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 通信制高校に入学とほぼ同時期に、時生はリハビリセンターに通い始めた。  正確には、退院からずっと途切れ途切れに通ってはいたのだが、時生自身のやる気がなかった。月1の予約も忘れていたり、行ってもカウンセリングが主だったりして、機能回復には努めてこなかった。そのことを、少しだけ後悔している。  今は隔週で通っていて、一時的にでも義足をつけて歩くことを将来的な目標とした。同時に、しばらく使っていなかった足の筋力アップも大事な問題だった。  最初は弱っていた足を少し動かすことも困難で、時生はまた虚無に浸りそうになった。  それを引き上げてくれたのは、理学療法士と介護のヘルパーだった。  弱った筋肉や、動き方を忘れていた神経と向き合いながら、時生は虚無に浸りそうになると、自室の壁の角を思い出した。  死んでなお、鹿は荘厳さを持っている気がした。それに負けるわけにはいかなかった。  何と張り合ってるんだとサトルには言われたし、たぶん姉に言うと、姉もそう言うだろうが、時生は鹿に負けたくなかった。  だから、長期間、目に見える進展がないのに根気強くリハビリを続けている。ただ、始めた頃に比べると、少しずつ太ももの筋肉がついて、左はふくらはぎの筋肉もついてきた。ぎこちなかった膝の関節も、ガチガチだった股関節も柔らかくなってきた。  そうなると上体もしっかりしてきて、疲れやすかった全身も少し強くなった。  プールでのリハビリが取り入れられており、室内では筋トレもした。  その他のリハビリは、理学療法士がプログラムを組んでくれている。家でもこういうことはしてくださいと言われ、それを翔太がきっちり引き継いで、家でできるリハビリに生かす。  事故の直後は特に、時生は自力で車椅子からベッドへの移動なんかもできなかったから、訪問介護サービスを使った。退院直後から世話になっている一人が大西翔太で、彼は今でも介護に来てくれている。  風呂も全面改装したので、本当は入浴も、頑張れば時生1人でもできなくはない。ましてや、家族のサポートが少しあれば問題はない。が、両親が常にできるわけでもなく、また、時生のためにも介助を受けることに慣れたほうがいいということで、引き続きでサービスを受けていた。  どうせなら、温泉に行こう、と翔太が言ったのは、時生が通信制高校の2年生の単位取得をしていた頃だった。通信制高校に入ってすぐは、少し張り合いもあったが、1年ほどして生活にも慣れ、そして学校の授業は時生には簡単だったので面白みとしてはそう感じていなかった。単位取得という惰性で通っていたに過ぎない。  翔太との契約は居宅介護だったので、旅行の同行や、旅先での介護については別サービスだった。だから助成を使うなら契約のし直しが必要だったが、自費でヘルパーを雇う形なら問題はない。別に温泉はどうでも良かったが、時生は両親のいない遠出に久々に心が踊るのを感じた。  それで、2人で日帰りではあったが、少し離れた市にある温泉街へ行った。  翔太は個別で借りられる露天風呂を予約して、時生も気兼ねなく楽しめるようにしてくれた。もちろん温泉街は2人でぶらぶらして楽しみ、買い食いもしたし、足湯もした。  それが予想の何倍も何十倍も楽しかった。 「家族と離れる時間もね、もう大人なんだから必要だよね」  翔太が言って、時生は両親に自分が意外と気を使っていたのだなと思った。  免許取得と中古バイク代、ガソリン代で、店を手伝って貯めていた小遣いもゼロになっていたが、時生は何とか稼いで、また翔太を自費で雇えないかと考えた。  それを察したかのように、翔太は帰りの車で車を運転しながら「内緒だけど」と言った。 「毎週ってわけにいかないけど、まぁ…2−3ヶ月に一回ぐらいなら、遊びに付き合うよ。行き先は僕の行きたいところにするけど、そのかわりに無料。あ、自分の実費は出してね」  と翔太は笑顔で言った。  時生は驚いた。それはサービス外での無料奉仕になってしまう。 「んー、そうだな、どっちかというと、僕のお出かけに君がついてくる感じ。映画も一緒に行けば安くなるしね」  戸惑っている時生に、翔太はいつもの笑顔を見せた。  そうやって翔太との関係性も変わり、単なるヘルパーから、大事な友人にもなった。それがいいのか悪いのかはわからなかったが、時生にとってはいいことしかなかった。  今では、事あるごとに、翔太は「今度ここ行くけど、来る?」と聞いてくる。介護者も無料なんだよねとか、半額になるんだよねとか言って。  時生が気を使わず、普通に「興味ないからいいや」と言えるようになって、翔太は嬉しそうだった。「じゃぁ別の子と行こう」と、他の候補を誘っていることもあるから、やはり本気で障害者サービスを狙っている感じもあり、それが時生の気分を楽にさせてもいる。  それでも、翔太がいなかったら、行動範囲は家から1キロ以内だったと言うと、翔太は言った。 「君は羽化したてのセミみたいに、まだ新しい羽を使えてないだけでね、本当はどこにだって飛んでいけるわけさ」  そうなんだ?と時生は素直に思った。事故からずっと続いていた両親への複雑な気持ちが、ポロッと単純になった瞬間でもあった。  変な反抗心が取れ、謝罪の気持ちも落ち着いた。感謝しかないなと時生は思った。  事故から3年あまりの長い時間がかかったが、それだけの時間は必要だったのかもしれない。  今年の春、翔太と家族が支え合うパニック映画を見に行って帰ったときに、映画の影響もあって、両親に「これまで支えてくれて、本当にありがとう」と言ったら、両親が「何かのフラグか」と怯えた。そんな両親に呆れつつも感謝した。  その少し後にサトルが「学祭に来いよ、うまい飯も食えるから」と言ってきたのだった。
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