第十六話

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第十六話

 次の日、大家から電話があった。焼け跡を片付けたら新しいアパートを建てるが、家賃は高くなってしまうこと。火災保険は入っているので家具家電は全額保障してもらえるらしい。  でももう有希の部屋はない。その喪失感が紙に広がっていく墨のようにじわじわと心を覆い尽くす。  新しく住む場所を探しながらバイトをして大学に通わなければいけないとやることが明確しているのに気持ちが萎んでしまっている。  時間を無駄に消費するのは嫌いで常に動いている方が落ち着くのによっぽど堪えているらしい。  「なにしてんの?」  「やる気がなくてゴロゴロしてます」  「家だとそんな感じ?」  「もっとちゃんとしてます」  「だろうな。おまえハムスターみたいだもん」  よくわからない例えだが、揶揄っているつもりなのだろうか。  八木は寝癖がついた髪をゆらゆらさせながら冷蔵庫を漁り、朝食の支度を始めた。  もうすぐ出勤時間だ。  いつまでもダラダラしていられない。顔を洗って制服に着替えると少しだけ気持ちがしゃんとする。  「ほい、これ」  テーブルには納豆ご飯とインスタント味噌汁が並んでいる。八木はいつも二人分の食事も用意してくれた。  「ありがとうございます」  「別に。自分のついでだしな」  ぶっきらぼうな言葉は冷たいのに行動がやさしいちぐはぐな男だ。  「今日大学は?」  「土曜日は休みです。居酒屋のバイトもなし」  「じゃあ終わったら買い物ついてこいよ」  「なにか買うんですか?」  「なんだかんだ入り用だろ」  「はぁ」  荷物持ちをさせたいのだろう。世話になっている身としては家主の言うことは絶対だ。  わかりました、と返すと八木に頭をくしゃりと撫でられた。  「寝癖ついてんぞ」  「……人のこと言えないじゃないですか」  「俺は店長だからいいの」  「なんすか、その理由」  屁理屈だと訴えると八木は白い歯を覗かせた。  (ナチュラルに触るなよ。こっちの気も知らない で)  文句の一つでも言いたかったが、八木が納豆を口いっぱいに頬張る姿を見れたので溜飲を下げた。八木の方がハムスターみたいで可愛い。  バイトが終わり八木と一緒に店を出た。もし して付き合ったの? と夜番に訊かれたが説明するのも面倒でスルーした。  「じゃあ東口に行こう」  八木と連れ立って駅構内を通り反対側に来た。こちらは商業施設やゲームセンター、居酒屋などがあり活気づいている。居酒屋のバイト先もこちら側だ。  商業施設のエスカレーターに乗る八木の後ろについて行った。  「なに買うんすか?」  「洋服とか日用品」  八木と降りた階はファストファッションブランドがあるエリアだった。お手頃価格と高品質で全国に軒を連ねている有名店。  もうすぐ夏になるので半袖シャツとハーフパンツを着たマネキンが多い。  ポロシャツを手に取り八木が真夏の身体に当ててうーんと唸った。  「なに色が好き?」  「青かな。てかなんで僕の好みを訊くんですか。店長の買いに来たんじゃないんですか?」  「服いまそれしかないだろ」  「……そうだけど」  火事で洋服のほとんどが燃えてしまった。  逃げてきたときに着ていたTシャツとハーフパンツしかなく、洗ってもすぐに着なければならないので結構苦労していた。  「買ってやるよ」  「え! ? いいよ、そこまでしなくて」  「遠慮すんなよ」  「でも」  ポロシャツの値札を見たら二千円はする。これでもリーズナブルなのかもしれないが、何枚も買うとなると金はかかる。  迷っていると八木は「こっちもいいな」と違うポロシャツやTシャツもどんどんカゴに入れてしまっている。  一つのカゴがいっぱいになると今度はボトムスコーナーに連れていかれ、デニムとカーゴパンツをもたせられ試着室に押し込まれた。  個室の前には八木が待ち構え逃げることができず、渋々ズボンを履いた。  どういう千里眼をしているのか八木が選んだボトムスはどれもサイズがぴったりで動きやすい。  だが値札を確認すると目玉が飛び出そうな金額でとてもじゃないが手が出ない。  履いてきたハーフパンツに着替えてカーテンを開けると椅子に座っていた八木が立ち上がった。  「どうだった?」  「悪くはないけど」  「じゃあそれも買うか」  試着している間に靴下や下着も買っていたようでズボンを入れると二つのカゴの持ち手が見えなくなってしまった。  そのままレジへ向かおうとするので慌てて八木のシャツを掴む。  「金持ってない」  「だから買ってやるって言ってるじゃん」  「……同情してるの?」  八木を睨みつけるとふわふわの髪を掻いて困ったように笑った。  「ま、そうだな。可哀想だと思うよ」  「同情なんて大嫌いだ」  「……そういうとこ有希に似てんね」  有希の名前にかっと頭に血がのぼる。有希と重ねてくる八木の無神経さに腹が立つ。  「もう八木なんて知らない!」  「伊澄!」  八木の静止も聞かずにエスカレーターを駆け下りて外に出る。  (悔しい。僕ではどうやっても歯が立たない)  有希の面影を重ねられて嬉しいはずがない。そんなのまだ有希が好きってことじゃないか。  それなのに八木のことが嫌いになれずにいる。  無意味なこの感情の終着点はどこへ向かへば終わりにできるのだろうか。  「真夏?」  顔を上げると居酒屋の看板を抱えた伊賀良が驚いた表情をしている。闇雲に走っているつもりだったが、馴染んだ道を辿っていただけらしい。
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