第七話

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第七話

 次の日から八木と顔を合わせるたびに告白をした。  「おはようございます! 今日も店長大好きです」から始まり、「好きです。レジ代わります」「大好きな店長、配送ってどうやるんすか?」と隙あらば己の愛を伝えていた。  八木は最初こそ困ったように言い淀んでいたが、午後にはスルーされてしまっている。  もしかしてまだ足りないのだろうかと事務所で休憩しているときにパソコン作業をしている八木に耳打ちをした。  「店長」  「うわっ、なんだよおまえ」  弱点なのか吐息がかかっただけで大袈裟なリアクションをする八木が面白い。  「可愛い反応ですね。耳弱いんですか?」  「いま集中してたんだよ。てかなに?」  毛を逆立てた猫のように真夏の言動を注意深く観察する八木は椅子を引いて距離を取った。  一歩近づくと後ろに下がり、また一歩近づくとパソコンデスクに背中がぶつかり窮地に立たされた八木は弱々しく真夏を見上げる。  「そんな怖がらないでくださいよ」  「……人手不足だったとはいえ変な奴を雇っちまったよ」  「店長のお陰で僕は運命と出会えて嬉しいです」  「あのなぁ、この際だからはっきり言うけど、俺はおまえと付き合うつもりはないし、気持ちには答えられない」  「彼女のことを忘れられないから?」  薬指の指輪を指すと八木は眉間の皺を深くさせた。  「そうだよ」  「もう死んでるのに?」  八木の片眉が跳ねた。細い目が引っ張られたように吊り上がる。  「おまえ、なんなの」  怒気を含ませた言葉に背筋が震えた。  (もっと、もっとだ)  いまこの人の深淵に沈んだ心が見えそうな位置まで来たことに内心ほくそ笑んだ。  いつも上っ面を取り繕うだけの八木を見たいわけではない。仮面の裏に隠している本音を暴きたい。  「菊池さんから訊きました。少し前に亡くなったって」  「二年だよ。まだ二年しか経ってない」  「赤ちゃんが言葉を話せるようになりますよ」  「知ってる」  月日の長さ噛みしめるように八木は何度も頷いた。  (この人の心はずっと囚われている)  二年前から一秒たりとも揺らがずにいるのだろう。身体の一部になってしまった指輪のように。  そこだけ日に焼けず、跡が残る薬指は八木の心を表している。  他人に目もくれず、亡くなった人を想い続ける。  どれだけ季節が移ろっても八木はその場から動こうとしない。  かつての真夏も同じだった。  でももう違う。真夏は八木のために歩くと決めた。  「別に店長と付き合いたいわけじゃないんですよ」  真夏の言葉に面食らった八木は大袈裟に肩を竦ませた。  「じゃあなんだよ」  「ただ僕の想いを知って欲しかっただけです」  「もう充分すぎるほど伝わってる」  「まだです。まだ足りないくらいだ」  真夏がどれだけ八木のことを好きか全部は伝えられていない。  初めて八木を見たときの衝撃をまだ言葉にできていない。  愛を伝えるのは言葉だけでは足りない。だから人は愛を歌って、身体に触れ合うのだろう。  真夏は八木の綿菓子みたいな髪に触れた。  見た目より肌触りがよく真夏の指の間をするりと抜ける。  「隙だらけですよ。そんなところも可愛くて好きですけど」  「やめろ!」  手を払いのけられ、叩かれた手がじんと熱を持つ。なぜか八木が悲しそうに目を伏せた。  「……悪い」  「大丈夫ですよ。じゃあ僕は仕事に戻ります」  昼食は食いっぱぐれてしまったが、一歩前進したことが嬉しかった。
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