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25:襲撃
「ほら、音姫様! そんなダンスではいけません! いちっ、にっ、さんしっ!」
「ひ、ひぃ~~!!」
ぜぇはぁと息を乱しながらステップを踏む。ソノラが今行っているのはもうすぐ開かれる親交パーティのダンスの練習だ。ギリギリまで作品の制作に集中したソノラは今必死に練習をしているのである。
ダンスの教師は王宮から手配されているが、生憎音宮は狭く練習する場所がない。一方でセラの聖宮には広いダンスホールがあるのでそこを借りている。長時間の練習から、ソノラはもう虫の息だ。
「大丈夫? ソノラ様」
「ぜぇ、ぜぇ……も、もうダメ! セラ様は信じられないっ! 私より踊っているのに息一つ乱れてないのだもの!」
「私は幼い頃から母に鍛えられてきたからよ」
ソノラはセラから皮の水筒を受け取り、一気に飲み干す。頭がくらくらした。
セラもそんなソノラの隣に座り、水分補給をする。しばしの休憩だ。
「そういえば、もう課題は提出した?」
「私の作品はもう今頃お渡ししているはずよ。音宮にいるフランが代わりに渡してくれているはず……」
明日、第二の試練の場である親交パーティが開催されるので、前日である今日各々の王妃候補達は課題物を提出することになっている。
「あーあ、ソノラ様ならきっとすっごく面白いものを作ったのでしょうね。同じ王妃候補じゃなければ、見せてもらったのに!」
「王妃候補同士のトラブル防止のために作品を見せあうのは禁止だって言われたら納得するしかないわ。むしろ今までの王妃選定で一体なにがあったのやら」
そんな雑談をしていた時だ。突然、ダンスホールに男が乱入してきた。酷く焦っている男は王城の騎士である。
「音姫様っ! 音姫様はこちらにいらっしゃいますか!?」
騎士の真っ青な顔にただごとではないことを悟ったソノラはすぐに立ち上がる。
「はい! ここにおります」
「あぁ、音姫様! すぐに音宮にお戻りください! 音姫様の課題物の受け取りの際に、ま、魔物の襲撃にあい!! 音姫様の侍女が大怪我を!」
「……えっ?」
頭が真っ白になった。それまでの疲れを忘れ、気づけば全力で駆けていた。途中ですれ違った騎士や王城の従者がなんだなんだとソノラに振り向くが、気にする余裕もない。
音宮の前には数人の騎士が何やら話し合っていた。白い門に血痕が跳ねているのが見える。ただでさえ暴れている鼓動が、さらに激しさを増す。
「フランは!? フランはどこ!?」
「きゃ、客間のソファにひとまず寝させております!」
ソノラは騎士の返答を聞くなり、音宮の中に飛び込んだ。そして口を押さえ、ひゅっと息が止まった。ソファの上には右肩が真っ赤に染まったフランがいた。顔も血の気がない。
「フラン……ッ」
気づけば涙が溢れていた。安全なハズの音宮で、どうして。息ができず、その言葉すら吐き出せない。どうしてどうしてと頭の中でただただ嘆く。
フランの傍にいた騎士が目を伏せた。
「私が音姫様の課題物を受け取る役目を与えられた者です。そして、この侍女殿から約束の課題物を受け取ろうとした際、突然黒い魔物が……」
「魔物? 音宮に?」
「は、はい。猫に似た獣の魔物で……! 侍女殿は、課題物を庇って、襲われたのです!」
「ッ! フラン……貴女って子は……」
ポタッ。ソノラの涙がフランの頬に落ちた。その時、微かに彼女の瞼が揺れる。
「その……ら、さま、」
「フラン! よかった、目が覚めたのね」
「……!! ソノラ様、ごめ、ごめんなさい……」
突然号泣するフランにソノラは目を丸くした。
「どういうこと?」
「だって、ソノラ様が一生懸命作ったイヤリングが……」
フランが嗚咽で答えられないと判断したソノラは傍にいた騎士に説明を求める。騎士は気まずそうに俯いた。
「実は……ソノラ様が提出するはずだった課題物が襲い掛かってきた魔物に盗まれてしまって……」
フランはイヤリングを守れなかったことを謝っているのだ。ソノラはそっと微笑んだ。優しくフランの頭を撫でる。
「馬鹿ね。そんなもの捨てて逃げなさい! それよりも私には、ずっと幼い頃から一緒だった貴女が必要なんだから……」
「その、ら様……ありが、」
その時、フランの意識が消えた。何度も彼女の名前を呼ぶが、返事がない。こうしている間にも血はフランの服を染めていく。
「治癒師は、王宮治癒師は呼んでるの!?」
「は、はい! もうすぐ着くかと!」
もうすぐっていつよ!!
そんな理不尽なことを叫びたくなった。どんどんフランの頬の熱が冷たくなっていっているような気がして、焦る。
そんな時、誰かがソノラの肩を強く掴んだ。
「ソノラ様。私に任せて」
「セラ様!」
セラの息は荒い。全力で音宮まで駆けつけてくれたのだろう。その優しさが目に沁みた。
そして、
「ソノラ!!」
次に音宮に飛び込んできたのは、ライゼルだった。
ライゼルは目の前の惨状に眉をひそめた。
「──城内に、魔物が出たとはきいていたが──狙いは、イヤリングか」
「フランは……私のイヤリングを庇ってくれたようです」
ソノラは自然にイヤリングに目を向けた。傍にいた騎士がブルブル震えあがり、途端に床に片膝をつける。
「も、申し訳ございません!! 襲撃した魔物は目にも止まらぬ速さで逃げていき、なに一つ分からずじまいです!」
「……至急、魔法又は呪いの痕跡を探せ。虫一匹見逃すなと魔導士達に伝えろ。また、他の王妃候補達の宮を隅々まで調査するように」
「はっ!」
ライゼルは慌てて駆けつけてきた騎士達に一通りの指示をした後、ソノラに深々と頭を下げる。
「ソノラ、申し訳ない。君の侍女とイヤリングを守れなかったのは余の責任だ」
「な、なにをしているのですか陛下! 頭を上げてください!」
「……余の監督不行き届きだ」
ぐぐっとライゼルの握りこぶしに一層力が入ったのが見えた。ソノラはフランの真っ青な顔に視線を移す。
「……陛下、頭を上げてください。そして私の我儘をお許しください」
「分かった。許そう。何でも言ってくれ」
ソノラは唇をきゅっと結んだ。
「王妃選定を辞退します。私には第二の試練を受ける資格がなくなりましたから」
「……、」
数秒の間。針のような沈黙だった。ちくちくとソノラの心を責めてくるような沈黙。
(だけど、今回現れた魔物が何者であれ今回限りとは限らない。またフランや、今度は家族に危険が及ぶかもしれない)
瞼の裏に浮かぶのは、ソノラのASMRを聴いて眠る穏やかなライゼルの寝顔だ。次に浮かんだのは悪戯っ子のように口角を上げるライゼル。そして次は……。
今までソノラに見せてくれた彼の様々な表情が一気にソノラの中で蘇ってくる。ソノラは鼻の奥がつんと痛んだ。
(そうか……王妃選定を辞退した王妃候補は王城にいられない。つまり、もうライゼル様のお傍には……)
そうしてライゼルはソノラの知らないところで王妃候補の誰かと結ばれるのだろうか。ズキズキと胸が痛む。だが、もうこれ以上、大切な者を危険には──
「──駄目だ」
ソノラはハッとする。わけがわからず、顔を上げると、ライゼルがソノラの背中に腕を回した。ぐいっとソノラの身体が持ち上げられ、逞しい腕の中に閉じ込められる。
「駄目だ。それだけは……すまない。その我儘だけは許さない。君にだけは、諦めてほしくない……!」
「ライゼル、様」
「頼むからここにいてくれ……」
それは、ソノラが王城にいないと眠れないから、だろうか。
しかしソノラにはそれを聞く勇気がなかった。
「ライゼル様、しかし……」
「余にはこの不始末の責任をとらなければならない。協力を惜しまない。それに君の侍女も自分のせいで君が辞退するのは嫌だろう。なんのために彼女はイヤリングを守ったのだと思う?」
「ッ!」
──『ソノラ様の音魔法は世界一素敵な魔法です。私はもっともーっとソノラ様が凄いんだって周りに知ってもらいたいんですよ』
それは入城した時に彼女が言っていた言葉だった。
ソノラはしばらく考え、意を決したように涙を拭く。顔を上げれば、目の前にはルビーの瞳がソノラの答えを待っていてくれていた。
「……ライゼル様」
「あぁ」
「先ほどの私の言葉は撤回します。他人を傷つける卑怯者に負けるなんて、お父様に知られたら勘当されてしまいますから」
「! では……」
「えぇ。ひとまずイヤリングが見つからないことを想定して、新しいものを作るには時間がありません。今日一日、ライゼル様の貴重なお時間をくださいませんか?」
「あぁ! 勿論だ! なんでも手伝おう!」
心から嬉しそうに微笑むライゼル。
……しかしここで、咳払いが一つ。
「ソノラ様が王妃選定を辞退しないのはいいのですけれど、流石に私の存在をお忘れではなくて?」
「あっ」
同時に顔を真っ赤にして慌てて離れるソノラとライゼル。そんな二人を見て、すっかり治療を終えたセラが呆れたように肩を竦めたのだった。
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