彼女の目的 一

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「――で、腹は満足した?」 「え? あ、うん……」 「じゃあ、行くよ」  話が途切れ、もうここに用はない、と言わんばかりに席を立とうとしたイェトに、ネイサンは慌てて「ちょっと待って」と制止の声をあげた。腰を落ち着けて話せる場所にいる間に、もうひとつ聞いておきたいことがある。 「あの、そろそろ仕事の話というか……僕を雇った理由か目的を教えてもらえると嬉しいです……」  イェトがネイサンの店を訪れてここに至るまで、彼女からは何も聞かされていない。ネイサンがわかっていることは、宇宙船でどこかへ行く必要がある、ということだけだった。  ネイサンの言葉にイェトは、瞬きをひとつしてから座り直す。「そう言えば言ってなかったっけ」。そう言われる気がしました、とネイサンは思わずため息を吐いた。 「最近、スフィリスの近くに廃船が来たって話知ってる?」 「え? いや、初めて聞いた」 「なんか、宇宙嵐(うちゅうあらし)かなんかの影響で流されてきたんだって」 「宇宙嵐で? ……もしかして漂流デブリかな」  イェトの言葉に、ふむ、と考え込む。漂流デブリとは、宇宙空間を不規則に漂うデブリ――ゴミだ。惑星の引力の範囲外にあるものを言い、宇宙航行に於いては衝突可能性のある厄介な存在だった。ネイサン達が暮らすこのロアセル星系の太陽・恒星ロアセルのガス放出で生まれる宇宙風(うちゅうかぜ)が引き起こす宇宙嵐の影響を最も受ける存在でもある。 「最近宇宙嵐があったっていうの自体知らなかった。ここは空が見えないから、星の観察すらできないし」  スフィリスは街の全体を大きな屋根が覆っている『空のない街』だ。故に、上を見上げて青空を見るどころか太陽光を浴びることすらできない街だった。 「イェトはその廃船に行きたいの?」 「そ。調べて来いって言われた」 「調べて来い……?」  その言い回しに、首を傾ける。まるで誰かの指示で行動しているような文言だ。これまでの振る舞いからイェトが誰かに従う姿が想像できなかったネイサンは、その言葉に違和感を抱いた。 「それ、誰に言われたの?」 「バロール」 「…………はい?」  バロール。蛇頭のバロール。ここスフィリスを支配するギャングの頭目であり、事実上のスフィリスの王。巷を行き交う一般の人間には、その顔すら知られていない存在だ。 「……ちょっと待って、まさかイェトってバロール一味の一員ってことは……」 「いや、ただの取引相手(ビジネスパートナー)」 「ですよね」  いくら我が道を行くイェトでも、自分のボスの持ち倉庫を平気で荒らしたりはすまい。相手が冷酷無慈悲と名高い人間であれば尚更だ。 「でも、バロールと取引するなんて……イェトっていったい何者なの?」  彼女と出会って以降幾度となく抱いた疑問を、ネイサンはようやく本人にぶつけた。その問いに、イェトは頬杖をついて答える。 「ただの賞金稼ぎ」 「……いや、ただのってことはないでしょ」  この世に賞金稼ぎ――賞金首を捕まえることを生業とする人々がいることはネイサンだって知っていた。なるほど、イェトのとんでもない度胸も強さもそれなら納得ではあるし、賞金稼ぎという言葉に嘘はないのかも知れない――――が、一介の賞金稼ぎが直接取引できるほど、バロールは安い相手ではないはずだ。 「街を支配するでかいギャングのトップだよ? そんな奴をただの取引相手とか、普通言えないって」 「そんなこと言われてもね。あいつとはもう何回か取引してるし」 「付き合い長いの?」 「もう十年以上かな」 「……え?」  その言葉に、ネイサンは思わずイェトを凝視した。当人の言動や雰囲気はともかく、その見た目はどう見ても10歳前後の少女だ。十年以上前なんて、下手したら生まれていないレベルの外見をしているのである。 「でも必要以上に取引するといい顔をしない奴がいるから、前回受けた仕事が終わったらまたここを離れる予定だったんだけど……ちょっとやらかして」  ネイサンが自分の言葉に引っ掛かりを覚えていることなど気にも留めてない様子で、イェトはそう言った。
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