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「時生君の事故現場って、行けるのかな」
倫子は学習室にやってくると、荷物を机に置いてすぐに言った。
「現場ですか」
時生は当惑して彼女を見た。
「うん。ちょっと調べてみたんだけどね、やっぱり変なんです。100キロの鹿と、バイクに乗ってる人が当たったら、バイクは鹿で止まって一緒に落ちるとしても、乗っていた人は前に飛ばされるはずです。ちょうどいい場所に当たったとしたら、下に落ちるかもですが、全部重なるってちょっと考えにくいんじゃないかなと思って。すごい偶然に重なったとしても、時生君が一番下にはなりにくいんじゃないかなって」
倫子はノートに事故の想定の絵を描いて言った。
「聞いてる話では、そうです」
「両足がバイクの下だったんですよね?」
「聞いてる話では」
「それも何だか偶然がすごい気がします」
「現場に行って、何かわかります?」
時生は真剣な倫子の目に押されつつ言った。
「とにかく検証したくて。納得がいかないから、物理学の先生にも聞いてみたんです」
「へぇ、すごい」
「先生にもっと状況を詳しく知りたいって言われたので、行ってみたいなと」
「あの、それは鹿が絡んでるからですか? 鹿のため?」
「それはきっかけです」
倫子の答えに、時生は考えた。きっかけ。
「オフロードバイクのコースを走ってたんですよね? コースだったらフェンスとかあったと思うんです」
倫子は構わず続ける。
「コースじゃないです。僕、普通の道とか、コース外のとこを走ってました。怒られるヤツです」
「え、怒られるんですか? 違法ですか?」
「はい。ちょっとその日は家で喧嘩して、イライラしてて。コースじゃないとこ走ってました」
倫子が絶句したので、時生は頭を下げた。
「すみません。僕が鹿を殺してしまって」
「いえ……」
倫子はしばらく黙っていた。
時生はどうしたらいいかわからなかった。幻滅されたんじゃないだろうか。いや、元々、自分は実験動物に近くて。当然、鹿よりは下な気がする。
「黙っててすみません。先生も、もう辞めてもいいです」
「ああ……そうですね。時生君、家庭教師必要ないですもんね」
「いや、必要ですけど」
「必要なら来ます」
「僕が鹿を殺してしまってても?」
「私も殺したことはあります」
倫子は時生が何を言いたいのかわからないという顔で言った。
「それは猟で、ですよね」
「はい」
「僕は普通は走っちゃいけないところを走ってて、自棄になってて鹿にぶつかりました」
「鹿がバイクの音が鳴ってるところに、飛び出していくとは考えられません。その鹿が特別なタイプだったのか、それとも何か原因があって飛び出したのか知りたいんです。それもあります。それと、先生を辞めてほしいことは関係ありますか?」
「辞めてほしいとは……」
言ってない。時生は彼女の丸い目を見た。
「整理しましょう」
倫子が言って、時生もうなずいた。
「時生君は違法に山道をバイクで走っていて、鹿とぶつかった」
「はい」
「鹿は亡くなり、時生君も事故で大怪我をしましたが命は助かりました」
「はい」
「良かったですね」
「はい」
「で、今、私は時生君が大学受験に向けて頑張っているので、そのお手伝いに先生をしています。お代においしいお蕎麦とお給料ももらう予定です」
「はい」
「時生君は私に先生を続けてほしいと思っていますか?」
「はい」
「嘘発見器じゃないので、いいえって答えてもいいんですよ」
倫子が真剣な顔で言うので、時生は「いいえ」と言いたい衝動にかられたが、「はい」と答えた。
「じゃぁ、先生を続けます。問題はありますか?」
「いいえ」
時生はやっとチャンスが来たと思って答えた。
倫子もそれを察したように笑った。
「もう一つ。事故のことを私が検証するのは、不愉快ですか?」
時生はそう聞かれて、首を振った。
「いいえ、全然」
「本当に?」
「本当です。現場、行きます?」
「これから?」
「いや、今から行くと夜になっちゃうので、別の日に。あと、できたら介助を呼んで車を出してもらいます。途中までは車で行かないと大変なので」
「了解です」
倫子は大きくうなずいた。
「じゃぁ、今日はちょうどいい問題ももらってきたので、物理から始めましょう」
「はい」
時生はそう言って、倫子の真面目な横顔にヘラっと笑った。この人、面白いな。
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