序章 「恐怖は蘇る」

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 並川東署の刑事、多嶋圭吾(たじまけいご)はブルーシートをめくるなり、顎の下の無精ひげを撫でた。 「うえっ、なんだこりゃ」  言ったのは多嶋ではない。部下の篠原だ。上司が目の前にいるにもかかわらず、被害者に対し配慮の足りない言葉を零してしまうほど、遺体は損傷が激しかった。  まだ四十代前半だというのに、多嶋の頭髪は白髪が大半を占めている。若い頃は端正だっただろうが、深いしわが刻まれた眉間も相まって今ではすっかり強面である。おまけに無駄に背が高い。そんな容姿の影響もあり、若い部下たちから敬遠されていることを、本人も自覚していた。  だからと言うわけではないが、多嶋は部下の失言を咎めず、ひたすら自分の仕事に没頭しようとしていた。遺体の近くに座り込み、その様子を外側から観察する。  ――池で溺れたのか、顔は膨れて衣類も濡れそぼっている。さらに顔面から首にかけて、獣にかじられたような大きな傷。傷と言うよりも、欠損していると言った方が正しい有様だ。 「水の中で何かにかじられたのでしょうかね」  篠原が自分の口をハンカチで押さえながら、思いつきにも等しい浅はかな推測を口にした。 「しかし、この寒いのに……ピラニアでもいましたっけ、この池」  この台詞には、思わず篠原の頭を殴りたくなったが、そこは抑えた。なぜなら、彼の言いたいこともわかるからだ。  赤く変色している肌を見ると、概ね死因は溺死と判断できる。水に入ってから長くもがいたのだと推測するのが正しい。だがそれでは死んだ後に、この傷がつけられたことになる。しかも、池の岸をぐるりと見渡してみたが、彼が血を流したであろう跡がこの近くにはない。 「発見者は」 「私です」  制服の巡査が手を上げた。 「今朝、『昨夜、この場所で人が死んだかもしれない』と、通学途中の大学生が駐在所に立ち寄ってくれまして、それで私と元木巡査で駆け付けました。遺体は池の中に上半身を突っ込んだ状態でした。まだ生きていると思って、慌てて引っ張り上げたら、このありさまでして……」  ――「上半身を池の中に突っ込んでいた」  その話だけで、多嶋はさっき篠原が口にした浅はかな推測を信じてもいい、と考えてしまっていた。  巡査の話では――通報してきた大学生は、いつも見ていたホラーチャンネルのライブ動画を見逃したため、朝から、その動画を視聴していたらしい。見覚えのある風景に、落窪団地の廃墟だとわかったのだと。だが、動画の様子がおかしかったことから、すぐ駐在所に駆け込んだというわけだ。  巡査が自分のスマホを取り出すと、動画アプリを開き、選んだチャンネルをタップして多嶋らに見せた。
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