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「よいしょ……っと!」
閉店の支度を終えて、最後に入口のシャッターを下ろす。
忙しく動き回って、たくさんの人とお話したおかげか、気持ちがスッキリしていた。やっぱり、お家にだけいるとあかんことってあるよね。
「おつかれ、成」
店内に戻ると、グラスを拭いていた宏兄が微笑む。ぼくも、笑い返した。
「宏兄もお疲れ様でした。あ、それ……」
カウンターの上に置かれた四角い包みを指すと、宏兄は頷く。
「おう、立花先生の注文のサンドイッチな。今日も、仕事あがりに来られるんだろ?」
「うん。ありがとう、宏兄」
「いやいや。こちらこそ、開店からずっと贔屓にしてもらって、有り難いよ」
あ、立花先生っていうのは、涼子先生のことやで。宏兄はセンターに遊びに来てたから、先生とも仲がええんよ。
「それに、先生は成の姉さんだからなー。俺はたぶん、一生頭が上がらない」
「あはは、何言うてんの。――わあ、良い匂い」
カウンターの側によると、チキンカツ&サラダサンドの香ばしい匂いがする。また鳴りそうなお腹を慌てておさえると、宏兄が笑う。
「成。耳のとこ切ったやつ、食べるか?」
「わーい!」
先生も、もうじき来られるやろうってことで、ぼくも先に帰り支度をすることにした。
カウンターの奥の休憩スペースに入り、外したエプロンを鞄に詰める。机の上に置いてあったスマホを手に取ると――陽平から、不在着信があった。
「なんやろー? いっつも連絡せえへんのに、めずらしい」
首を傾げていると、ちょうどスマホが震えはじめた。相手は、もちろん陽平だったので、ぼくは受話器を上げる。
『成己。お前、もう帰り?』
「うん、そうやで。どうしたん?」
陽平の後ろが、ガヤガヤしてる。「まだ大学かな」と思っていると、陽平が早口に言う。
『先輩に飲み誘われた。たぶん朝になるから、先に寝とけよ』
「ええっ? 早よ帰って来てって言うたのに」
ぼくは、ついぽろっと不平をもらしてしまう。
すると、電話越しの声がむっとしたようにワントーン低くなった。
『仕方ねぇだろ。俺には、付き合いってもんがあんだから。わがまま言うな』
「そ、それは……ごめん」
こういう言われ方されると、困ってしまう。
だって、大学生の陽平には、ぼくのわからん悩みがあるやろうし。実は人見知りの性の陽平が、頑張って付き合いしてるのも知ってるから、ぼくだって応援したいって思う。
けど――
「わかった。でも、なるたけ午前様にならんようにはしてくれへん? このところ、ちっとも陽平と話せへんの、寂しいんよ」
やからって、言いたいこと全部飲みこみたくない。そんなん、一緒にいる意味ないもん。
スマホの向こうにいる陽平を見つめるように、沈黙する画面を見つめる。
『……昨夜は、ギリギリ夜だったろ』
ぼそぼそと気まずげに返った応えに、頬が緩む。ついでに、気も緩んでしまった。
「うん、そうやね。でも今日も、蓑崎さんがおったから……」
『――はあ?』
陽平の声が剣呑になり、ぼくは「あっ」と口を押さえた。
蓑崎さんの名前が、猛烈に逆鱗に触れたみたい。陽平がカッカしているのが電話越しにも伝わってきた。
『お前……晶を邪魔に思ってたのかよ。いつもニコニコしといて、裏表酷くねぇ?』
「ちょっ……蓑崎さんをどう思うとか、そういうことと違うやん。ぼくはただ、もうちょっと二人の時間を」
『そんなんじゃねえって言ったろ。ったく……晶は、お前のこといつも褒めてんだぞ。なのに』
苛だたし気に言う陽平に、ぼくはポカンとする。
ぼくら、そんな話してたんと違うよね。なんで、蓑崎さんがかわいそうみたいなことになってるん?
「ちょっと待ってよ、陽平」
『もういい。こんなに器の小さい奴と思わなかった』
「はあ??!」
何それ~!?
そこまで言われちゃ、さすがのぼくもカチンと来る。怒鳴りつけてやろうと息を吸い込んだところで、「ブツッ」と通話の切れる音がした。
ホーム画面を表示するスマホを握りしめ、ぼくはわなわな震えた。
「もうっ、言い逃げやんか! 陽平のアホー!」
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