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「『三つの袋』というものがありまして」
指名を受けてマイクの前に立った進藤は、メモを見ながらしゃべり始めた。
「結婚したら、この三つの袋が大事なのです。一つ目は、堪忍袋。二つ目は給料袋。三つめは、オフクロ」
ここで笑いがくるはず――
が、場は静まったままだった。いわゆる、「天使が通った」。
あれ、おかしいな。この話、進藤がしのぶと結婚したときに上司が語ってくれて、なるほど、とウケたものだったが。
「えっ給料袋って何? 振込じゃないところってあるの?」
「オフクロって、姑のこと? 今はあんまり同居もないよね?」
といったささやきが耳に入る。途端、進藤の全身からドッと汗が噴き出してくる。
そ、そうか。話が古かったのか。いや、それ以前に自分は話が下手だ。営業なんて仕事をしているが、相手のお客様らがこちらの話の拙さを辛抱強く聞いてあまつさえフォローまでしてくれるから続けてこられた。重々承知だ。だから普段はリラックスを心掛けて、素の自分でできる限りのことをする。しらけてもしらけても、自分の本心はこうなのだとこんこんと説明するとわかってくれるものなのだ。
でも、今日は営業の仕事ではない。新郎新婦、お客様共に楽しませなくてどうする。こんな大事な舞台を任されたからには、「天使」となるわけにはいかない。
で、進藤はせかせかと予備のメモを取り出す。
「え~、人生には、『三つの坂』というものがあります。下り坂、上り坂、そして、まさか、という坂でして――」
し~~~~~ん。
再び、天使。
ぽつん。進藤の顔に雨粒一つ。ぽつんぽつんぽつん……増えてゆく。いや、さすがジューンブライド、6月らしさ満開だな……。
わかってる、わかってる。自分は話術がないのだ。同じ話をしても、笑いを取れる人と取れない人がいて。
でも、今日は可愛い後輩の大事な人生の出発日。こんなことではいかん。
「え~~~~~。まさか、という坂をお二人で乗り切れるようなご夫婦になって――」
声を張り上げても、客席はワイングラスを口にしたり、落っことしたナプキンを拾ったりと、退屈そうで。
汗がダラダラ流れるのに加え、顔に当たっていたぽつぽつ雨が本降りに――以上進藤体感。
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