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◇◆◆◇ 親分の家は玄関に入ると帳場があり、商家のような雰囲気だった。 でも、壁際には纏や火消しで使う道具がズラリと並んでいる。 それに火消しの人達が、帳場の向こう側、上がり框を上がって直ぐの座敷に数人座っていた。 火消しは根性が据わってないと出来ない。 そのせいか、円座を組む数人は見るからに屈強で博徒のような顔つきをしている。 松五郎親分はそこにはいなかった。 頭を下げ、銀次郎さんの後について家にあがり、親分がいる座敷に連れて行かれた。 挨拶をして座敷に入ると、親分は煙草盆のわきに座っていた。 「おう銀次郎、どうした、そこに連れてるのは誰だ?」 「へい、こいつは先日話した例の雪之丞でさ」 「ああ、喜助が匿ってた者か、で、何故ここに? 喜助はどうした」 喜助は俺を親分に渡せと岡っ引きに言っていたが、そこまで話を通してるわけじゃなかったらしい。 恐らく、親分は引き受けてくれると踏んで言ったんだろう。 松五郎親分はそれほどの人物だと言う事か……。 とにかく、銀次郎さんに従って親分のそばに行った。 銀次郎さんは親分と向かい合って座ったので、その横に遠慮がちに腰をおろした。 「はい、実は……さきほど、喜助の潜伏先に行ったんですが、岡っ引きが来てまして、で、親分にはまだ話してなかったんですが、俺は予め喜助と話をしてたんです、雪之丞を寺へ返すわけにゃいかねぇ、こんな事を頼むのは図々しいとわかってますが、情に厚い親分の事だ、わけを話せばきっと頷いてくれるって……、もし喜助んとこに岡っ引きが来たら、捕まる代わりに雪之丞を親分に預かって貰うって条件を出そう、岡っ引きがウンと言わねー時は……仕方ねーが、岡っ引きをぶん殴って逃げるしかねぇと、で、岡っ引きは取引きに応じたんでさ、さっきも言いましたが……という具合に2人で話をしてた次第でして……、今話した通り喜助は捕まっちまったんで、親分、改めてお頼み申します、雪之丞を預かってやってください、でなきゃ喜助が浮かばれねー、岡っ引きには雪之丞には逃げられたとでも言えと、そう言ってます、ここなら安全だ、どうかお願いしやす」 銀次郎さんは喜助と口裏を合わせていたらしく、親分に向かって頭を下げて頼んだ。 「そうだったのか、やっぱり見つかっちまったか……」 親分は目を伏せて力なく言った。 「へい、喜助の奴は……訳は話そうとしませんが、この雪之丞をどうしても守りてぇようです、どんな事情があるにせよ、あっしはあいつの意思を汲んでやりてぇ、だからお願いします」 銀次郎さんはもう一度、深々と頭を下げて頼んだ。 「ああ、わかった、おおまかな話は喜助から聞いている、雪之丞の事は任せな」 親分は快く承諾してくれたが、一方的に世話になる事になり、迷惑をかけて申し訳ない。 「あの……親分さん、俺の事で……すみません」 頭を下げずにはいられなかった。 「ああ、心配するな、うちの連中は口がかてぇ、ここにいる事はバレる事はねー、それより喜助だ、あの万願寺の住職丹前は、阿片を使ったと聞いた、そんな物を使うぐれぇだ、お前を稚児の代わりにして好きな事をやらかしたんだろう、そんな奴らの為に喜助が犠牲になるのは腹立たしい、俺はな、お偉いさんで知り合いがいる、城勤めで目付けをやってる男だが、なんとか罰が軽くならねーか、そいつに話をしてみる」 親分は喜助から聞いた通りのお人だ。 俺の事を大きな懐で受け止めてくれ、喜助についても心強い事を言ってくれる。 「目付けですか、そいつは助かりやす、親分、重ね重ね申し訳ありやせんが是非お願いします、喜助はやっと腰を落ち着ける気になったんだ、これからって時に……生ぐせぇ坊主共のやらかした事で犠牲になるのは、俺ぁどうしても納得がいかねー」 銀次郎さんは表情をパッと明るくして言ったが、当たり前に俺も、喜助の罪が軽くなる事を切に願っている。 親分は喜助の事を案じているらしく、今からその知人に会いに行くと言い、銀次郎さんともう一人お供につれていく事になった。 知人と言っても相手は位の高い武士だ。 親分は紋付袴に着替えて出かける為、急いで用意を済ませた。 手土産も持参していくようだが、なにぶん、相手方の予定を把握しているわけではない。 留守である事を踏まえて出かけて行った。 俺は銀次郎さんに喜助の事を真剣に頼んだ。 銀次郎さんは『大丈夫だ、親分がなんとかしてくれる』と言ってくれた。 それでも俺は喜助の事が心配で堪らなかったが、俺は喜助と銀次郎さん、2人のお陰で、無事親分の家で暮らす事となった。 ◇◆◇ この家も二階建てになっているが、江戸では長屋を除き、そういう造りの建物が多い。 俺は一階の一番奥の座敷を借りる事になり、火消しのひとりに座敷へ案内された。 それから後、俺は息を殺して銀次郎さんの帰りをじっと待っていた。 灯りもつけずにいたら、やがて座敷は夜の闇に包まれていったが、窓から入る月明かりの中でひたすら待ちわびていると、ようやく親分と銀次郎さんが戻ってきた。 座敷にやって来たのは銀次郎さんだけだが、俺は逸る気持ちで銀次郎さんに『喜助さんはどうなったんですか?』と聞いた。 銀次郎さんが言うには……。 突然の訪問だったが、知人は運良く屋敷にいたらしく、親分が急に来た事を詫びると、応対に出てきた者はすぐに知人に伝えに行き、親分は屋敷内に招かれた。 そこからは知人の座敷で話をしたらしいが、知人はひと通り話を聞いて顔色を曇らせ、喜助は番屋ではなく、牢に入れられたと言ったようだ。 刑が確定するまでそこで過ごす事になるが、知人は減刑は厳しいと言ったらしい。 丹前は日頃から要職につく者達に袖の下で取り入ってきた。 それもあって、自分の力だけでは難しいと、眉間に皺を寄せて答えたと言う。 親分はそこをなんとかと食い下がり、知人はやれるだけの事はやってみると言い、そこで話は終わったようだ。 「そうですか……、やはり……そう容易くはないんですね」 目付けと聞いた時は道がひらけたように思えたが、どす黒い暗雲がまた立ち込めてきた。 「希望を捨てるのはまだはえーぞ、せめて死罪だけは免れるように、多分……なんとかしてくれる、あの寺山様というお武家様はうちの親分と懇意にしてるからな」 「はい……」 銀次郎さんは励ましてくれるが、自分の非力さに腹が立つ。 不安、悲しみ、苛立ち……様々な気持ちが入り乱れていた。 ◇◆◇ この家には、賭場と同じように炊事場を担当する者がいた。 梅さんみたいなお婆さんだったが、梅さんみたいにお喋りではなく、物静かで控えめな人だった。 俺はここでも手伝いを買って出た。 それと、夜に井戸のそばで水垢離をやった。 喜助が助かるように……願掛けだ。 この家に来て五日目の夜、褌だけの姿になって水垢離をやっていたら、親分がたまたま通りかかった。 「おい、こんな寒い中水垢離か?」 親分は小走りでやって来ると、驚いた顔で聞いてきた。 「はい」 「よせ、風邪をひくぞ」 日に日に秋が深まり、季節は冬へ移り変わろうとしている。 寒いのは当たり前だが、俺はなにも出来ない自分が歯がゆくて、せめてこれ位しなきゃ気がおさまらなかった。 「俺にはこれしか出来ないんです、喜助さんは俺を助けて捕まった、せめて神様にお祈りして、喜助さんを救いたいんです」 喜助を助けたくても、俺には神頼みしか方法がない。 「おお、それを言おうと思ってな、お前を探してたんだ」 「え……」 偶然通りかかったわけじゃなかったのか……。 「喜助はな、死罪になる筈だったんだが、寺山様が尽力してくださって、遠島になった」 「遠島……ですか」 死罪を免れたのはよかったが、遠島も死罪に近い刑罰だ。 なにもない離島に流されたら、下手をすれば食べる物すらない。 飢餓、病気、怪我……流刑者同士で諍いも起こると聞いた。 死罪よりはマシだが、俺は喜べなかった。 「丹前の悪事を表沙汰に出来れば、無罪って事も有り得るが……今のところ難しい」 阿片を使った事を訴え出ても、証拠がなければどうにもならない。 「そうですか……、あの、ありがとうございました」 親分が尽力してくれた事は本当に有難く思う。 兎に角頭を下げて御礼を言ったが、どのみち喜助を失う事に変わりは無い。 「島流しの船が出るのは、明後日だ」 「えっ……そんなに早く?」 まさか、刑が決まってすぐに遠島になるとは思わなかった。 「ああ、あの船は常に行き来してるわけじゃないからな、ちょうど島へ渡る便が来るんだ」 そんな……。 こんなにあっさり別れ別れになるなんて、心に矢が突き刺さったような痛みが走った。 「船は……見送る事が出来るんですか?」 親分に力無く聞いた。 「見送りは出来る、しかしお前は行かねぇ方がいい、丹前も来てる可能性があるからな」 丹前に見つかったら、喜助のやった事が全部無駄になる。 けれど、これで最後になるかもしれないのに、姿も見ずに別れるなんて……辛すぎる。 「でも……俺、喜助さんの姿を見たい、こんなの悲しすぎる」 何故俺を助けたのか、それすら未だに聞かずじまいだ。 聞かずじまいで何にもわからぬまま、喜助は流刑者になってしまう。 そんなのは耐えられない。 「そうだな……、じゃあ、火消しの装束を着ろ、頭には手ぬぐいでほっかむりだ、顔を見られねーように深く被ったら、なんとか誤魔化せるだろう」 親分は俺の心情をおもんばかってくれたのか、変装して見送りに行く事を許可してくれた。 「はい、じゃあ、そうします」 変装でもなんでもする。 喜助の姿を見たい、見たくて堪らない。 「あのな、俺が連れてってやるが、喜助を見て気持ちが高ぶって、うっかり走り寄ったりしたら駄目だぞ」 親分は注意を促してきた。 「はい、わかりました……」 確かに、喜助を見たら走り寄りたい衝動に駆られるだろう。 でも……我慢だ。 「明後日、朝早く船が出る、目が覚めたら俺の座敷へ来い」 「はい」 親分に言われて力強く頷いた。 ◇◆◇ 喜助が島送りになる日まで、俺はろくに眠れなかった。 自分のせいだと、何百回も自分を責めたが、それで気持ちが楽になる筈がない。 島流しになり、喜助がそこでどんな暮らしを強いられるのかと思うと、胸が押し潰されるように痛かった。 朝靄が立ち込める早朝、火消しの装束を身につけ、頭にはすっぽりと手ぬぐいを被って、親分と共に船着き場へ出向いた。 銀次郎さんも一緒だ。 船着き場には数人人が来ていたが、どうやら流刑になる者の縁者らしい。 罪人はまだ連れて来られていない。 船着き場にはお役人が3人立っている。 船は小舟で簡素な造りだ。 銀次郎さんも親分も口数が少なく、俺も黙って2人のそばに立っていた。 しばし待った後に、靄の中から罪人の一行が見えてきた。 縄で繋がれて逃げられないようになっている。 薄汚れた着物を纏い、ゾロゾロと船着き場に向かってきたが、俺は目を凝らして喜助を探した。 ひとり、またひとりと順に後ろへ目を移していったら、総勢10人程の列の中ほどに、喜助の姿があった。 『喜助さん』 心の中で名前を呼んだら、喜助はこっちを見た。 「あ……」 喜助は親分を見て頭を下げている。 俺には気づいてないが、銀次郎さんは落ち着かない様子だ。 「喜助! てめぇ、死ぬんじゃねーぞ」 銀次郎さんは喜助に向かって叫んだ。 「おお、わかってら」 喜助は返事を返したが、怪我もしておらず、元気そうに見える。 牢にいた期間が短かったからだろうが、当たり前に俺には気づかない。 声をかけたくて喉から言葉が出かかったが、必死に封じ込めた。 「くっ……」 「大丈夫だ、奴は必ず戻ってくる」 親分が肩を抱いて言ってきた。 役人の命令で罪人はひとりずつ船に乗って行く。 これに乗ったら、もう会えない。 悲しみが膨れ上がって涙が込み上げてきた。 「ふ……、うっ」 涙を堪え、繰り返し喜助に謝っていたら、喜助の番がきて船に乗り込んでしまった。 運良く生き延びる事を願ってはいるが、生きて戻れたとしても当分帰れないわけだし、これで見納めになる事も十分有り得る。 涙で霞む目を拭い、一生懸命喜助を見た。 罪人が全員船に乗り込み、役人が確認を済ませると、いよいよ船出となる。 「あんたー!」 罪人の縁者のひとりが船に向かって叫んだ。 女だから、亭主を見送りに来たのかもしれない。 そんな叫びを気にとめる事もなく、船は桟橋から離れて行く。 「ううっ……」 徐々に小さくなる姿を見たら、涙を堪えきれなくなった。 流れ落ちる涙が頬を伝わったが、その時、不意に馬が駆ける足音が近づいてきた。 何が起きたのかわからず、びっくりして駆け寄る馬を見ていたら、馬は桟橋に向かって勢いよく躍り出た。 「その船、待てい!」 馬に跨った武士が船に向かって大声で叫んだ。 船頭は声に気づき、慌てて船を止めた。 「上杉様、何事でございますか?」 元からいる役人達が騎乗する武士に聞いたが、腰を低くしているところを見れば、やって来たのは位の高い武士らしい。 「喜助という者がいるだろう、喜助を船からおろせ」 上杉という武士は突拍子もなく喜助の事を口にし、俺はびっくりしてポカンとなった。 「はっ、それはまた、なにゆえに……」 役人は何が何だかわからないといった様子で、騎乗する武士に聞き返す。 「万願寺の住職、あやつは阿片を使っておった、拙者が証拠を掴んでひっ捕らえた、つまり喜助は本当に雪之丞を助け出したのだ、罪には問えぬ、無罪放免となった」 上杉という武士は、たった今、耳を疑うような事を言った。 この人は丹前の悪事を暴き、喜助の無罪を証明したようだが、何故? どうしてなんだ? 頭の中が疑問だらけになったが、俺にとってはまるで夢のような出来事に思え、騎乗する武士を茫然と見つめていた。 「あれは……大名目付けだ」 親分がぽつりと呟いたが、俺は船が再び桟橋に戻るのを食い入るように見つめた。 船が桟橋に着くと、喜助だけが船からおろされたが、これは夢じゃない。 丹前が捕まって喜助が無罪放免となったのなら、もう隠れなくてもいい筈だ。 「喜助さん!」 役人が喜助の手首にかけた縄を解いていたが、構わずにそばに走り寄った。 親分と銀次郎さんも後からやってきたが、喜助は縄を外されて手首を擦っている。 「雪之丞、来てたのか、その格好……変装したんだな」 喜助は火消し装束を見て言った。 俺は嬉しくて抱きつきたかったが……公の場だから我慢した。 「よかった……、本当によかった」 興奮して息が乱れたが、喜助はふと上に向いた。 「あなた様は……一体どうして俺を?」 上杉という武士は馬に跨ったまま俺達のそばにいるので、喜助は武士を見上げて問いかけたのだ。 何故自分を助けたのか不思議に思ったようだが、俺も同じく不思議に思った。 「寺山から聞いてな、あの丹前は前から目をつけていたんだが、これを機に捕らえる事にしたのだ」 このお武家様は見たところ、40を超えていると思われるが、喜助を見下ろして淡々と答える。 「さようで御座いましたか……、しかし俺のような渡世人に情けをかけてくださるとは、温情に溢れた方とお見受け致します」 喜助は何か言いたげな顔をして言葉を返した。 「ああ、そう思うなら、そう思ってくれて構わない、喜助、本日お前は命拾いをしたようなものだ、拙者に多少なりとも恩義を感じるなら、これから先はまっとうに生きるのだ、では……拙者はこれにてゆく」 お武家様は窘めるような事を言うと、馬を反対に向けて歩かせ始めた。 親分や銀次郎さんは頭を下げて見送ったが、喜助はお武家様の背中をじっと見つめていた。 兎にも角にも……。 喜助が助かって、俺は心底晴れ晴れとした気分だった。 い組に戻ると、皆が喜助を見て驚いたが、銀次郎さんが訳を話したら皆喜んでくれた。 祝いに酒盛りをしようという事になったが、親分が『酒盛りはまた今度だ、喜助、とりあえず風呂に浸かってゆっくりしろ』と言った。 この家には風呂がある。 大きめな風呂だから、親分は喜助と一緒に入ればいいと言い、お言葉に甘えてそうする事にした。 俺は先に檜風呂に浸かり、喜助が体を洗うのを見ていた。 「助かったなんて嘘みたいで、俺はまだ信じられない」 つい口をついて出たが、水垢離をしたから、神様がお願いを聞いてくれたのか? 「ああ、あのな……、今こんな話をするのはどうかと思うんだが、あの上杉って侍、どうも気になる、だからよ、もうこの際全部言っちまうわ」 喜助はあの助けてくれた武士について何か話があるらしいが、遂に俺を頑なに抱かぬ理由を話す気になったようだ。 「一体……なんなんですか?」 俺はドキドキしながら聞いた。 「あのよ、お前は……俺の弟なんだ」 さらっと口にしたが……たった今、とんでもない事を言った。 「お、弟? 俺が喜助さんの……、じゃあ、兄さんなんですか? いやでも……そんなわけは、俺の母さんは俺しか産んでない」 「ああ、腹違いの兄弟だ、俺のお袋も女郎だった、俺はお前より先に産まれてたし、腹違いだからお前と関わる事もなかった、で、お袋は俺が13の時に死んじまった、俺はお前のように綺麗な見てくれじゃねぇ、ひとりで生きて行く術を自力で学ぶしかなかった、で、女郎屋を飛び出して乞食まがいな生活をしてたが、そん時に盗みや悪い事を覚えた、それでそのまま渡世人になったってわけだ」 腹違いで兄弟なら……有り得ると思うが、ちょっとわからない事がある。 「でも、何故俺が弟だってわかったんです?」 「お袋のいた置屋の女将が話してた、俺の父親は立派な武士だが、あちこちの女郎屋にいい仲になった女がいると、で、ガキを産ませたのがお袋と……お前の母親だと言った、それを聞いたのは旅に出て帰って来た時だ、懐かしさのあまりにフラリと置屋に立ち寄って、ついでにその話を聞いちまった、で、俺は弟がいる事を知り……会ってみたくなったんだ、ま、そういう事だ」 「あの……、その父親に関してなんですが、やっぱり教えて貰えないんですか?」 父親については……相手が立場のある人だと聞いたが、置屋の女将や仲間の女郎はそれ以上決して口を割らなかった。 「ああ、そうだ、で、俺は思ったんだ、あの上杉って侍、あの男は……もしかしたら、俺達の父親なんじゃないかって」 喜助は思わぬ事を言い出した。 「あのお武家様が?」 「あの侍は俺の無罪を明かしたと言ったが、結果的には俺達2人を助けた事になる、あんな立場の侍が俺らみたいな者の事を気にとめるのはおかしい」 「それは阿片の事で調べたからでは?」 「かもしれねーが、俺はなんとなくそう感じた、親父じゃねーかって」 上杉というお武家様が俺達の父親だとしても、解せない事がある。 「だけど、俺と喜助さんが息子だという事は……どうしてわかったんでしょう」 「そりゃ、遊び好きな男なら、その筋の人間と関わりがある、噂で息子が産まれたと聞き、ついでに名前も聞いてたとしたら……」 「あの、俺の雪之丞っていうのは本当の名前ではなく、俺は……太吉っていいます」 俺の本名はつまらない名前だ。 「あ、そうなのか? いやまぁ~名前はどうでもいいが、太吉から雪之丞になった事を密かに知っていたとしたら……どうだ?」 密かに知っていた……。 だとしたら、あの馬に跨った凛々しい武士が……俺の父さん。 「あの方が俺の父親……」 今まで存在すら知らなかった父親が、密かに俺達を見守っていて、助けてくれた。 「ま、だからってなにも変わらねぇし、会う事もねーだろうが、助けたって事は……無責任にガキを作るような奴でも、まだ人間らしい情けというやつを持ってたって事だな」 「あ、はい……、そうですね……」 喜助の言った事は確かにそうだと思った。 父親を恨んだ事は……ないと言えば嘘になるが、母が女郎だから致し方ないと、諦める気持ちの方が強かった。 今は喜助を助けてくれたし、恨むどころか感謝する気持ちでいっぱいだ。 それに、あんな立派な人が父親だと思ったら、少しばかり誇りに思う。 色々と衝撃的な事が続き、頭の中がごちゃごちゃになって大事な事をうっかり忘れるところだった。 喜助は兄さんだから……それで拒んだ。 それはわかったが、俺はまだ納得出来ない。 「父さんの事はわかりました、喜助さん、抱いてくれないのは……兄さんだからですか? というより、何故兄だと明かしてくれなかったんです?」 初めから言ってくれれば、俺は喜助に対して兄として接していただろう。 「俺は渡世人だ、そんな身分で兄だと言いたくなかった、それに……腹違いとはいえ、俺は実の弟に惚れちまった、だからお前にまともな暮らしをして貰いてぇ、それからもうひとつ、ほんと言うとお前を抱きてぇ、けど兄弟だぜ、そんな事をしたら、お天道様に叱られちまう」 渡世人だからって……そんな事を気にしていたなんて、俺は陰間をやっていたのに、そんな俺に気を使っていたというのか? それと……喜助は俺に惚れたと言って、俺を抱きたいとも言った。 「兄弟だからって、別に……構わないんじゃ?」 これがもし兄妹なら問題だが、男同士なんだし、兄弟だから駄目だとか、俺はそうは思わない。 好きなら体を交えても構わないだろう。 「いーや、血が繋がってるんだぞ、犬畜生じゃあるまいし、そんなこたぁやっちゃいけねぇ」 なのに、喜助はやけにお堅い事を言って拒む。 「喜助さんって……、渡世人なのに真面目なんだ」 渡世人ってもっと破天荒だと思っていたが、喜助は違うらしい。 「う、うるせぇ……、俺はなにをやっていようが、人の道から外れた真似はやらねー主義だ」 喜助はムキになって主張したが顔が赤くなっている。 なんだか可笑しくなってきた。 「ぷっ……、ははっ」 「なんだよ、なに笑ってやがる」 「兄さん……、俺は好きだから」 喜助は俺より大分年上だが、変に生真面目なところが可愛く思えた。 これからは喜助さんではなく、兄さんと呼ぶ事にした。 「ば、馬鹿……、兄さんって……、なんかむず痒くなるじゃねーか」 喜助は照れ臭いのを誤魔化すように、桶で湯を掬って体にかける。 「へへっ……」 俺は諦めない。 喜助が抱いてくれるのを期待して、待ち続けるつもりだ。 銀次郎さんとの事は、喜助にお任せする。 「ふう、じゃ、浸かるか」 喜助は洗い終わって湯に浸かってきた。 「兄さん……」 そばに寄り添ったら、喜助は眉を下げて困った顔をする。 「お、おい……、そんなくっつくなよ……」 だけど、俺は今最高に幸せな気分になっているので、離れたくない。 「えへへっ……」 これからは雪之丞ではなく、太吉として暮らせるように頑張っていこうと、心の中でこっそりとそう思っていた。
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