第六話

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第六話

 真夏の一日のスケジュールは細かく決められている。  九時から十七時までコンビニでバイト。  十八時から二十一時まで夜学。  二十二時から一時まで居酒屋でバイト。帰ってから課題やレポートを仕上げて、四時に寝る。  働きながら大学に通うのは正直きつい。高校生までは勉強や生活にかかる費用は国に補助され、楽させて貰えていたんだなと痛感する。  どれだけ生活費を切り詰めてもいつ落ちるか分からないギリギリの綱渡りを強いられているような気分が毎日続く。  でも不思議と気持ちが途切れず、やる気だけはあった。  コンビニの仕事にも慣れ、常連客にも名前を憶えてもらえるようになり、人と話すのが好きなのでコンビニは性に合っている。  「真夏ちゃん、おはよう」  「源さん、おはよう。今日もいつもの煙草?」  「そうだよ。さすがわかってんねぇ」  「だって毎日来たら嫌でも覚えるでしょ。はい、六百円」  「あんがとね」  年金暮らしのはずなのに源は毎朝煙草を買いにくるヘビースモーカーだ。愛想もよくて従業員みんなから慕われていると菊池に教えてもらった。  「すっかり源さんと打ち解けてすごいわね」  「そんなことないですよ。あ、ラックは僕が運ぶから菊池さんレジやってください」  菊池は最近腰が痛いとぼやいていた。ラックは重く運ぶのは大変なので真夏がやるようにしている。  「ありがとね、真夏ちゃん」  「大したことないですよ」  目尻の皺を刻ませた菊池の笑顔は施設の職員と似ているところがあって、なんだかむずむずする。  「はよ~っす」  「あら、店長早いわね」  「事務作業やんの忘れてたから早めに来た」  制服の上によれよれとパーカーを羽織っただけの八木が欠伸をしながら出勤してきた。  夜勤が多い八木とは無理やり入社された日以来で久しぶりに会う。  八木は真夏を認めるとにやりと口元で半月を作った。  「お、制服似合ってんね」  「ありがとうございます」  「仕事慣れてきた?」  「菊池さんが教えるのが上手いので助かってます」  「俺がバイトのときから菊池さん働いてるからね。なんでも知ってるよ」  「そうそう。店長が高校生の頃から付き合いなんだから」  菊池が誇らしげに胸を張る。  「店長がフライヤーで火傷したときとか、おつりを多く渡して怒られたりとか源さんに突っかかったこととかいろんな話を持ってるわよ」  「それはちょっと興味あります」  真夏が前のめりになると八木はやんわりと菊池を手で制した。  「人の失敗談を話すんじゃないの。じゃあバックヤードで作業してんね」  八木が手を振ると薬指の指輪がきらりと光り、真夏の視線は釘づけになる。  「そういえば店長の奥さんってどんな人なんすか?」  「えっと、それは……」  珍しく言い淀む菊池に真夏は首を傾げる。  普段は訊いてもいない菊池のプライベートもベラベラ話すほどお喋りなのに。  しばらく言い淀んだ菊池は重たい口を開いた。  「昔付き合ってた彼女さんとのものだと思うわ」  「その人とどうして別れたんですか?」  「……亡くなったのよ」  がんと頭を打たれたような衝撃があった。  八木は指輪を「身体の一部」と答えていた。  身体に馴染むくらい途方もない時間を過ごしたのだろう。計り知れない想いの深さの縁を見て、どんどんと衝動が湧き上がる。  (なにやってんだよ、あいつ)  燻っていた火種がメラメラを燃え始め、真夏の内側が熱くなってくる。凪のように静かだった心の湖畔が沸騰して真夏を急き立てた。  「ちょっと事務所行ってきます」  目を丸くする菊池を置いて事務所へ入ると八木はこちらに背中を向けてパソコン作業をしている。  「店長のことが好きです!」  ぎょっとした顔で振り返る八木はまるで宇宙人に遭遇したかのように驚愕の表情のまま固まっている。  数秒見つめあっていると来客を知らせるベルで我に返ったのか八木は「は?」と漏らした。  「ごめん。無理」  「はい、わかってます。でもこらから毎日告白するんでよろしくお願いします!」  「いや、どういう宣言?」  「仕事に戻ります!」  「この状況で?」  混乱している八木を置いて、真夏は店内に戻った。  「ちょっと真夏ちゃん、店内まで聞こえてたわよ」  レジ作業をしていた菊池が慌てて耳打ちをしてきたが、真夏にはどうでもよかった。  (こんな簡単なことだったんだ)  言葉にするとより八木への思いが形をつくる。  こんな簡単なことにずっと気づけなかった数分前までの自分が信じられない。  「すいません、でもそういうことなんで!」  「そういうことって」  菊池は呆れていたが、真夏は気にする暇もない。  昔から思い立ったら即行動と猪のような性格だと自負していた。  「まぁ真夏ちゃんが平気ならいいけど……」  「大丈夫です!仕事戻りますね」  ペットボトルの補充に行くために真夏は反対側のバックヤードに入って仕事を続けた。
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