ただこの時に、全てをかけて、君に託す

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「……え、俺?」  初耳だった。というか、信じられなかった。  高校時代の俺は県予選を越えて地方大会に進むくらいまでの選手で、インターハイで入賞している鍬田と比べたら実績は劣る。大学に入ってからも、人が注目するような成績は残せていない。 「先輩、高校時代に俺と何度か走ったの知ってますか?」 「ああ、インハイの県予選とか」  当時は俺が高校三年生で、鍬田が一年生だったけど、「すごい速い一年がいる」という噂がたっていたから、その存在は意識していた。噂に違わず県予選で俺は鍬田の背中を追いかけただけで終わってしまった。むしろそんなレースで鍬田が俺を覚えてる方が意外だった。 「あの時、後ろからガツガツついてくる人がいて。どれだけ突き放したつもりになってもしぶとく何度も追ってきて。それが沢目先輩でした」  鍬田が懐かしそうに目を細める。細かく覚えているわけではないが、あの時の俺は一度だって鍬田の前に出ていない。ひたすらその背中を追っていただけだったのに、そんな風に覚えていたなんて。 「この人と練習したら強くなれるんじゃないかって、予感みたいなのがずっとあって。それで、ここに来ました」 「……それなら、入部した時にガッカリしたんじゃないか?」  うちの大学は決して練習環境に恵まれてない。施設や器具もそうだし、俺の同期や後輩は鍬田レベルの練習についていける選手はいなかった。なにより、今初めて知ったことだけど、鍬田が俺と練習するためにうちの大学を選んだのなら、俺は大いにそれを裏切った。 「そうですね。まさか沢目先輩がケガで復活まで一年かかるとは思ってませんでした」  淡々と答える鍬田はやはり容赦ない。  二年生の時に出場した駅伝でちょっと無理をして故障をし、鍬田達が入学した後もしばらく走ることができなかったし、元の調子を戻すのにほとんど一年間を使ってしまった。  当然、その間は鍬田と同じレベルの練習などまるでできていない。 「接触して、転倒して、足痛めて。それでも襷を次の区間に届けるために走って、次の一年間棒に振るって、何してくれてやがるんだって思いました」  ずけずけとした言葉にぐうの音も出ない。多分、俺の顔には苦笑が浮かんでいる。  二年の時、駅伝で一区を走り、集団走の中で接触して転倒した。足に嫌な痛みがあるのは自覚してたけど走れないほどではなかったし、何より一区で襷を途切れさせるわけにはいかなくて、最後まで走り切った。  結局その年は四区から五区のところで襷は途切れてしまったし、大学の順位も二十位に沈んでしまったわけだけど。 「でも、もし今の俺があの時に戻っても、同じ選択をすると思う」 「無理せず棄権すれば、シーズンは本調子で走れたかもしれないのに?」  口にはしないが鍬田の顔には「理解不能」という言葉が透けて見えた。 「それでも、あのメンバーで走る駅伝はそれが最初で最後で。どんなにへぼくても、一年間一緒に走ってきた集大成だから。まあ、実際はそんなこと考えてた走ったわけじゃなくて、ただ必死だったけど」  グラウンドを出てからずっとまっすぐ走ってきたけど、川にぶつかったところで上流側に曲がる。このまま川に沿って走っていけばグラウンドに帰ることができる。うちの陸上部の定番のジョギングルート。夏の暑い日も雨の日も、試合に負けた翌日も、ずっと皆でこの道を走ってきた。  駅伝っていうのはやっぱりそういう道のりの果てにあって。だからだろうか、あの時、どれだけ足の痛みがあっても足を止めようという気はまるで起きなかった。 「俺にはわかりません」 「わからなくていいさ。人に勧めるようなものでもないしな」  鍬田は口をへの字に曲げている。ひたすら勝つことを求めて求道者のように走りこんできた鍬田には理解しがたいだろうし、それに俺がとやかく言えるようなものではない。 「だけど、今年の駅伝の経験は、きっと来年以降につながるから」 「経験、ですか」  鍬田の口の形は変わらない。今さら経験といったって、鍬田だって何度も駅伝は走ってきてるだろうし、大学駅伝だって去年も走っている。 「鍬田が四年になる頃には、きっと戦えるメンバーがそろってる。鍬田にはその時にチームを引っ張ってほしい」  今年の一年生は鍬田がいるからと入部してきた力のある選手が何人かいるし、今年の駅伝の主力はそんな一、二年生達だ。来年、さらにそういった選手が増えれば、ここ数年にはない最強世代ができるかもしれない。  その時に鍬田には走りだけではなくチームを引っ張ってほしいと思う。その礎となれるような経験をさせてやれれば、大した成績を残せなかった俺のこの四年間にもチームのための意義があったと思うことができる。 「急に重荷を背負わせるんですね」 「駅伝の時には怨念の詰まったヘビーな襷を届けるから、楽しみにしとけ」  拗ねたようにぼやく鍬田を笑ってやる。俺にとっては最後のレースなのだ。背負ってきたものの一つや二つ、託したって罰は当たらないだろう。それに、鍬田を中心にチームがまとまれば、きっと強いチームになる。 「わかりました。だけど、一つ」  いじけたように頷く鍬田に今度は自然と笑ってしまう。 「普通に走ってもつまらないんで、ここは一つ、勝ち負けを決めましょう」 「勝ち負け?」 「十位内に入ったら俺の勝ちってことで、先輩にお願いがあります」    去年のチームより力はついてるといっても、各選手の持ちタイムからして十位内は厳しい目標だ。それを条件に掲げてまで俺が叶えれることなどあるのだろうか。 「十位内に入れたら、社会人になっても陸上を続けてください」  さっきまで拗ねてたはずの鍬田がニッと笑う。勝気な笑み。そこには勝ちを求め続けてきた鍬田の貪欲さがにじんでいた。 「一年しか一緒に走ってないのに逃げるのは許しませんよ。俺はまだ強くなりたいんです」  そこまで鍬田が俺にこだわる理由はわからなかったけど、本当に十位内に入れる力が俺たちにあるのなら、もう少し陸上競技を続けてみてもいいかもしれない。   「わかったよ。その時はお前が納得いくまで付き合うさ」  頷いて返すと鍬田の表情が一瞬照れたように緩んで、すぐにまたキリッと引き締まって前を向く。  そこからは駅伝の戦略などを話しながらグラウンドまで走った。誰がどのくらいのタイムで走れば十位に入れるかとか、想定されるレース展開とか。  そうして一時間くらい走ってグラウンドに戻ると、すっかり暗くなったグラウンドにはまだ足音が響いていた。  練習を終えたはずの安瀬がまだ練習を続けていた。安瀬だけではなく、駅伝のメンバーは全員グラウンドに残っていた。  鍬田がちらっとこちらを見る。一つうなずくと鍬田は安瀬たちの方へと走っていった。  鍬田は安瀬に走り方などを助言しているようで、安瀬は真面目に頷きながらその話を聞いている。鍬田を連れ出す前のピリついた雰囲気はもう微塵も感じなかった。  これがきっかけでチームがまとまれば、もしかしたら十位内もありうるかもしれない。その時までに俺はこのチームに何を残せるだろう。  空を見上げると、少しだけ欠けた月が天頂へ昇るところだった。
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