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◆◆◆
裕之がやらかしたせいで、余計な心配をしなきゃいけなくなった。
なのに裕之の奴、話をしたら『若頭に会えるんだ』って、めちゃくちゃ喜んだ。
「はあー、気が重い……」
「カシラもなに考えてるのか、本当にただ会うだけっすかね、わざわざ時間とるわけだし……」
今日は田西と事務所巡りをしている。
車に乗り込んだら、田西はハンドルを握って言ってきた。
「約束はした」
「そうっすか……、あの、俺も一緒じゃ駄目っすかね?」
そりゃ田西が一緒の方が心強い。
「カシラに言ってみるわ」
「そうっすか? はい、お願いします、俺も心配なんで」
カシラがOKするかわからないが、兎に角、言ってみる事にした。
それから、次の事務所へ向かった。
ここは前に裕之がやってきた事務所だ。
「あ、兄貴、ご苦労さんっす、あのー、兄貴に来客が……」
ドアを開けて中に入ると、事務所番が出迎えたが、いきなり来客があると言う。
「ん?」
まさかと思ってソファーを見てみたら、いた! 振り向いてにっこりと微笑んでやがる。
「コラァー、裕之、お前な……」
づかづかと歩いて行って隣に座った。
「えへへ、あ、田西さんも、こんにちはー」
裕之は呑気に田西に挨拶をしたが、お前のせいでどんだけ心労が重なってるか……。
「こら、お前、組に入るのは駄目だって言ったじゃねーか、おお、そういや、まだ誰か聞いてねーが、部屋住みの知り合いはなんて名だ?」
ま、そりゃそうと、知り合いの部屋住みの名前を聞いておきたい。
「はい、っとー、松本雅美です」
「松本……、ああ、いたな、地味な奴だ」
やることはちゃんとやるが、やたら影の薄い奴で、居るのかいねぇのか分からねー。
「友達の兄ちゃんだったよな?」
「はい」
「あいつに頼んでカシラに言ったのか、あのな、カシラに会っても……あんまし近くに寄るな」
松本は悪気もなく紹介したんだろうし、それを咎めるつもりはねぇ。
但し、裕之には注意しといた方がいいだろう。
「どうしてですか?」
裕之は無垢に聞いてきたが……。
「いや……、それはその……やっぱりよ、若頭っつったらやべぇからな」
そこは言えるわけがねぇ。
「あ、そっかー、偉い人だし、あんまり近づいちゃ駄目なんですね?」
都合よく解釈してくれた。
「お、おお……そうだ」
そういう事にしておこう。
「ぷっ……」
田西が横へ向いて笑いを堪えてやがる。
俺は真剣なんだ。
だったらお前が代わりに言えってツッコミたいが、裕之の前じゃツッコめねー。
「わかりました、気をつけます」
裕之は素直に頷いた。
「ああ」
不安は消えねーが、一応言っときゃ少しは安心だ。
「葛西さん、腕を借りていいですか?」
すると、いきなり聞いてきたが……。
「あぁ? なんなんだ」
腕って……なんの事かわからねー。
「こうです」
裕之はガバッと俺の腕に絡みついてきた。
「あ……」
頭を俺の腕にぴとっとくっつけている。
俺は思わず固まった。
「ぷぷっ……」
「くっ……」
田西と事務所番が、同じタイミングでくるっと反対側へ向いたが、肩を揺らして笑ってやがる。
自分でも笑える話だが、俺はこんな事をされた事がない。
過去に付き合った女は甘えるタイプじゃなかった。
全部姉御肌でキツい女ばっかしだったし、裕之にこんな事をされたら……恥ずかしくて顔が熱くなってきた。
「裕之、お前……なにしてんだよ、赤ん坊じゃあるめぇし、ひとりで座れ」
「だって、兄さんでしょ?」
「お、おう……」
「たまには兄さんに甘えたい」
「あ……、兄さんか、そうか……」
それを言われたら、拒否れねー。
「ぷぷっ……」
「や、やべぇ……」
背中を向ける2人は、相変わらず声を殺して笑っているが、事務所番まで笑うとは……けしからん。
「おい、事務所番、お前……気が利かねぇ奴だな、さっさと茶でも入れて来い」
「は、はい……すみません、すぐ用意します」
注意したら頭を下げてすっ飛んで行ったが、もうひとりまだ笑ってる奴がいる。
そういう事なら……考えがある。
「おい田西、こっちに寄れ、裕之の隣にくっついて座れ」
「は、はい」
「裕之、兄さんはもう一人いるよな? 俺だけじゃ不公平だ、田西にもやってやれ」
「わかりましたー」
裕之は満面の笑みで田西にぴとっとくっついた。
「なはは……、裕之、今度は俺か?」
「はい、兄さんなんで」
「そうか……、へへっ、悪くねー」
くそ……田西の奴、喜んでやがる。
ま、別にかまわねーが、何気なく時計を見たらちょうど午後2時だ。
「裕之、学校は試験か?」
ちょっと気になった。
「はい、ほら、電話で話したじゃないですか」
「そうか? おお……」
カシラの事で頭がいっぱいだったせいで、まともに聞いてなかった。
「田西さん」
「ん?」
「若頭と会ったら、何を話せばいいんですか?」
裕之も、やっぱり少しは緊張するんだろう。
俺じゃなく田西に聞いた。
「多分向こうがなにか聞いてくるだろ? それに対してただ返事をすりゃあいい」
田西は説明したが、俺はカシラがなにかするんじゃないか、そう思ってどうしても気になる。
もう後悔するのはゴメンだ。
小学生を抱いた後の、あの後味の悪さ……ありゃ最悪だった。
ガキがハイになって淫売のように振る舞う。
裕之にそれと似通った真似をさせるのは、何としてでも阻止しなければならない。
「どうも、遅くなりやした」
事務所番がジュースと菓子を持ってきた。
「おう裕之、食え」
「はい」
裕之に菓子をすすめたら、皿からひとつ菓子を取って小さな包みを開ける。
「なあ裕之、お前、あめぇもん好きか?」
それを見て田西が聞いた。
「はい、好きです」
「じゃあよ、帰りがけになんか買ってやるわ、ケーキとかよ」
なにかと思や、そんな事を考えてやがったのか。
「えっ、ほんとに?」
「ああ、兄さんなら当然だろ」
「やった、嬉しい! ありがとう兄さん」
裕之はすげー喜んでまた田西にくっついた。
何故かイラッときた。
「おい田西、俺がいるんだからな」
「はい、すみません……」
「裕之、俺が買ってやる」
「あ、ほんとに?」
「ああ」
「へへっ、鯉の兄さん、ありがとう」
「あ、鯉って……、そうか、はははっ」
「裕之、よかったな、兄貴の刺青、気に入ったか?」
田西はもう余計な事は言わず、墨について聞いた。
「はい、超かっけー、あの時、タトゥー入れた人がいたけど、葛西さんのは本物です」
「おー、よくわかってるじゃねーか、最近はああいうタトゥーを入れる奴が増えたが、本来の刺青っていうのとはちょっと違う、タトゥーは気軽に遊び感覚で入れるが、和彫りってやつはカタギから離れてヤクザとして生きていく、その意気込みを示してる」
「へえ、そうなんだ、意気込みか……なんかすげー、俺も墨入れたい」
感心するのはいいが、また馬鹿な事を言う。
「お前はな、ピカチューにしろ」
裕之にはぴったしだ。
「えー、やだよ、葛西さんみたいなカッコイイのがいい」
「じゃ、バイキンマンだ」
「もー、酷い、俺はガキじゃねーもん」
不満げに言い返してきたが、ほっぺたを膨らませて不貞腐れる面は、ガキそのものだ。
「あははっ、ピカチューか、兄貴、でも俺、ネットで見ましたよ、ピカチュー」
田西は笑って言ったが、ピカチューを入れた奴がガチでいるらしい。
「ほんとに入れてるのか?」
「マジっす、いい大人でしたよ、あんなの入れて……どうなんすかね? パッと見た時に『えっ?』って2度見しますよねー」
「だな、なんなんだろうな、自分とこのガキの為とかか? よくわかんねーが、俺もネットで変な墨を見た事あるぜ」
ピカチューは見た事ねーが、他のやつなら見た事がある。
「あ、どんなのっすか?」
「失敗作だ、おたふくみてぇな面ぁした毘沙門天に、七三分けの般若、ありゃ最悪だな、彫り師をケチって料金の安い奴にやらせたのか、下手くそにも程がある」
「そうっすか、転写してなぞるから……転写の時点で既に駄目って事っすかね、しかし、それならクレームつけるか、やめると思うんすけど」
「だよな、ま、彫り師は腕が確かな奴を選ばねーと、いっぺん入れちまったらそう簡単にゃ消せねーからな、おたふく面の毘沙門天じゃ、ご利益もあてにはならねぇな」
俺と田西は墨の話題で盛り上がっていたが、裕之は菓子をボリボリ食ってジュースを飲みながら、目をキョロキョロさせて俺達を見ていた。
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