『瓢箪から駒!』あいうえおSS「く」

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 苦し紛れの嘘が思いがけないところに転んでしまうことはあるもので。  熊谷優奈はスマホの画面に表示された名前を見て電話に出るかどうか一瞬躊躇した。昼時を狙って母親が電話をかけてきたのは明白で、どうせ面倒くさい話なのも予想できるが、出ることにした。 「……もしもし」 「お母さんだけど。LINE見た?」 「見たけど……仕事中に電話かけてこないでよ」  電話しながら財布を取って席を立った。社食や外食にと席を立つ同僚と会釈を交わしつつ非常口を開けて非常階段へと出る。昼休みのこのタイミングならタバコを吸っている人も休憩している人もいないから大丈夫だろう。 「仕事中っていってももうお昼でしょ」 「そうだけど。時間通りにお昼休みを取れるかわかんないし、個人的なことを会社であれこれ話せないじゃん」  話せないのを狙って電話に出たのだが、いかにも仕方なく対応しているという感じを演出する。 「手短に話すけど、結婚相談所……今は婚活コンサルタントっていうの? そこ、お母さんが申し込んだから」 「はあー?」 「だって優奈、前におつき合いしていた人と別れて何年経った? このままじゃ孤独死よ、孤独死」  これだから田舎は……と優奈はこめかみを押さえた。  いまだに女の幸せは結婚して子供を産んで専業主婦として生きていくことと思っている。仕事は結婚が決まるまでの社会勉強であって、そこにやりがいを求めるのは無意味と古い価値観を押しつける。女に許される選択肢は少ない。優奈はそんな田舎に戻るつもりはさらさらなかった。また、いつまでも価値観……いや、自ら人権を放棄するような「女」の生き方を選択する母親の言う通りに生きるのは絶対に嫌だ。 「でね、この婚活コンサルタントなんだけど、毎日何かしらイベントやってるのよ。趣味のサークルとかね。でねお相手の条件だけど同郷ってしておいたわ。だって里帰りするのも便利でしょうし、将来こっちに戻ってくることになっても楽……」 「返金してもらって」  優奈は母親の言葉を遮った。 「え」 「だから、キャンセルして返金してもらって。今おつきあいしてる人いるし」  今、恋人などはいない。嘘をついたとしても物理的に離れているわけだし、確認できるはずがない。この母親のことだから上京してくる可能性もあるのだが、その時は大学の男友達とかレンタル彼氏でもなんでも……その場しのぎの手なんていくらでもある。 「あなたそんなこと一言も言わなかったじゃない。ちゃんと結婚前提でのおつき合いなんでしょうね」 「子供じゃないんだからいちいち親に報告する? それにつき合い始めてまだ半年くらいだし」 「つき合ってる時間が問題じゃないのよ。相手に結婚する気はあるのかって聞いてるのよ」  しつこく食い下がってくる母親にイライラしてくる。 「わかんない。でも彼、ウチの会社の結婚したい男ナンバー1なんだよね。そんな人が私がいいって言ってくれてるから真剣に考えてくれてるんだと思う」  優奈はある人物を思い浮かべていた。同期の桜木春馬。めちゃくちゃイケメンというわけではないがなかなか整った顔で、気さくな性格なのもあり男女ともに人気がある。新人研修の時に同じグループだったのだが、意外とリーダーシップがあり個性的なグループをまとめていた。1人、とても嫌味なヤツがいたのだが、そいつに対しても最低限の礼儀を忘れず丁寧に接する様子に、親に肯定されて育ってきたんだろうなと思った。屈折した自分とあまりにも違い、勝手に近寄り難く思っている。  でもさ……本当は羨ましいんだよ。 「どんな人なの」 「えー……まあ、優しくて真面目で仕事できる人? 最近担当したプロジェクトが評価されて社長賞もらってた」  嘘は適度に本当のことを混ぜるとバレにくいという。少し後ろめたさは感じたが、嘘をつくのがちょっと面白くなってきた。 「出身はどこなの?」  母親は優奈の言うことを信じていないようで、また質問してきた。しつこいなと思った瞬間、横から「出身は東京でーす」と声がした。 「さっ……!」 「初めまして。優奈さんのお母さん?」  振り向くと横に桜木春馬が立っていて、優奈のスマホに顔を近づけ母親に話しかけている。 「ご挨拶もまだなのに、乱入してすみません。でも、俺、真剣におつきあいしているんで。優奈さんに婚活されると困ります」  あまりシリアスになりすぎず、かといって茶化すわけでもなく。適度に愛嬌をふりかけた調子で桜木春馬は会話を続けた。突然のことに目を白黒させている優奈をよそに、「じゃあ今度優奈さんの里帰りについて行きます」なんて言い始めた。助け舟を出すにしても、これでは取り返しがつかない。 「もう、昼休みなくなっちゃうから、切るね! 婚活は絶対キャンセルで!」  電話を切ると桜木春馬に詰め寄った。 「ちょ……ちょっと桜木さん、どう言うつもり?」  まだ驚きで激しく打ち付ける心臓を抑えて優奈は言葉を振り絞った。 「先に上の踊り場にいたんだよ。そしたら声が聞こえて来て。これはチャンスだと」 「チャンスう?」  桜木春馬は真っ赤になってそっぽを向いた。 「熊谷さあ、自分がなんって言われてるかわかる?」  なんて言われているかとは。愛想がないのは自覚している。どうせお局様とか、男女とかそんなところだろう。 「違う。ジェンヌって言われてるの。そこらへんの男どもよりかっこいいだろ。だから甘えたい男とか、女子から密かに人気なわけ」  初めて聞く話に、優奈はあんぐりと口を開けた。 「……なに、それ。じゃ……じゃあ桜木さんは甘えたい男ってわけ?」  自分でも何を言っているのかと思う。 「俺は! 甘えるのが下手な熊谷さんを甘やかしたいの!」 「いやいやいやいや無理だし!」 「いやいや何言ってんの? さっきのどう聞いたって俺のことでしょ? 咄嗟に思い出すくらいは意識してるってことでしょ?」 「じ、自意識過剰なんじゃない? たまたま……たまたま思い出したの。社長賞のインパクトっ」 「社長賞もらったの去年だろ!」  必死に言い合いをしているこの状況に笑けてきた。一度決壊した感情は止まらない。腹を抱えて笑う優奈に桜木春馬は口を尖らせすねている。 「ま、まあ。すでにお母様にお家に伺いますって約束取り付けてるしね。まずは既成事実を積み重ねて行くから。今夜食事行こう?」  押しが強いのか弱いのか。  苦し紛れの嘘が転んだ先は案外明るい未来なのかもしれない。 了
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