7人が本棚に入れています
本棚に追加
27:あなたへの歌
邪竜物語では主人公である勇者が一度挫折してしまう。それは勇者が邪竜に攫われた姫を救う為に人魚の国に向かう場面のことだ。人魚の国に入国するには「海の目」と呼ばれる大渦に飛び込まなければならなかった。しかし大渦は非常に危険で、まだ若い勇者は海の目に飛び込む勇気が出なかったのだ。
だが、海の目に飛び込めない情けない自分に絶望する勇者を前に邪竜に攫われたはずの姫の幻影が現れる。勇者はその幻影を見て、姫への愛を思い出し、海の目に飛び込む決意を固めるのだった。
──と、ソノラはこの姫の幻影が現れ、勇者の勇気を鼓舞する場面をイメージして歌にするつもりだった。
だが。
(だ、だめだわ! 完全にのまれてしまってる!)
流石世界一の歌声をもつとされる人魚たちだ。何度歌っても、完全にソノラの歌声が彼女達のコーラスに負けてしまっているのである、
もう歌う時間なんてほとんどないというのに。ソノラは焦りを感じ、唇を噛み締めた。
「一旦休憩にしましょう」
「マリアさん! でも、時間が、」
「それは分かってるわ。でもこのままじゃ全然駄目よ。歌ってのは心がこもっていなきゃ輝かない。貴女の歌声は素晴らしいけれど、心が足りないのよ」
マリアにそう指摘されると、たしかに焦ってばかりでソノラの歌には心がこもっていないように思える。
「よく考えてみて。姫はどうして勇者の前に現れたのかしら」
「それは……」
ソノラは答えられなかった。物語でも勇者中心で物語が展開されるため、姫の心情は一切描かれていない。たしかにどうして姫の幻影は勇者の前に現れたのだろうか。
「ソノラ」
考え込むソノラに「少しは休め」と言葉を続けて、皮の水筒を渡してくれたのはライゼルだ。ソノラはありがたくそれを受け取り、水を飲み干した。そして隣のライゼルを見上げる。
「ライゼル様はどうして姫が勇者の前に現れたんだと思いますか?」
「ふむ。そうだな。余は……本当は姫の幻影なんてなかったと思う」
「え?」
「勇者が自ら見た錯覚だったと解釈している。今、自分が諦めたら何を失うことになるのか勇者は再確認して新たに決意を固めたんだろう」
「……そう、かもしれませんね」
「ソノラはどう解釈しているんだ?」
「私は……」
ソノラはそれ以上言葉を紡ぐことができなかった。まだいまいちイメージが湧いていないのだろう。
(でも。厚かましいけれど、もし私が姫だったら……)
「私のことなんか忘れて幸せになってくださいと、どんな手を使っても勇者に伝えたいです。たとえ会えなくても、大切な人が死んでしまうことが一番怖いですから」
ソノラはぎゅっと胸を抑える。ライゼルが隣でクスッと笑ったのが分かった。
「……なるほど。余も理解した」
「へっ?」
「勇者の気持ちだよ。たしかに愛する女にそんなことを言わせてしまっては、命を懸けてでも救わねばと決意せざるを得ないだろうな」
「君らしい解釈だ」とライゼルは続ける。そしてソノラの背中を押した。
その先には人魚達がソノラを待っている。タイムリミットはもうすぐだ。歌わなければ。
定位置につき、ソノラは歌声を収録するためのマイクの魔法陣に触れた。これで収録が始まったのだ。そして人魚達にアイコンタクトをすると、彼女達が一斉に歌い始める。
相変わらず吸い込まれそうな美しいコーラスだ。彼女達の歌声こそ、ソノラにとって海の目のようだった。
ソノラは深呼吸をして、ゆっくり目を開ける。ふと、踵を返してみるとライゼルと目が合った。そうして、勇者の姿が彼と重なる──。
──あぁ、私の愛する人。世界で一番大切な人。
──どうか、私のことなんて忘れて幸せになってください。
──邪竜は私が食い止めます。貴方を絶対に傷つけさせませんから。
──私が、貴方を守ってみせます。
自然と歌詞ができていく。まるで姫に憑依されたかのようだった。
じわり、とソノラの視界が歪む。
──ああ、でも貴方に会いたい。
──貴方が恋しくてたまらないのです。
この辺りは細い声で、囁くように歌う。これは姫の本音ではあるが、勇者には伝えたくないだろうから。
ライゼルは目を見張る。それは人魚達も同じだった。
ソノラの背後には、たしかに姫がいた。一筋の涙を流し、愛しい勇者へ手を伸ばす姫が見えたのだ。
そしてライゼルは──姫の──ソノラの涙を見て、気づけば手を伸ばしていた。そしてそのまま力強く抱きしめてしまった。
「──愛している、」
ポロッとこぼれた言葉。無意識だった。ソノラが腕の中で「へっ!?」と間抜けな声を出す。ライゼルはその声で我に返った。
「す、すまない! 歌い直しか!?」
「い、いえ! ギリギリ歌は終わってましたので大丈夫です。ライゼル様の声が入った部分はすぐに消せますので!」
「そ、そうか。君の歌があまりに美しくて、つい勇者に感情移入してしまったようだ」
恥ずかしそうに離れるライゼルにソノラは寂しいと感じてしまう。荒ぶる鼓動を感じながら、口を押さえた。
(い、今、私……『私も愛してます』って返そうとした……?)
それに気づいて、顔を真っ赤にするソノラ。ライゼルも黙り込むソノラに何も言えないでいた。そんな二人を見ていたマリアが「あなた達、一体何歳なの?」と呆れていた。
***
「では皆、ありがとう。最高のコーラスだった」
「私達も楽しかったわ」
歌の収録も無事に終わり、満足気な人魚達。ソノラはふと思いついて、あるものを人魚達に掲げる。
それは収録用のマイクだ。
「あの、よろしければですが皆さんの声を私がフィアメール様にお届けしますわ。この魔道具に向かって話してくだされば、音を保存して城に持ち帰ります」
キョトンとした人魚達がソノラの説明を聞いた途端に顔を合わせる。そして一斉に「早く会いたいわフィアメール!」や「また一緒に海をお散歩しましょうね!」と必死にマイクに向かって自分の想いを伝えてくれた。
その後、人魚達と別れたソノラとライゼルは馬車に乗り、急いで王城へと帰る。しかしソノラはやけにライゼルの顔が暗いことに気づいた。
「ライゼル様? どうかしたのですか?」
「いや、あの日さえなければ、家族四人で彼女達に会いに行けたと思うと、な……」
そういえば海に到着した時もライゼルは家族四人で来ていたと言っていた。前王フレイムハートと、王太后フィアメールとあと──?
それにライゼルがいうあの日とはいつを指しているのだろうか。それは、彼がフィアメールに会いたがらない理由にも、不眠症な理由にも繋がるのだろうか。
そこまで考え込んでいると、突然ライゼルに肩を引き寄せられる。
「君は疲れているんだ。今のうちに寝ておくといい」
「し、しかし」
「国王命令だ」
そう言われてしまうと、何も言えない。それにソノラはライゼルの言う通り疲れていたのだ。
大人しくライゼルの肩に頭を乗せてみると、彼の香りを感じた。太陽の恵みを存分に浴びた柑橘系の爽やかな香りだった。
(なんだろう、すごく、安心する……)
そのままソノラはライゼルに身を寄せ、眠ったのである……。
最初のコメントを投稿しよう!