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◇◆◆◇
賭場の裏手にある二階建ての古い建物。
俺はそこで喜助と共に暮らし始めたが、万一見つかったら事だから、ひとりで出歩く事を禁じられている。
万願寺では、きっと丹前が怒り狂っているだろう。
唯一情けをかけてくれた門司には、少しばかり悪い事をしたような気がしたが、俺は後悔はしてない。
喜助と共に過ごせるなんて、夢のような暮らしだ。
いや、そんな事を言ったら不謹慎極まりない。
俺は本音を隠して喜助と共に過ごした。
勿論、俺が喜助の事を好いている事も内緒に決まっている。
喜助は用があると言ってはフラリと出て行き、フラリと戻ってくる。
俺は二階の座敷にいるので、窓から外を眺めて喜助の帰りを待ち侘びる。
今日も昼前に出て行ったが、何もせずにじっとしていては申し訳ない。
銀次郎さんに頼んで炊事場を借りて、何か作ってみようと思った。
この宿はひとつの建物の中にいくつも座敷があり、炊事場や風呂、厠は共同で使うようになっている。
銀次郎さんが貸主となってやってるらしいが、博徒の親分は別の場所にいるらしい。
銀次郎さんは最初に顔を合わせた時以来、座敷にくる事はなかった。
多分、喜助とは外で顔をあわせるから、わざわざくる必要がないんだろう。
とにかく、銀次郎さんに許可を貰いたいので、俺は銀次郎さんを探しに二階からおりて、賭場の方へ歩いて行った。
すると、途中で銀次郎さんに出くわした。
「あの、銀次郎さん、ちょっとすみません」
いきなりだし、賭場を仕切る人だから少しばかり腰が引けたが、思い切って声をかけた。
「おう、お前か、なんだ」
銀次郎さんは廊下の隅で葛籠をいじっていたが、振り向いて俺の前にやってきた。
「炊事場を貸していただきたいのですが」
「ん、お前、料理できるのか?」
「いいえ、世話になりっぱなしじゃ悪いと思って、それで……クズ野菜でも構わないので、材料もお願いしたいのですが」
ちょっと図々しいとは思ったが、俺は出歩けないし、金すら持ってない。
銀次郎さんに頼むしかないのだ。
「クズ野菜~? そんなもんおめぇ、ある物は好きに使やいい、あのな、飯炊きの婆さんがいる、俺が一緒に行って婆さんに言っといてやる」
銀次郎さんは怖い顔に似合わず親切だ。
「はい、ありがとうございます、助かります」
「けどよ~、料理できねーのに、無理だろ、あのな、婆さんに教えて貰え」
「あ、はい……、よいのですか?」
「かまやしねぇよ、ま、とにかく行こう」
「はい」
厚意に甘えて、ついて行く事にした。
炊事場は宿の建物の一階にあった。
俺は来た道を戻る羽目になったが、自分がいる座敷しか知らないので、どのみち教えて貰わなきゃわからない。
「おう、婆さんよ」
「あいよ、なんだい?」
炊事場についたら、お婆さんが釜戸に向かって何かしていたが、銀次郎さんに声をかけられて振り向いた。
「あんな、この雪之丞に料理を教えてやってくれ、今喜助が匿ってるんだが、なんかしなきゃ悪ぃと思ってるみてぇなんだ」
銀次郎さんは俺の事を話してお婆さんに頼んだ。
「ああ、噂で聞いたよ、あらまぁ~、可愛らしい子だ事、ふふっ、いいわよ、教えてあげる」
お婆さんは俺を見て笑顔で承諾してくれた。
「おいおい、婆さん、昔を思い出して妙な気を起こすなよ」
銀次郎さんはちょっと気になる事を言った。
「ふふっ、やだね~、なに言ってるんだい、孫、いいや、下手すりゃ曾孫じゃないか、純粋に可愛いのさ」
お婆さんは照れたように笑って言ったが、もしかしたら、若い時に何か色艶のある仕事でもしていたのかもしれない。
「ははっ、ああ、まぁ~、よろしく頼むわ、んじゃ、任せたぜ」
銀次郎さんはお婆さんに俺の事を任せて踵を返した。
「あの、すみませんでした」
「おお」
一言声をかけたら、片手を上げて振り向かずに立ち去った。
「でー、雪之丞だね? 名前は聞いたよ、あたしゃ梅って名だ、こっちへおいで」
「はい」
お婆さんは名を名乗って手招きしたので、遠慮がちにそばに歩いて行くと、火にかけた土鍋がグツグツ煮えていた。
「これね、ここの連中に作ってるんだが、皆出たり入ったりバラバラだからね、食いたい者は食えって感じで、一応作ってるんだ」
「そうですか」
「あたしはね、昔遊廓にいたんだ」
「あ、そうでしたか……」
「ああ、あのね、今じゃこんな萎びてるけど、あたしゃ花魁だったのさ」
「え、そうなんですか?」
やっぱり遊女だったらしいが、花魁って事はかなりな美人だったようだ。
「ああ、朝霧って呼ばれてた、でね、あたしはある人に身受けされたのよ、でもね、年を取れば色々変わる、訳あってあたしゃ自立したのさ、ただの町人として、で、あちこち下働きをしてここへ流れついた、ここは荒くれ者ばかりだが、みな気はいい、だから安心おし」
「そうでしたか、あの……、ここの雰囲気は何となくわかります」
梅さんの言った事は当たっている。
銀次郎さんがその証拠だ。
「そうかい、なら安心だ、じゃ、これはごった煮だが、こんなんでよけりゃ教えたげるよ」
「はい、ありがとうございます」
話を聞いた後、梅さんにごった煮の作り方を教えて貰った。
実は母と暮らしていた時に料理を手伝った事がある。
だから包丁は使えるが、女郎はまともに食事をとる事がなく、お粥があればまだマシな方で、古くなった漬物でお茶漬けを食べたりしている。
なので、料理と呼べる物は作れない。
ごった煮を覚えたら、洗い物や洗濯物、賭場の掃除などの雑用を手伝った。
梅さんは喜んでくれたので、これからは毎日炊事場に来て、手伝いをする事にした。
そうこうするうちに夕刻になり、喜助が帰って来た。
「雪之丞、座敷にいねぇからよ、どこに行ったかと思って心配したぜ」
炊事場にやって来て開口一番に言った。
「おやま~、随分大事にしてるんだね、喜助さん、この子は一体あんたとどういう関係なんだい?」
梅さんは首を傾げて聞いたが、そりゃわざわざ匿って身近に置いていたら、誰しも不思議に思うだろう。
「雪之丞は陰間茶屋にいた、俺はそこにちょくちょく立ち寄ってたんだ」
「あら、そうなのー、しかし喜助さん、あんたが陰間茶屋に行くとはね」
「なんだよ、今や町人でも遊びに行くだろ、俺が行っても別におかしかねー」
「ええ、それはわかってますよ、あたしだって昔は似通った事をしてた、どおりで小綺麗な子だと思った、なるほどって納得したよ、たださ、あんたは男にゃ興味ないと思ってたのさ」
「俺はな、話がしてぇから通ってた」
「はあ? じゃあ、なにかい? 茶屋に行って、金を払って……この雪之丞と話をしてたって言うのかい?」
「そうだ、なんだよ~、いいじゃねーか別に、人の勝手だ」
俺は黙って2人の会話を聞いていたが、喜助は俺に言ったのと同じような事を言った。
「はあ~、変わったお人だ、あたしも花魁まで上り詰めたが、話だけして帰る男なんて、いやしないよ、そりゃ花魁の場合はすぐにすぐ寝る事はないが、まぁ~でもさ、そんな人がもしいたとしたら……有難いって、そう思うかもね、あたし達は華を売る仕事だ、色と欲、それに金、そんなもんに塗れた世知辛い世界にいたら、きっとそう思うよ」
梅さんはよくわかっている。
いくら売れっ子で客が途切れなくても、所詮やる事は同じだ。
ただ普通に話をするだけなんて、そんな客がいるわけがない。
喜助の存在は俺にとって救いであり、癒しだった。
「そうか、ま、なんでもいいじゃねーか、雪之丞、座敷に戻るぞ」
「はい」
「ああ、これ食べるなら後で持ってくよ」
「おお、食いてぇ、頼むわ」
「あいよ」
梅さんはしつこく聞く事はなく、ごった煮の事を喜助に言って返事を返し、俺は喜助の後について座敷へ戻った。
窓際に座ったら、喜助も俺のそばに腰をおろした。
「で、炊事場でなにしてた、婆さんの手伝いか?」
「そうです、なにもせずにいては、申し訳ないので」
「な事ぁ~、いいんだよ、おお、あのな、お前に土産だ、ほら」
喜助は懐から何かを取り出した。
紙に包まれていて、パッと見なんだかわからない。
「なんですか?」
ひとまず受け取ってなんなのか聞いた。
「開けてみな」
「はい」
言われるままに袋を開いてみると、中には棒が入っている。
引っ張り出してみたら、鳥の形をした物が出てきたが、全体像を見てなんなのかわかった。
「これは……飴細工」
飴でできた鶏冠が赤く色どられた鶏だが、こんな物を実際に手にしたのは初めてだ。
「へっ、町で売ってたからよ、買ってきた」
喜助は笑みを浮かべて言った。
「高かったんじゃ?」
「なーに、そんなもんしれてるわ、こんなとこで燻ってちゃ気分が滅入るだろ? たまにゃそういうのもいいかと思ってな、だってよ、お前はまだ12だ、飴を貰って喜ぶ年だぞ」
言われてみれば、確かに……。
「ありがとう、嬉しいです」
素直に嬉しく思ったが、飴細工を欲しがるような無垢な心は……とっくの昔に忘れ去っていた。
「喜んでくれてよかった、へへっ、はあ~、ちょいと横になるぜ」
喜助は背伸びをすると、その場にゴロンと横になった。
「はい」
一緒に座敷にいる時、喜助はいつもこんな風に横になり、特になにをするわけでもなく、たわいもない話をしたりしている。
俺はよくできた鶏をじっと見つめていたが、不意に漠然とした不安に襲われた。
「あの……、万願寺の丹前様は……きっとお怒りになってると思います、俺がこのままここにいても拉致があかないのでは? 第一、ずっとあなたに世話になるわけにはいきません」
俺は今、こうして喜助と共に過ごす事を幸せに感じているが……。
寺を逃げ出して隠れたはいいが、この状態を果てしなく続けるわけにはいかないだろう。
「俺は銀次郎んとこの親分に世話になろうかと、そう考えてる、つまり正式に子分になるって事だ、今まで根無し草だったが、ぼちぼち腰を落ち着けてもいいんじゃねーかと思ってな」
喜助は一身上の事を話したが、だとしても俺はこのままじゃ……。
俺にとって今のこの状況は、天上から垂らされた蜘蛛の糸だ。
喜助は仏様の如く、俺に蜘蛛の糸を垂らし、俺はそれに掴まって肉欲に溺れる日々から脱する事ができた。
だけど、そこから先は俺が自分で考えなきゃならない。
「喜助さんが落ち着くっていうなら、それもいいと思います、ほら、旅ばかりだと所帯も持てないし、ただ所帯を持つとなれば、俺がいては邪魔になる、その……、俺は自分でなんとかしますので……」
「ん、お前……俺の事を気にしてるのか? だったら余計な事は考えるな、俺はまだ当分所帯を持つつもりはねー」
厚意を無にするのは悪いから、所帯を持つ事に絡めて話をしたが、やはりここは……率直に言わなければ伝わらないようだ。
「すみません……、あの、はっきり言います、俺はあなたに助けられた、でもずっとここにいるわけにはいかないと思うんです、丹前様にバレたら事だし、俺は俺の道をゆきます」
「馬鹿、くだらねー事をいうな、坊主が怖けりゃ端からこんな事ぁやってねー、ほとぼりか冷めたら何か働き口を探してやる、人の噂も七十五日だ、お前の事もじきに忘れる」
「ですが、丹前様は金の仏像を売って俺を……、だからそう簡単には諦めないと思います」
「だったら諦めるまで待つ、雪之丞、俺はここにいろと言ってるんだ、それともなにか? 奴らの事が恋しいとでも言うのか?」
「いえ……、それはないです」
「じゃ、黙って従え、おめぇ、飯炊きの婆さんに気に入られてたじゃねーか、俺にわりぃと思うなら、婆さんの手伝いをしてやれ」
「はい、それなら……そうすると約束はしましたが……」
「おお、じゃ、そうしな、一応言っとくが……勝手に抜け出したりするなよ、もしそれをやったら、恩を仇で返す事になるからな」
俺は万一喜助に災いが降り掛かったら……ってそう思っていたが、喜助は不機嫌そうに顔を顰めて言った。
喜助を怒らせてしまって申し訳ない。
結局、喜助の厚意に甘えるしかなさそうだ。
梅さんに約束した事もあるし、このままでいよう。
「わかりました……」
「わかりゃいい、あのな、子供は子供らしく、飴でもしゃぶってろ」
「あ……はい……」
子供らしく……。
いつからこんな風に冷めてしまったのか。
物心ついた時から周りは女郎ばかりだった。
支度部屋を覗けば、白粉を塗った女郎が数人、鏡に向かって顔をはたいたりしている。
座敷中に漂う白粉の匂い、唇には真っ赤な紅、赤い襦袢が裾からチラッと覗き見える。
その中には母の姿もあった。
髪を撫で付けて簪をさし、首の後ろが大きく開いた着物を着る母は……母であって母ではない。
仕事の邪魔をしてはいけない。
俺は小さな頃からそう言われて育った。
お座敷は覗いた事がないが、母が客を見送りに出た時に、客と一緒にいるところを見た事がある。
母は客の腕にすがりついて甘えていたので、目を背けたくなる位汚らわしく感じた。
けれど、母がいつも疲れ切っている事は知っている。
客がつかなければ稼ぎにならない事も、幼いながらに理解していた。
生きる為には仕方がない事なんだ……。
そう思ったら、嫌悪する気持ちが薄らいだ。
母は俺というお荷物を養う為に一生懸命働いている。
それは紛うことなき事実だった。
いちいち動揺したらキリがないし、いつの間にか何も感じなくなっていた。
そうして毎日を過ごしながら、やがて自分自身が陰間として働き始めた。
いざ自分がやってみて、とても辛い仕事だとわかったが、泣こうが喚こうが……なにも変わらない。
だから、慣れるしかなかった。
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