1/6

4人が本棚に入れています
本棚に追加
/27ページ

 ジビエレストラン『椛』も幌戸大学も、時生の家からは車で1時間ほどかかる場所にあり、そうそう自力で行ける場所ではなかった。バスと電車を乗り継げば何とかなるが、車椅子の時生にとっては、1人での移動はまだ難しかった。  幌戸は超都会ではないが、超田舎でもない。市のキャッチフレーズも『暮らすのにちょうどいい街、幌戸』だ。ありがちでどこかと被っている気がするが、時生に利害があるわけではないので文句を言ったことはない。  時生の家は、幌戸市の中心部から離れた東部にあった。天野山脈に入る前の橋のたもとにある古民家の蕎麦屋が時生の家で、そこでは父と母が働いている。時生は通信制高校の3年生として在学しており、たまに店も手伝うが、車椅子が自由に行き来するほどの広さを確保できていない場所もあるので、できる手伝いは限られている。  周囲には中小の工場がポツポツあるが、民家はそれほどない。小学校も中学校も遠くて嫌だったが、今では静かでいいと思っている。  サトルとは、もう廃校になった小学校の、いやその前の保育所からの付き合いだ。地元では産院からの同級生も多いらしいが、時生の場合は、父が脱サラして実家の店を継いだので、途中参加になる。どちらかというと地元では時生が新参者だ。  ただ、高校から遠くへ行った友人もいるし、大学進学で地元を出て行った奴も多い。  反対に、幌戸大学に通うためにやってくる学生もいる。  幌戸大は地元に密着した産学協同の学科があるため、それなりに人気のある公立大だった。学びを実践できる環境が整っていて、大学は学生が外部と連携することも大いに支援していた。  青山倫子も積極的な学生で、ジビエレストラン『椛』のメニュー開発に参加したり、ジビエ利用のペットフード工場見学をしたりしているらしい。  椛での鹿肉克服から2週間ほどした10月のある日、そんな研究熱心な彼女から、時生はサトルを通して連絡をもらったのだった。
/27ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加