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【転①】来訪者
――ある日の夜。グレモラの寝室に侵入者があった。
「ベッドに横たわっているのは死体じゃないだろうな? でなければとっとと目を覚ませ。引きずり降ろされるのが望みか? まだ棺桶に突っ込まれたくはないだろう」
「だ、誰……!?」
眠っている間は、人が一番無防備になってしまう。夜は暗殺を防ぐために、厳重に扉と窓を塞いでいるのにも関わらず、その"男”は眠っていたグレモラのベッド脇に立っていたのだった。
「私が誰か、だと? お前のような者に名乗る名はない。強いていうならば――そうだな、“デアノリス家に力を貸してきた悪魔”だ」
『悪魔』という言葉を聞いて、グレモラは自分は夢を見ているのではないかと疑っていた。が、不意に頬を捻られるその痛みで、眼の前の男が、今のこの状況が現実だということを理解する。
「……悪魔がいったい何の用なんだ」
その問いかけに、悪魔は答える。『用など一つしかないだろう』と。
「お前の兄たちは王の座を狙っているぞ。力、金、権力。それで国を思いのままにしようとしている。心の内から欲望が溢れ出しているのさ。しかしお前はどうだ? そういった権力への欲が何一つ見えないではないか。その上、人としての最低限の食も摂ることもなく、痩せ細り、その姿はドブネズミよりも哀れではないか」
心から蔑むような声だった。
グレモラ本人だって、自分の存在価値を見失いかけていた。
「私は悪魔。代償さえ払えば好きなものが手に入る。お前の望むものは何だ?」
悪魔の口の端が『にぃぃ』と歪んだ。
兄弟たちのことを口に出し、あれは欲しくないか、これは欲しくないかとグレモラを誘惑してくる。目の前に餌をちらつかせて、大きな代償を支払わせるために。
グレモラは、そんな得体の知れない者を前に、小さくこう呟いたのだった。
「――――が欲しい」
「……なんだって?」
その日を境に、グレモラは変わった。
従者に毒見をさせることもなく、迷いなく出された料理に舌鼓を打つ毎日。食事を摂ることに恐れを抱かなくなり、痩せ細っていた体もみるみるうちに健康なものへと戻っていった。
その異常さに恐怖を覚えたのは兄たちである。
暗殺を企んでも、グレモラはその身に宿った才知を活かして上手く回避されてしまう。特に毒殺は何度も仕掛けているのにも関わらず、何一つ成功した気配が無いのである。
加えて、グレモラの兄たちに対しての態度も変化していた。
「兄上はいつも他人が口を付けたものしか食することが出来ず、哀れですね。妹の死は鼻で笑っていたくせに、自分がされる側になるのではないかと怯えている。滑稽極まりないですよ」
末っ子として影の薄かった彼だが、口を開くたびに毒を吐くようになった。
「誰かに一番を譲り、二番手、三番手に甘んじるという精神性……王として相応しいとは到底思えない。さっさとこの王位の争奪戦から降りてはいかがですか?」
これはグレモラの意思によるものではなかった。ほんの欠片でも思ってしまったが最後、それが大きく膨らませたものが口をついて出てきてしまうのだ。恐ろしいことに、我慢ができるといった類のものでもなく、それは自分の味方であるはずの従者たちにも向けられてしまう。
悪魔はそれを『契約の“副作用”だ』と言った。
立場が立場であるが故に直接的に諍いが起きることもなかったが、増やさなくてもいい敵を増やしてしまっているようで、グレモラは気が気ではない。親しき者に向けては口を開くことはせず、真剣な眼差しと抱擁などの全身を使って想いを伝えるようになった。
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