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「いっぱいお話したら喉が渇いちゃったわ。ねえ、お母さま。わたしにお茶を注いでくださる?」  慌ててそばにいた侍女が、お茶の準備を始めた。私の手を煩わせるわけにはいかないと思ったのだろう。だが、義娘は納得しなかった。 「あなたたちには頼んでいないわ。わたしは、お母さまのお茶が飲みたいの。お母さまに注いでいただくお茶はとても美味しいのよ。まあ、私が一番美味しかったのは、熱を出したわたしにお母さまが飲ませてくださったお水なのだけれど」  はにかんだように笑った義娘は、初めて出会った幼い頃のまま変わらない。あのとき結婚の挨拶に来ていた私は、熱を出した彼女に水を飲ませてやったのだ。 『のどが、かわいたの。おかあさま』  そう言って私の手を引っ張る彼女の身体は、感覚の鈍い私にさえわかるほど熱い。高熱で意識がもうろうとしている彼女に、せめて母親らしい温もりを与えてやりたかった。  不意に思い出した。  天にも昇れず、地獄にも落ちることもできない苦しい日々。井戸の底から照り付ける太陽を見上げて、ただひたすら雨が降るのを待っていた。かつて娘を虐げた私の元にやってきたのは、見知らぬ少女。姿をまともに捉えることもできないのに、手を握られている感覚は鮮明で、水が欲しいということだけはわかってとても心苦しかった。  枯れた井戸には水がない。天の恵みもなければ、(かつ)えた少女に水を与えることすらできない。ただどうにかしてやりたくて、私は無心で祈りを捧げていた。あの時の少女が、今目の前にいる義娘だったのか。  唐突に私を覆っていた、水の膜が消えた気がした。音が、匂いが、色彩が、私をとりまく何もかもが急激に鮮やかになる。その勢いに圧倒されてへたり込みそうになった。(のろ)いが解けたのか、(まじな)いで守られていたのか。私にはまだ判断ができそうにない。けれどそっと触れた娘の手は、泣きたくなるほど懐かしく温かい。  ああ、義娘が私をここへ連れてきてくれた。私を求めてくれた。  愛されてもいいのだろうか。愛してもいいのだろうか。 「あなたが、私を母にしてくれたのよね」 「お母さま、またその台詞。お母さまってば、何かあるといつもそればっかり」 「だって、あなたのおかげだって気が付いたから」  今までどんな時も泣いたことなんてなかったというのに、感情を制御することができない。降り注ぐ雨のように、涙があふれてくる。静かな部屋の中でひとり雨音を聞いているように、どこか心地よい。義娘が良いことを思いついたと言わんばかりに手を叩いた。 「ねえ、お母さま。前世のお母さまが生まれた国のこと、教えてくださる?」 「ここから行くのはさすがに難しいわよ」 「わたしが行くことは難しいかもしれないけれど、領地の特産物をいつか輸出することになるかもしれないでしょ?」  どうやら義娘は領内で採掘される金剛石のことを言っているらしい。私が土地神に嫁いだ妾の娘に会うことはきっと二度とないけれど、いつか私の償いがあの子に届いてくれるかもしれない。そんな夢物語を想像することくらいは許されるだろう。 「……それじゃあ、お茶を入れ替えてからお話を始めましょうか。私の生まれた国は……」  嬉しそうに話を聞いてくれる私の()は、雨上がりの虹のように輝いている。
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