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「~♪」
鼻歌をうたいながら、ぼくはベランダに洗濯物を干す。ぴ、っと伸ばしたバスタオルが、陽光に真っ白く輝いている。
「今日もいい天気ー」
青く澄んだ空に、竿にかけた二人分の洗濯物が揺れた。ぼくは満足の息をつき、部屋の中に戻った。からから……と音をたてないように、そっと窓を閉める。
寝室の方を見やると、ドアは閉じたまま。――ちっとも起き始める気配のない陽平に、ぼくは「ふふっ」と笑う。
――すっごい、酔っぱらってたもんなあ……二日酔いやろうし、そっとしといてあげよ。
それにしても、昨夜の陽平はひどかった。
クイックルで床を吹きながら、ぼくは昨夜のことを回想する。
昨夜、おそく――
自宅のリビングで、ぼくはお風呂上がりの読書タイムを楽しんでいた。
読んでるのは、桜庭先生の新刊。陽平も予約してた本だけど、ぼくのも買ったんだ。やっぱり、読みたいときに好きに読みたいもんね。
「うう……つらーい。愛してたのに、なんでこんなことになんの?」
ずびー、と鼻を啜る。犯人の恋人の悲痛の気持ちにのめりこんじゃって、嗚咽が止まらへん。
宏兄、やばい。もうお手伝いの時から何回も読んでるのに、その度泣けちゃうんやもん。
ティッシュを空にしそうな勢いで泣いていたら、玄関がガチャン! と派手な音を立てた。ついで――どさっ、と何か倒れるような重い音。
「……ん?」
ぼくは顔を拭って、玄関へ向かう。そして、そこに倒れていたものに、目をまん丸くした。
「陽平っ!?」
「……」
陽平が、玄関の三和土にひらたく伸びていた。家にたどり着いた途端、力尽きたのか――うつ伏せになって、靴も履いたまま。栗色の髪と、シャツの襟から覗く耳と項が、真っ赤に染まっている。
見るからに、「酔っぱらって行き倒れた人」の有様だ。
「陽平、大丈夫? なあ、きもちわるいん?」
ぼくは、慌ててぱたぱたと駆け寄る。
呼びかければ、反応はある。ただ酔っぱらってるだけらしく、ほっと息をついた。
「よいしょ~……!」
脇に手を入れて、抱き起す。いつも思うけど、意識のない人って何でこんな重いかな? 大きな図体を、なんとか床に引っ張り上げて、横向きに寝かせた。
「もうっ。いくら強いからって、またこんな飲んで……」
「ううー……」
陽平は、光を嫌がるように目を閉じたまま、うめく。吐息どころか、体ぜんぶからお酒の匂いがするみたい。負けん気が強いっていうか、陽平は煽られると飲みすぎるから。
――まあ、今日はむしゃくしゃしてたのもあるのかなぁ……
複雑な気持ちで、真っ赤な頬に触れると……陽平はわずかに眉根を解き、すり寄ってくる。
「……ぃま」
「……っ!」
「ううん……」
甘ったれた鼻声で呻いて、むずがるように体を丸める陽平に――不思議と、胸のつかえが消えていく。
かわりに、「仕方ないなあ」とむず痒いような、優しい気持ちが湧いて来た。ぼくは、ふうと息をつく。
「もー、陽平……ここで寝たらあかんよ。ちょっと起きて……?」
「……うぶっ」
「え?」
がばっ、とぼくの膝にのりあげてきた陽平が、思い切り”げぼ”を吐いた。
「おええええ」
「うわああー?!」
「ふっ……」
カマボコをとん! と刻んで、ぼくはちょっと遠い目になる。
……あれから、大変だったなぁ。陽平を綺麗にして、寝かせて。げぼの始末と、汚れた洋服の応急手当てと……全部終わって、ベッドに入ったの深夜やもんね。
――当の本人は吐いたらスッキリしたんか、ぐうぐう気持ちよさそうに寝てるし。そりゃ、アルコール中毒とか怖いから、いいことやけども!
ケンカしてお酒飲んで帰って来たと思ったら、げぼぶちまけるなんて。まったく、陽平は仕方ないんやから……
とは思うものの。
――ただいま……
陽平のヘロヘロの声が甦って、つい頬が緩む。
「……でも……きのうは日付が変わる前に、帰って来たもんねー。大目に見てあげよっ」
ふふんと気取って、お出汁を味見した。
「あ、おいしいっ!」
ごはんの成功に、ぱっと気持ちが華やいだ。昨日の宏兄のうどん、お手本にしてよかった。
ぼくは、お鍋のふたを閉め、ルンルン気分でリビングのテーブルに着く。
陽平が起きてくるまで、まだ時間かかるやろうし。ゆっくり新刊読み返してようっと。
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