり正門へと向かってしまえば、顔もみえないままに彼女たちとはお別れとなってしまう。  校舎のまえに立ちどまり、少しの会話のあとに左へと向きをかえた。その瞬間、俺は心のなかで「よっしゃ!」とガッツポーズをする。このまま距離がちぢまれば、もしかしたら少しくらいは顔がみれるかもしれないと思ったからだ。  小さいほうの女が大きいほうの女の腕をひくようにして、徐々に俺たちのいる教室のしたに近づいてくる。そろそろ見えるかなと気持ち身体を前のめりにしてみるが、うえからの角度では思うように顔なんてみれそうになかった。  ひかえめな俺の覗きかたとはうってかわり、茅野(かやの)は窓から大きく上半身をのりだしている。そんな茅野(かやの)が「ん?」といって、首をかしげた。 「どしたん?」 「ん? いやな……もしかしたら、なんやけどな。あの背のたけえほうな、見覚えがあるような気がするんよな」 「うそ、まじで! 名前とか知っちょんの?」 「いや、名前までは知らんけど。……多分な、たぶんやけど……おなじクラスのやつかもしれん」 「なんかそれ、ばかやん。そうとう適当なやつやねえか」  知りあいかもしれないとほのめかし俺に期待をさせた茅野(かやの)は、いとも簡単に俺の期待をおおきく裏切ってくれた。俺は舌打ちとともに、少しだけ力をこめた尻蹴りを彼に見舞った。  たいして痛くもないくせに、彼は大袈裟に尻をかきながらへらへらと笑う。あまりにもふざけた態度の彼に、俺はもういっぱつ蹴りをくらわそうと両手を机についた。  その攻撃を回避しようとした茅野(かやの)が、窓のそとをみて「あ……」と声をもらす。見ればふたりの姿は真下にみえていて、もう間もなく通りすぎてしまおうかというところまできていた。 「やべえ、……顔がみてえよう」 「……え、かお?」  俺のくちからこぼれた言葉に、茅野(かやの)は驚いたような顔で振りかえる。そしてすぐに窓のそとに身体をのりだして、これでもかというほどに大きく息を吸いこんだ。その一部始終を見守る俺には、彼がつぎにどんな行動にでるかなんて考える余地もない。 「ぶうーーーーーーっす!」  茅野(かやの)の口から、思いもよらない言葉が吐きだされた。おおきく息を吸ったのは、この大声量をうみだすためだったのだろう。そんな呑気なことを考えている暇はなく、俺は慌ててカーテンの陰に身をかくす。叫んだ本人ときたら、けらけらと笑いながら冷静に窓の内側に身をおさめた。  運動場の音響のせいで、彼女たちの声も気配も目視なしでは確認できない。しかしあのセリフのあとに姿をみせる勇気など、動揺しているこの俺にはない。  茅野(かやの)が窓から顔半分をのぞかせて、したのようすを伺ってみた。すばやく顔をひっこめたところをみると、おそらくそこにはふたりの姿があったのだろう。くすくすとふくみ笑いをしながらなんども顔をだす彼の、その根性たるやどれほど腐っているのかと疑いたくもなる。 「あ、やっぱそうや。あの背のたけぇほう、やっぱおなじクラスのやつやわ」 「うそ……まじで? ……え、……やば」  いがいと堂々と顔をのぞかせている茅野(かやの)をみて、下のふたりはこっちを見てはいないのだろうと思った。カーテンを少しだけめくって窓の下をみてみると、目をほそめて校舎を見あげるふたりの姿がそこにある。しかしどうやらこちらの様子は、向こうにははっきりとは見えていないようだ。  一緒にいる女が小さすぎるのかどうかは定かではないが、ひとりは細身ですらっと高身長のように感じた。ながい黒髪が風にゆれる彼女の姿をみて、不覚にも俺はどきっとしてしまった。  俺のように完全な不登校ではないにしても、あまり学校には行っていない茅野(かやの)。そんな彼がひとめ見ただけでおなじクラスだと断言できたには、あまりよろしくない印象が深く残っているからだという。  よろしくないと聞かされれば、その内容をふかく追及したくもなる。訊けばその理由というのは、教室ですれ違いざまに身長に不快を感じたからだという。  どんな不快なのかと問えば、もしかしたら自分より彼女のほうが背が高いかもしれないと、またここでも不満そうに眉間に皺をよせてみせたのだ。 「……あ、行ってしまったで」 「ほんとや……。なあ、あの背のたけえほうのやつってさ、彼氏とかおるとおもう?」 「は? ばかやねん、俺がそんなん知るわけねえやん。名前もしらんし、学校にもいっちょらんのやけん」 「そんなら、お前……あしたから学校にいきゃいいんやねんか」 「はあ? ……なに、わけのわからんこと言いよんの」 「お前、行ってねえけん知らんって言ったろうが? じゃけん、行けば名前もわかるやろうし、いろいろと情報を掴めるやろうがって言いよんのよ」 「は? ……なんそれ」  俺の出校命令にたいして、茅野(かやの)は露骨にいやな顔をした。いかにも正論をふりかざすような俺の態度に、彼は異議申し立てすらする気力はなさそうだ。  うなだれるように机に突っ伏した彼は、きこえるか聞こえないかの小さな声で、「自分が行きゃいいじゃんか」とぼやいた。聞こえなかった訳ではないがあえてそこは聞きながし、つま先で茅野(かやの)の脇腹を突きながら、俺のくつろげる場所もついでに探すようにとつけ加える。  不満を身体であらわすように、机のうえで上半身をころがす。そんな茅野(かやの)を放置して、俺は彼女たちが去っていったほうを眺めてみた。しかしそこにはすでに彼女たちの姿はなく、運動場では変わらずに黄色い声援と白い砂ぼこりがあがっていた。
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