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* 『ぐるくまドルチェ』は、時生の家からほど近い寂れた商店街の中にあった。商店街といってもアーケードがあるわけではなく、通りの両脇に揃いの街灯が並んでいて、そこに『よろず商店街』という小さな看板がついているので、商店街なんだなとかろうじてわかる通りだ。  商店を辞めた住宅の間に、ポツポツと店が残っている。やたら駐車場の広い酒屋や、そのシーズンにだけ開く果物屋や、金物屋、小さな電器屋があった。 『ぐるくまドルチェ』は、障害のある人たちの作業所でもあり、店で使っているハーブは店の裏の畑で育てているということだった。そして手作り感のある家具も、座席のクッションも、カフェのコーヒカップやデザート皿も彼らの作品だという。  翔太も何度か来たことがあり、地元の女性たちの受けも良く、平日もそこそこ客が入る貴重な店だった。  土曜日の夕方は、席は空いていたが、ケーキは残り少なかったものの、定番の『ぐるくまロール』は残っていた。  20歳の時生と倫子の会話に、三十路の自分が邪魔しちゃいけないと思って、翔太がカウンターに行こうとしたら、2人に止められた。時生は「緊張するからいてほしい」と目で訴えてきて、倫子はたぶん深く考えずに「4人席空いてますよ」と言った。  というわけで、翔太は2人とロールケーキを食べた。  話題は、倫子の勉強している内容や、時生の受験勉強についてで、翔太は途中から2人が何を喋っているのか全くわからなくなった。  考えてみれば、工業高校出身の自分と違い、2人は公立大の大学生と、公立大を受験しようと思う受験生なのだ。そもそも、時生は事故に遭う前は、幌戸市内でもそこそこ名の知れた進学校に通っていた。中退して今は通信制高校に通っていると言っても、素地が違う。  世の中には賢いヤツってのはいるんだよなぁと翔太はコーヒーを飲みながら思った。  とはいえ、時生が目を輝かせて倫子と喋って笑っているのは、健康的で良かった。  事故の直後、虚無の時代を知っている翔太としては、感無量なのだった。  時生が車椅子バンジーをやってみたいと言っていて、倫子が目を丸くして首を振った。 「私は高いところ苦手なので無理ですー」 「あはは、僕もめっちゃ好きってわけじゃないんですけど、車椅子じゃないとできないことってのもいいなぁって思って、死ぬまでにやりたいんですよね」 「ああ……私も80歳ぐらいになったらやってみてもいいかも」  倫子の言葉に、時生が笑う。 「その時は、倫子さんも車椅子かもですよ」 「本当ですね」  と、笑い合える2人はすごいと翔太は脇で思う。  できるだけ、翔太は空気になろうとしていた。何なら、トイレに立って、そのまま別の席から見守っていてもいい。が、トイレには入店時に行ってしまったので、また行くと時生に老人扱いされるか、倫子に腹の調子が悪いのかと心配されかねないのでじっとしておく。 「この前、大学で何を勉強するんだって姉に聞かれて」  時生が言って、翔太はちょっと会話に集中した。時生の姉の映美は、東京で仕事をしているが、何度か帰省したときに翔太も会っている。聡明で美しい人だ。時生とは9歳違いだというから、翔太より一つ年下ということになる。 「AIとかって言ったら、勉強しているうちに陳腐化しそうな分野って言われて。ひどくないですか?」  時生が訴えていて、翔太は苦笑いした。映美は確かに言葉が鋭い。グサグサ刺してくる、危険な人だ。そういう人に時生は鍛えられてきたので、言葉の攻撃には割と強い。 「そうですね……私もよく知らないですけど、進化のスピードはすごいですね。ムーアの法則どころじゃないですよね」 「それでも鈍化するという一説もあって、姉の言うことももっともではあるんですけど、これから受験しようって思ってる弟のやる気を削ぐ天才ですよ」 「お姉さんは何をされてるんですか?」 「マーケティングです。具体的に何をしてるかはよくわかんないんですけど、勉強するなら心理学とか哲学がいいって言われました。AIなんか、人間の計算力を上げただけのものだから、結局人間に戻ってくるって」 「へぇ、AIってもっと複雑な気がしてました」 「ですよね。でも、何を勉強しても突き詰めれば人間を知ることになるって言われて、確かになって僕も思ってしまって。そういう意味でAIを勉強するのはいいって、結局どっちでもいいって話になりました」  時生が笑って言って、翔太は心の中でうなずいた。いいこと言うな、映美さん。 「お姉さんも面白い方ですね」 「も?」  時生はそう言って、また笑った。倫子は時生の面白いところをいくつか挙げていた。  鹿の角を敵と言って飾っているところ、車椅子でアクロバティックな走行をしたがるところ、事故に遭ってもチャレンジングなところ、それから…。 「僕も波はありますよ、ねぇ、翔太さん」  照れた時生が急に振ってきて、翔太は驚いた。 「ああ、うん、そうだな」 「え、本当ですか?」  倫子が驚く。 「はい、気持ちが落ちて動けない日もあるし、リハビリの後とかは虚無の高波が襲ってきます」 「そっか……疲れてるときは言ってくださいね。勉強を休んでゆっくりしてもいいので」  倫子が言って、時生はうなずいた。 「あの、たまにこうやって僕も話を聞いてもいいですか? 倫子さんが頑張ってるのを聞くと、やる気が出るっていうか……」 「え、それ、私の方がなんだけど」  倫子が言うと、時生は嬉しそうにした。 「僕なんて、誰の役にも立ってないっていうか、はは」 「ううん。時生君は頑張ってる。頑張りすぎないように見張ったほうがいいくらい」 「へへ、見張ってくださいよ」 「そうだね、見張りながら応援する」  倫子に言われて、時生が溶けそうになっていて、翔太はトイレに立とうかなと思った。
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