第9話 伴奏

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第9話 伴奏

 その翌朝も、慧は電車を一本遅らせた。避難訓練の経緯に加えて、蒼馬の見解に腰が引けたからだ。日々のデータ採取は15分遅れになるがやむを得ない。  それにしても…、慧は二日前を思い起こす。 「凛々しかったな」  女の子に対して使うべきかどうか判らない評価だが、そう思うのだから仕方ない。4組のギャルたちも目じゃないポニテ。      ふうん。 +++  翠もまた不思議だった。昨日も今日も、アイツ、乗ってこない。誰だかは知らないけど、避難訓練で初めて喋ったアイツ。 「ま、どうでもいいか」  小声で呟いて翠は車窓の外に目をやった。この辺りでは屋根越しに海が見える。最初は見て見ぬ振りをしていたけれど、翠もまた毎朝海を眺めるようになった。そう、海が悪い訳じゃない。海はお母さんなんだ。時々叱られるだけ。  教室に入り、自分の席につく。避難訓練で目立ってしまったので、また周囲は引いたように思う。だけどあれは仕方ない。あんな心構えじゃ、本当に死者が出てしまう。あんな目に遭うのはあたしが最後でいい。 「えっとー、今日のホームルームは~」  教壇で日直が声を上げた。いや、日直じゃない。誰だっけ? 「1限目の先生にちょっとだけ時間を貰いましたので、文化祭の出し物を決めてしまいたいと思います」  ああ、確か文化祭の実行委員の子だ。名前は・・・、そう、小川さん。小川 沙奈(おがわ さな)ちゃんやっけ。 「案が3つ出ましたので、その中で決めたいと思います。一つ目は『スイーツ屋さん』。どんなお店にするかはこれから考えるけどって案です。二つ目は講堂での出し物で『クラス劇』です。これは演目を決めて、台本書いて、役も決めてって、今からじゃちょっとハードル高めです。三つ目はやはり講堂での出し物で『合唱』です。幸い、ウチのクラスには吹部のマエストロもいることですし、3つの中では一番手っ取り早いかもしれません。他のクラスはとっくに決まってて、4組だけが決まってないので、一気に今決めたいと思います」  翠は呆れた。文化祭って1ヶ月後だっけ。まだ決めとらんって、そりゃなかろう。  結局、4組は多数決で安直な『合唱』を選んだ。 「曲は幾つか考えているので、明日のホームルームで決めたいと思います。それからパート分けとかピアノ伴奏とか、何着るのかとかも明日決めて、早速練習に入りたいのでよろしくお願いします」  クラスメイトはざわつきながら、少々短縮された1限目の授業に入った。 +++  翌日のロングホームルーム、沙奈は合唱曲を2曲、提示した。 「海が近い高校と言うことで、スズキさん、でしたっけ? の『海のリビング』と、夏の終わりっぽい感じで、米津玄師の『打上花火』のスコアを用意しました。いろいろ好みはあると思いますが、このどちらかを多数決で選ぶと言う事でどうでしょうか?」  意義ナーシ。 男子がふざけるが、沙奈はそれを利用した。 「じゃあ、多数決にするので手を挙げてくださーい。初めに『海のリビング』がいいと思う人~」  結果は拮抗。沙奈は顔を(しか)める。 「指揮は吹部のマエストロにお願いするとして、伴奏なんですけど、えっと『海のリビング』の伴奏、弾ける人いますか?」  教室は静まり返る。ピアノを弾けてもそうそう手は挙げない。そりゃそうだろう。一人きりの責任重大な役割なのだ。 「えっと、じゃあ『打上花火』を弾ける人~」  まだ周囲はしーんとしている。仕方ない。翠は思い切って手を挙げた。沙奈がホッとした表情を見せる。 「秋丸さん、弾けるのね。じゃ、お願いしていい? 転校して来たところなのにごめんね」  翠は頷く。そりゃ弾けるよ。あの日もこれを弾いとったんやもん…。 「じゃあ、次はパート分けでーす」  ざわつきながら話は進み、そしてホームルームは終わった。沙奈が翠の元にやって来る。 「秋丸さん、これ、伴奏のスコアなんだけど、大丈夫かな?」  翠は沙奈が手渡したコピーに目を通した。伴奏だから所々、メロディが端折られている。 「うん。いけると思う」 「練習はどうする? 音楽室のピアノは取り合いなんだ。講堂は日を決めて練習予約できるからさ、その日は講堂のピアノを練習に使えるけど、毎日は厳しいと思う」 「うん。何とかする。ウチの周りで探してみて、駄目なら相談する」 「そう? 有難う。助かる」  沙奈はにっこり頷いた。
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