眠いときくらい。

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    「眠い時くらい。」      ふと思う、年取ったなとまだ二十歳じゃんと言えば、    言い返す言葉を心のうちに秘めるが、    なんだかんだ短いようで長い様な20年という時、    いつしか聞いた、きっといつかは笑い話になる。    その言葉は本当だったようで、違う気もする。    それはそれなりに向き合った結果であって、きっと私が向き合う事に怖気付いていた    なら今も尚苦痛に打ちひしがれながらに生きていたのだろう。        あの時、この時。後悔はなくはないが、    あの時も、この時も、その時々にできる最上の選択をしてきた筈だ。    今の私ならなんて言葉は、当時の状況の中での痛みを思えばこそ、    安易には口に出せぬもので、    今の私ができる事は過去への後悔ではなく、    過去の自分は頑張ったそう思いたまには褒めてやることぐらいだろう。    そう気がつけたことで、私は少し眠る事ができるようになったのだから    よかったと思う。     思い返せばこそ、沢山のことがあった。    それを今こんな些細な物書きに打ち込む体力はないため、    ただなんとなく遠い風を感じる様な気持ちでぼんやりと意味のわからぬまま    見ていてくれたらなんて思う。          人生というのは短いなんてよく聞くが、    それはお前の人生に何もないだけだ。何かあったとしても自分の世界だけを見てきた    からこそ出るんだろう。短いなんて浅はかに言葉にしてるなよ。    それで傷つく私だっている事も知って欲しい。     若くていいね、そう言葉にするすべての人間に私はうるせーよと言いたい。    若くていいねとか、若いからねとかふざけんなよ。    私が今ここで死んだら、私の人生はそこで終わりなんだよ。    他人を僻む間があるなら、今生きている喜びにでも浸ってろよ。    と先程心に留めたつもりでいた言葉が留まらず全力疾走してしまった    訳だが、私は心底真面目にうるせーよとはやはり思っている。     人生は物語である。自分で描き、自分で読み、自分で感情揺さぶる。    くだらない物語。その物語を面白くするも、つまらなくするも、    あなた次第であり、そう感じるのもあなた次第の、空白。    だが唯一、自分で決めることができないものは死という終わりである。    あなたはそんな物語に何を描き、どんな色を付けて、    どんなタイトルをつけたいのだろう。     失敗は近くで見れば存在するものだが、遠くから見ればその存在は    長い話の一部にしか過ぎない。       私はそう思うからこそ、    この人生に「ハッピーエンド」と名付けるために今日も。    
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