第一章 カレーのにおいに導かれ

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財布の中には三十二円しか入っていない。 さらに銀行口座の残高も三桁となれば、待ってもらって下ろしてくるなんて技も使えなかった。 「あの、その、えっと」 口の中がからからに乾いてくる。 給料日まで待ってくれなんてお願いを聞いてくれるだろうか。 そもそもお金を持っていないのに食事をしたなんて、食い逃げだと思われないだろうか。 「その、あの」 食い逃げで警察に捕まればきっと、会社をクビになる。 いや、食い逃げで捕まれば会社をクビになって、あのつらい仕事から逃れられる? 「その、俺、は」 「あー、お客さん、なんとかペイばっかりで、現金持ち歩かないタイプ?」 意を決して食い逃げするつもりだと告白しようとした途端、店主がのんびりと口を開いた。 「いるんだよねー、たまに。 そういう人」 困ったように店主が笑う。 「ねえ、お客さん。 暇、ある?」 レンズの向こうで店主の目が、悪戯っぽく光った。 「皿洗い、頼まれてくれないかな? それで食事代、チャラにするし」
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