26:海の美女

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26:海の美女

 見渡す限りの、海。王城を出発した際には既に夕方だったため、日もすっかり沈んでいた。  うっすらと霧がかかって見える蒼い満月だけがソノラとライゼルを見下ろしている。海に引かれた月光の道が波に合わせてキラキラと輝き、ザァアア、と絶え間なく聞こえてくる波の音に呑み込まれてしまいそうだ。 「綺麗だろう、ここの海は」 「はい。とっても」  ライゼルの言葉に素直に頷いた。  ソノラ達は今、明日の親交パーティでヴァルクウェル国王夫妻に渡す課題物を作成するため、ドミニウス王都の東部に接しているゲニス海の浜辺にきていた。  もう親交パーティまで時間がない。今から同じクオリティの朗読劇を編集・制作するのは不可能だ。故にソノラは朗読ではなく、歌として邪竜物語を表現することにした。  朗読劇の途中で挟まれた勇者のテーマ曲。あれに歌詞をつけ、歌うのだ。そしてその収録した歌をライゼルに至急用意してもらったイヤリングに保存することにした。 「でも、ライゼル様。どうしてこの場所を提案してくださったのですか? 歌を歌うには適した場所とは言えませんが……」 「あぁ、普通はそうだろうな。だが君の歌を最大限に引き出す演者はここにしかいない」 「演者?」  ライゼルは何かをポケットから取り出した。それは角笛だ。そんな奇妙な形に曲がりくねった形の角を持つ生物など、田舎産まれのソノラですら見たことがない。  ライゼルが勢いよくその笛を吹くと、絶え間ない波の音がその笛の音に反応するかのように途端に静かになる。ソノラは目を丸くした。 「ライゼル様!? その笛は……」 「幼い頃、よく家族四人で遊びに来ていた。母上の()()がここに住んでいるからな。どうか彼女らが現れても驚かないであげてくれ」  その時だ。海辺からちゃぷんと水音が聞こえる。誰かの視線を感じ、ソノラは恐る恐るそちらを見た。  海から顔をのぞかせているのは黒髪の絶世の美女だった。暗い夜の海で彼女を認識できたのは彼女を中心に水面が強い光を放っていたからだ。しかも、美女は一人ではない。続いて四人の美女達の頭部が水面から生えてきた。さらに水面の輝きが増し、周囲が明るくなる。  黒髪の美女がライゼルを見上げ、ぱぁっと花のように笑う。 「その海牛の笛を持ってる緋色のイケメンってことは……ライゼルちゃん!? 貴方、ライゼルちゃんなの?」 「お久しぶりです。マリア殿」  黒髪の美女──マリアと言うらしい──に向かい、ライゼルは恭しく一礼をした。途端に他の美女達も「きゃあっ!」と高い声を上げる。 「嘘、ほんとにライゼルちゃん!? こんなに大きくなっちゃったの!? やだ、お母さんにそっくり!」 「フィアメールも一緒なの!? それにその女の子は誰? ライゼルちゃんの恋人?」  フレンドリーな美女達にライゼルも照れくさそうに笑っている。まさか誰もあの炎帝が美女達に「ライゼルちゃん」と呼ばれているなんて思わないだろう。ソノラだって今驚いているのだ。しかし美女達を見ていると、気づいたことがある。 (この方たちはもしかして人魚……?)  最初は暗くてよく見えなかったが、水面が輝く今ならよく見える。彼女達の皮膚にところどころ鱗が浮かんでいることに。それに水面を照らす光の正体は彼女達の下半身にあった。人魚の尾ひれは彼女達の意思で色とりどりに輝くと言われているが真実のようだ。光り輝く美しい尾ひれがピチャピチャと跳ねて彼女達の喜びを表現していた。 「母上は……少し体調が悪く、残念ながら来ておりません」 「あら、そう……。久しぶりに会いたかったわ。よくなったら会いに来てとフィアメールに伝えてね」 「えぇ、必ず伝えます」 「それで? 次はその女の子について教えてくれるのかしら?」  ……と、そこで人魚達の視線が一斉にソノラに向く。ソノラは緊張で背筋を伸ばした。ライゼルがそんなソノラの背中に手を添える。 「彼女は余の妻候補です。今、王妃選定の儀を行っている途中でしてね」 「ふーん? それでなんでここにきたの?」 「少しトラブルがありまして。ぜひ貴女方の力をお借りしたい。彼女は王妃選定の課題のために歌を歌うのですが、美しい歌声を持つ貴女方にも協力していただきたいのです」  ライゼルは「お願いします」と深々と頭を下げた。ソノラもつられて頭を下げる。つまりライゼルはソノラのバックコーラスを彼女達にお願いしているのだ。  たしかに、人魚は世界で一番美しい歌声をもつとされている。そんな彼女達と一緒に歌えたらと思うとワクワクするが……それを彼女達がどう思うだろうか。人魚は自分の歌声に自信を持っている。彼女達がその美しい歌声で船乗りを惑わす逸話が有名であることからもそれは予想できる。 「つまり? この私達の美しい歌声をバックに歌いたいってこと? 世界一の美しさを持つ私達の歌声を?」 「はい、お願いします」 「貴方ねぇ、自分の言ってること、分かってる?」 「はい」  人魚達は一斉に俯く。歌に絶対の自信がある彼女達にバックコーラスを頼むとなると、流石に友好的な彼女達でも怒ってしまうのではないだろうか。  ソノラは内心ハラハラしながらライゼルと人魚達を交互に見ていたが…… 「……もっちろん! OKに決まってるじゃな~い♡ 私達の大親友の息子であるライゼルちゃんのお願いだもの! ぜひ協力するわ!」  人魚達はぐっと親指を突き立てて笑顔を浮かべた。ソノラはほっと胸を撫でおろす。どうやら彼女達はフィアメールと親しい仲らしいが、自信家な彼女達にこうまで言わせてしまうフィアメールの偉大さを改めて実感した瞬間だ。  するとライゼルがソノラの背中を押した。「自己紹介を」と耳に囁かれる。ソノラは慌てて人魚達に頭を下げた。 「みっ皆様、初めまして。ソノラ・セレニティと申します! この度は皆様と共に歌わせてもらうこと、とっても光栄に思います!」 「ふふ、可愛い子じゃない。でも私達をバックコーラスにするにはもちろんそれなりの歌声なんでしょうね?」 「マリア殿。ソノラの歌声は貴女達にも負けないと余は思っているぞ」 「ライゼル様!?」  ライゼルがニッコリ笑って堂々とそう言い放った。ソノラは口を開けたまま、なんとも間抜けな顔を晒してしまう。  そんなライゼルの言葉に火が付いたのだろうか、人魚達が妖しく口角を上げた。 「へぇ……? 言ってくれるじゃない。ソノラちゃんだったかしら? さっそくどんな歌を歌うか教えてちょうだい。言っておくけど、私達のバックコーラスに喰われないように気を付けてね?」 「は、はひぃっ!!」  マリアを始めとする人魚達からの無言の圧にソノラは思わず噛んでしまう。  こうしてソノラと人魚達との歌収録が始まったのだった……。
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