第十一話

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第十一話

 あのとき拒んだりしなければ違う未来があったのかもしれない。  鞄からの一枚の封筒を出した。ジップロックに入れ、七年前のまま保存している。  「宛名が書いてなかったので読んでしまいました。でもこれは店長……八木さん宛です。有希ちゃんの最期の言葉です」  大きく目を見開いた八木はそのまま固まった。  七年前から色褪せずにいる手紙と八木の薬指に光る指輪は同じだ。お互いを想いあったまま永遠にその形を保っている。  震える手で手紙を受け取った八木は躊躇いがちに手紙を開いた。  右から左へと読み進めていく八木の表情が段々と驚愕に変わっていく。そして最後まで読んだ八木は手紙をぐしゃりと握りしめた。  「なんだよこれ……なんだよ!!」  八木の怒声は曇り空に吸い込まれていく。電線で休んでいたカラスが驚いて飛び立っていった。  地面に膝をつく八木にかける言葉が見当たらない。自分はこんなにも無力なのだと嘆きたい。でもそんなことしても八木には届かないのは知っている。  「八木さん」  八木が顔をあげた。細い目が吊り上がっていた。  「僕は有希ちゃんに頼まれたんです。もし八木さんが一歩も前に進めてなかったら背中を押して欲しいって」  「……俺はそんなこと望んでねぇよ」  「そうでしょうね。そこまで想ってくれて喜んでると思います。でも有希ちゃんはいまのあなたを望んでいない」  有希の名前が書かれた墓石を見た。確かに有希は墓のなかにいるのにもうこの世にはいないのは変な気分だ。  「結婚しようと思ってたんだ。柄にもなく指輪を買って俺の誕生日にプレゼントしようと思ってたんだよ……まさかその日に死ぬなんて」  自分の心を探りながら八木は慎重に言葉を選んでいるようだ。ゆっくりと紡がれる声には深い愛情がある。  心の底から有希を愛し、八木なりにどうにかしたいと藻掻いてくれていたのだろう。でも間に合わなかった。八木の後悔が手に取るようにわかる。  自分も同じだ。見栄なんて張らずに一緒に住めばよかった。贅沢はしないで、二人で細々と暮らせることはできたはず。  でもこれ以上有希を働かせたくなった。傷つき、疲弊した有希を休ませてあげたい。それだけだったのに。  自分と八木は同じ後悔を背負っているからこそわかる。  八木の心には他が入る隙間がない。  一ミリの隙間もなく、八木の心は有希で満たされている。  「なんでおまえが泣いてるんだよ」  「泣いて……あれ?」  頬を触ると生暖かい涙の感触がある。  ちゃんと有希に言われた通りに過ごしているのにまだ足りないのだろうか。  遺してくれたお金で有希が入りたかった大学に進学し、有希の働いていたコンビニでアルバイトをして、一人でもそれなりに生活ができている。  まだ有希が求めている理想に足りないのだろうか。なにも言わない墓石を見ても有希は答えてくれない。  いままで感じたことのない不安感が心に穴をつくる。そこに冷たい風が通り抜けていき、身体の心を内側から冷やされていく。  「大丈夫か?」  八木が目の前で手を左右に振った。そして頬に触れられ、その温もりにほっと息が漏れる。  (八木の手は有希ちゃんと全然違う)  それなのに冷えた心がじわじわと熱を持ち始める。  心のどこかで八木と有希を重ねていた。亡くした喪失感を八木で埋めようとしていたことにようやく気づいた。  (じゃあこの好きって気持ちはなんだろう)  一目見たときから八木のことが好きだと思った。自堕落そうに見えてちゃんとしているところややさしいところ。八木のいいところを挙げたらキリがない。  でもその八木の良さに最初を知っているのは有希も同じで、恋のライバルなのに向こうはもう手が届かないところにいってしまった。  有希が初めて八木の写真を見せてくれたとき、真夏は恋に落ちた。そして同時に失った。  その恋にみっともなく縋りついた結果がこれだ。  相思相愛だった二人は有希さえ死ななければ将来結婚していたのかもしれない。義理の兄として八木と付き合いは続いていたのだろう。  でも有希は死んだ。八木が有希を忘れるように自分に託して。  (ごめん、有希ちゃん。僕じゃ役不足みたいだ)  八木の大部分には有希が残っていて、本人も忘れるつもりはないと言っていた。  忘れないでいて悔しいけど嬉しい。それだけ愛情深い八木を好きになれてよかったと誇りに思う。 八木のシャツを引っ張って唇を寄せ、触れるだけのキスをした。  目を白黒させた八木は唇を手で覆ったあと、頭を抱えて座り込んでしまった。  「……俺は有希を忘れたくないんだよ」  「知ってる」  「頼むからやめてくれ」  繕わない拒絶の言葉に悲しみよりも虚しさが広がった。こんなに想っていても八木には一ミリも響かず、自分の思いだけがどんどん膨れ、シーソーが傾いたままに比重だけが増える。  (死んだ人はいいな)  色褪せず劣化もせず、どんどん磨き上げられた宝石のように思い出が補正され続けずっと想って貰える。  どんな辛い出来事もキレイな思い出として蘇ってきて、その人の心を縛るのだ。  八木の薬指の指輪は鎖だ。有希と八木を繋いで離れなくさせている。  その輪に自分はいれない。  「午後から雨が降るみたいですよ。早めに帰ってくださいね」  物言わぬ墓石をちらりと見て、駅へと歩き出した。
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