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ある政治家の屋敷の廊下を走る。左の庭園に外灯が暗闇に点灯している。
倒れた背広姿の男達の合間を俺は走る。
奥の書斎に入る。白髪の老人が革のソファに座っている。
「誰の仕業か、と訊いても答えんか」
覚悟を決めた目つきの痩せた老人が穏やかに言った。
「冥土の土産にダラダラ話すつもりはないぜ」
俺が答えると老人はフッと微笑んだ。
「研究所も制圧したか。連絡が途切れた」
「お察しの通りだ。あんな理論を大っぴらに公表するからこうなるんだ。神様になりたかったのか」
「傭兵に説教されるとは面白い体験だ」
老人はまた微笑んだ。
物体を粒子単位に分解して酸素に変える技術は環境汚染に悩む現代社会では希望の宝だが戦場で使えば地球に優しい兵器になる。
「人間という馬鹿な生き物には過ぎた理論だった」
老人は呟いた。
部屋の外で人が死んでいるのを知らないのか。同居している家族は孫娘が一人。身の危険を感じてどこかに預けたか。
「私を殺したところで手遅れだ」
「わかっている。理論の実用化に時間がかかる事もな。だから実用化を遅らせる為にあんたを殺す。それが指令だ」
俺が言うと老人は呆れた表情で見た。
「どうだ、面白い物を見ないか。私は逃げんぞ。お前を殺して逃げようとしても外に味方が大勢いるだろ」
達観した言い方。何を考えているのか。少し興味がある。
「何を見せるんだ」
俺が訊くなり老人は黙ってリモコンのスイッチを押した。大画面の液晶テレビの電源が入った。
どこかの住宅街。俺達が乗ってきた車。この近所だ。
「何をする気だ」
俺が訊いても老人は答えない。嫌な予感がした。
明かりがついた白い家が一瞬で消えた。
「お前、まさか」
老人は無表情でこちらを向いた。
「見ての通りだ。よく出来ているだろ?」
「きさま!」
俺は銃口を向けた。
老人はテレビに顔を向けた。家が次々と消えた。老人はフッと微笑んだ。
廊下で男達のざわつく声がした。
「私を殺して外へ行ったらどうだね」
「このクソ議員が!」
俺は老人を殴り倒した。老人は失神した。スマホで仲間に連絡した。
「身柄を確保。今から出る」
失神した老人に手錠をかけて背負って俺達は屋敷を出た。
銃声と共に隊員が倒れた。しゃがみながら辺りを見渡す。
「警察か。やりやがったな」
銃声が鳴る中、俺達はワゴン車に偽装した装甲車に乗り込んで撤退した。
「奴らは私もろとも消すつもりだ。さあどうする」
目を覚ました老人が呟いた。
「お前の命令じゃないのか」
「指揮権は私にはない。もっと上の人間がこの計画を動かしている。神になりたい連中がな。誰がお前達を動かしているか知らんが遅かったな」
老人の淡々とした言い方に俺は苛立った。
「まあお前達が失敗しても他の連中が私を殺していただろう。理論を完成させた時点で私は用済みだからな」
老人はそう言うとポケットから小さな箱を取り出して俺に渡した。
「押してみるか。助かるかも知れんぞ」
老人はにやけて言った。箱に赤いスイッチがついていた。
追手が迫っている。逃げるしかない。一瞬の迷いを振り切ってスイッチを押した。
「三十秒後に私の体は爆発する。放り出せ」
語気を強めた老人の言葉を俺は信じた。
「すまん。スピードを上げろ!」
俺はドアを開けて老人を突き飛ばした。老人の体はすぐに視界から消えた。
勢い任せにドアを閉めた。
リアウインドウを見る。外の景色はよく見えない。追って来た車のライトが消えた。
翌日、事務所で報告を受けた。屋敷の周辺で家が五軒消失した。老人を放りだした場所付近の道路がくり抜かれた様に消失した。
あの老人が病死した事だけニュース番組で報じられた。
(了)
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