第18話 アプローチ

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第18話 アプローチ

 稲垣 正大は文化祭以来、とても気になっていた。自分がタクトを振った合唱曲の伴奏をしてくれた同級生のことである。みんなは怖いとかきついとか言うけれど、はっきり言って美人である。頭もいいし、時々出る郷里の言葉も可愛い。女子が過半数を占める吹奏楽部でも、これまで見なかったタイプである。  吹部で常にタクトを任される自分は、正直、モテ男だと自覚している。部活が忙しいので、なかなか女の子と出掛けたり出来ないのだが、バレンタインにもたくさんチョコを貰ったし、迫りくるクリスマスも期待の視線を感じる。  しかし気になる女の子、秋丸 翠は、自分に全くの無関心。文化祭の時、何かあった時のリカバリ方法を話し合って以来、二人きりの会話はない。そこがまたそそるのだ。エロいとか言うつもりはない。自分が付き合うなら、そう言う目では見たくないし、事実、彼女は別にエロくない。だけど、逃げる猫じゃらしを追いかける猫のように、彼女が逃げるほどに追いかけたくなるんだ。告ってクリスマスに初デート、2回目は初詣でファーストキス、その続きは、もしかしたらバレンタインで・・・。正大は明確なイメージを描いていた。  そのクリスマスは冬休みの初日だから、早目に約束しないと間に合わない。正大は決意した。期末試験が終わったら、温めて来た想いをぶつけてみる。自分からアプローチするなんて高校入学以来初めてだが、失敗はあり得ない筈。  と言う訳で、期末試験終了日、午前中で帰宅できる日に、正大は昇降口で翠を待ち受けた。 +++  翠はひとりでぶらりと現れた。中間試験も抜群の成績だった彼女、今日も余裕の表情だ。  よし、行くぞ、正大。 「秋丸さん!」  不意の声に翠は驚く。びっくりした顔もきれいだな。正大は柱の前の翠に、壁ドンの位置を決めた。 「あのさ、クリスマス、予定ある?」 「え? ううん、別にないけど」 「俺さ、いい店を知ってるんだ。クリスマスライブ聴きながら、スイーツを食べられる店。港の近くなんだけど」 「はい」 「一緒に行かない?」 「え? 稲垣君と?」 「うん。俺じゃ駄目かい? それとも誰か居るのかな、気になる奴が」  翠は思い切り戸惑った。気になる奴はいるけど、それはアンタと関係ないやん。 「答えなきゃいけないわけ?」  そこへ沙奈が通りがかった。なんだ、あの二人?  正大は少々焦った。予期せぬ答えだった。それって『気になる奴がいる』ってことじゃないのか? まさか。    翠は相手の心情を見切った。 「クリスマスは家でやることあるから行かない。有難う、マエストロにお誘い頂けるなんて光栄です」 「あ、じゃあさ、連絡先交換しない? ほら、初詣とかも一緒に行けるかな、とか」 「ごめん、あたし、初詣に行けない事情があるの」 「あー、そう・・・」 「じゃ」  唸る正大をすり抜けて、翠はさっさと靴を履き替え、昇降口を出た。 +++  一連の様子を、沙奈は耳ダンボで聞いていた。あの稲垣君が翠ちゃんを・・・か。翠の事情を知るものとしては、翠の心が晴れるようなことをしてあげたい。カレシが出来ると丁度いいんじゃないのか。しかもあのモテ男の稲垣君ならお似合いだ。音楽という共通点もある。密かに感じていた翠への『借り』を返せるかもしれない。沙奈はキューピット役を意識し始めた。  もう一人、正大の壁ドン未遂を目撃していた生徒がいた。他でもない慧である。  あいつ、吹部の稲垣とやら。何を言ってたのか判らないが、『テストどうだった』とかじゃない感じだった。慧はモヤモヤしながら靴を履き替え、駅に向かった。
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